静嘉堂文庫美術館所蔵「曜変天目(稲葉天目)」を現代に甦らせる試み

宋磁の最高傑作「曜変天目(以下:稲葉天目)を所蔵する静嘉堂文庫美術館を、数年に一度は訪れるようにしています。同文庫は、1924年三菱財閥の第4代総帥岩崎小弥太が、実父弥之助(書斎号が静嘉堂)の霊廟のある世田谷区岡本に築造したものです。切り立った国分寺崖線の北側丘陵地に建つ静嘉堂文庫美術館は、展示スペースこそ狭小ですが、都心に点在する美術館とは一線を画す風格と威厳を備えていて、その存在感たるや他に例を見ません。

先週末、1月18日から同文庫で開催されている「磁州窯と宋のやきもの」展を訪れました。中国宋代(960〜1279年)に開花した所謂「宋磁」の多くは、白化粧や黒釉の技法を基本にした日用雑器の類い。こうした「宋磁」再評価のきっかけは、100年前の北宋の町「鉅鹿(きょろく)」遺跡及び磁州窯陶器の発見でした。

釉薬を使わない素朴な味わいの展示品のなかにあって、国宝「稲葉天目」はひときわ輝いて見えます。世界でわずかに3点、日本にしか現存しないという他の曜変天目2点(いずれも国宝)と引き比べても、瑠璃色の光彩は満天の星の如し、その美しさは抜きんでています。徳川将軍家に伝わる「稲葉天目」を三代将軍家光が乳母春日局に授け、淀藩稲葉家を経て、小野哲郎から岩崎小弥太が買い受けたというのがその来歴になります。別室の4kモニターで、茶碗見込みの景色、小弥太への「譲り状」、「尼崎台」と呼ばれる天目台を見ることができます。「稲葉天目」が代々大切に伝えられてきたことがよく分かります。

再現不可能と言われた曜変天目「稲葉天目」の制作に、過去、人間国宝も含めた数多くの陶芸家が挑んできましたが、悉く失敗に終わっているのは周知の事実。ところが、近年、ふたりの作家(桶谷寧さん・瀬戸毅巳さん)が相次いで曜変天目の再現に成功し、たまたましぶや黒田陶苑の恒例「大酒器展」を訪れた際、実物を拝むことができました。瀬戸さん曰く、「陶芸界のフェルマーの最終定理だからこそ挑戦し甲斐があった」のだと。12年をかけて再現に漕ぎ着けたという大ぶりのぐい呑(写真下)、その出来栄えは想像以上でした。静嘉堂文庫所蔵「稲葉天目」に相当近づいた優品だと思いました。不可能に挑んだ作家さんの弛まぬ研鑽と執念に脱帽です。