「タテカン」の消えた大学キャンパス

朝日新聞(2020/2/27付け)朝刊に、東大全共闘議長だった山本義隆氏(78)が「高校闘争から半世紀」と題するシンポジウムに登壇したときの悔恨に満ちたコメントが掲載されていました。<いま東大や京大には連帯を呼びかけるタテカン(立て看板)一つ出ない。せめて一つぐらいないとウソだろう><オレたちはこの50年、何をしとったんやろか。若い人に伝えてこられなかった。悔しい。自分が情けない>

山本氏は当時物理学(素粒子論)を専攻する東大大学院生で将来を嘱望された存在でしたが、逮捕勾留された後大学での学究研究を断念、その後駿台の講師に転じました。氏が2003年に上梓した『磁力と重力の世界』全3巻(みずず書房)が大佛次郎賞毎日出版文化賞を受賞、名物予備校講師による在野の研究成果が注目されたときのことをよく記憶しています。大佛賞選考委員のひとりだった養老孟司が、授賞に異論はないと述べながら、(東大医学部)助手時代に学園紛争の最中研究室を追い出された体験を背景に選評を拒否しています。紛争が遺した深い爪痕を示すひとつのエピソードではないでしょうか。

今や、「タテカン」は死語と化し、かつてキャンパスに無数に存在したことも記憶から失われようとしています。立て看板は屋外広告物設置条例に違反しているとして、京都市が京大に立て看板の撤去を命じ、教員や学生の猛反発を招いたのは2018年でした。東大に比べれば、進取の気概に富む京大らしい反骨精神の発露でした。そもそも、民間の看板と学生の立て看板を同視して一律規制しようとする意図が理解できません。

記事が指摘しているように、福島第一原発事故加計学園問題、森友問題などなど、安保闘争時代の熱が醒めていなければ、学生の示威行動がもっと盛んになっていたはずです。昨年から継続する香港民主化デモにむしろ健全な市民感覚の躍動を感じます。スウェーデンの16歳の環境活動家クレタさんの行動力が眩しく見えてなりません。

様々な社会問題、とりわけ地球温暖化問題に、市民とくに若い世代がもっと怒りの声を挙げるような社会にならないかぎり、この国の未来は霞んだままではないでしょうか。