2019年秋:濃霧の蔵王御釜リベンジの結果は?

2泊3日の東北山行は、台風18号(今週末は今年最強と言われる台風19号が猛威を奮いそう!)が温帯低気圧に変わったにもかかわらず、行く先々で不安的な気象をもたらし散々な目に遭いました。東京から休暇を利用して遠征しているだけに、栗駒山然り、時間的・金銭的コストを考えると、どうしても無理をしてしまいたくなります。短い夏山シーズン、天気に恵まれることの有難さを肌身で感じた3日間でした。

初日、滝見台で猛烈な風に悩まされ、9時過ぎには蔵王山レストハウスに到着したものの、濃霧でやむなく撤退。リベンジを果たそうと、最終日に宿泊先の白河から170キロ(車で約2時間半)再び北上し、蔵王御釜をめざすことにしました。東北自動車道白石ICまでの道中、暗雲が漂い、ときおり激しい雨に見舞われました。蔵王エコーラインへ入っても、天候は改善に向かうどころか、ますます空がどんよりと垂れ下がってきます。とにかく、早く山頂へと気持ちは焦るばかり。ところが、旧式の路線バスがのろのろと前方を進むので追い越しも儘ならず、その間さらに、霧で周囲の視界が遮られていきました。

ようやく山頂駐車場にたどりついたときには、初日ほど酷くはありませんが、視界はまたしても不良、正午なのに気温は7~8℃でした。レストハウスから徒歩5分の展望台まで歩けましたが(初日は歩道さえ見えず断念)、御釜(1182年の噴火でできたもので水質は強酸性、生物は生息していません)はすっぽりと霧に隠れてまったく見えません。ここまで来たからには持久戦です。

御釜は後回しにして、百名山にして蔵王連峰の主峰「熊野岳」をめざすことにしました。ちなみに、蔵王山という単独峰があるわけではありません。「熊野岳」に、展望台背後の「刈田岳」(1758m)と「五色岳」(1672m)を加え、「蔵王三峰」と呼ばれ、ほかにも多くの頂が存在します。ザックは車に置いてきていますから身軽なものです。行く手は霧がたちこめ、一定の間隔で立てられた背の高い丸太棒は恰も墓標、不気味な印象を与えます。こう感じたのもひとえに悪天候のせいです。刈田岳から熊野岳に至る尾根は「馬ノ背」と呼ばれ、天気さえ良ければ右手に御釜を眺めながら快適なトレッキングが楽しめたことでしょう。ときおり、霧が薄くなったあたりから御釜の輪郭がぼんやりと姿を現しましたが、全容は確認できません。

少し先を行く登山客の背中はぼんやりとしか見えませんが、延々と先に続く丸太棒は確認できます。この丸太棒、視界不良のときの道標の役割を果たすようです。「馬ノ背」は先へ進むにつれ人影はまばらになり、一息に急坂を登り切ると避難小屋があります。気温はさらに2~3度下がり5℃前後、軽装な上に手袋をしてこなかったことをちょっぴり後悔しました。山頂には登山客は皆無。深田久弥が『百名山紀行』(ヤマケイ文庫)のなかで、「冬の蔵王ほど紛れ易い難しい山はない。(中略)頂上がだだっ広くて一度吹雪やガスに見舞われると見当がつかなくなるそうだ。」と書いています。幸い、熊野神社鳥居前で逆方から来4名のパーティとすれ違ったので、記念写真をお願いできました。レストハウスから主峰熊野岳まで片道約50分、天気さえ良ければ太平洋を望め、鳥海山や月山も見えるはずでした・・・。身体が冷えて頭がぼんやりとしていたせいでしょうか、斎藤茂吉(山形出身)の碑(「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中にたつ」)の確認を怠るという痛恨のミスを犯してしまいました。

人声のする避難小屋を覗いた後、下山を開始すると前方で歓声が上がりました。霧がようやく晴れて、エメラルドグリーンの御釜が現れたからです。歩を進めながら、いろんな角度から雄大御釜の写真をカメラに収めていきました。見下ろせば、カルデラ湖の水際を登山客が歩いています。リベンジの甲斐あって、所期の目的を実現できました。天気が回復したせいか、熊野岳をめざす大勢の登山客とすれ違いました。展望台近くまで戻ってきて振り返ると、視界が拓けて、あれほど遠く感じた熊野岳が肉眼で確認できるではありませんか。

なんとかリベンジを果たしましたが、「五色沼」と呼ばれる御釜の色の変化も蔵王を代表する「コマクサ」をはじめとする高山植物も未確認のままです。次回は季節を変えて、山形側からロープウエィを使って地蔵尊経由でアプローチしてみるのも面白そうです。