令和元年の秀山祭千穐楽(夜の部)

9月25日は秀山祭千穐楽夜の部へ。歌舞伎座正面左手に千穐楽の垂れ幕がかかり、開場を待つ観客の表情が普段より華やいで見えました。公演中盤で主宰の吉右衛門さん(75歳)が体調を崩して降板(16日から3日間の休演でした)。ご高齢なので心配しましたが、「寺子屋」の松王丸を渾身の演技で務め上げられました。我が子小太郎を菅秀才(丑之助)の身代わりに差し出した父親の引き裂かれんばかりの心中を、全身の隅々まで行き届いた所作と絞り出すような声で見事に演じ切りました。武部源蔵を演じた幸四郎も、<せまじきものは宮仕えじゃな>という有名な台詞を魂の深奥から沸き上がってくるような声で表現し、他人の子を手にかけなければならない源蔵の悲痛の胸中がひしひしと伝わってきました。「寺子屋」は見る度に涙をそそられます。毎回、野辺送りの場面が来ると、お線香の匂いが客席まで漂ってくるような錯覚にさえ囚われます。

<秀山祭>の第1回は2006年。それほど長い歴史があるわけではありません。<秀山祭>とは初代吉右衛門(1986-1954)の俳号に因んだ命名で、9月に催されるのは初代の命日が9月5日だからです。初代には<大播磨>の掛け声が掛かったのだそうです。5月の團菊祭(九世團十郎と五世菊五郎)と並んで、今や、歌舞伎座の恒例公演です。今年は、初代吉右衛門の父、三世中村歌六(かろく)の百回忌追善も兼ねています。

2つ目の演目は<勧進帳>。弁慶は仁左衛門幸四郎ダブルキャスト千穐楽のこの日は仁左衛門さんが弁慶、幸四郎さんが富樫を務められました。仁左衛門さんの弁慶は初めてでした。幸四郎さんとの掛け合いは手練の芸、ふたりの呼吸はぴったりでした。ただ、延年の舞だけは海老蔵さんに軍配が上がるかなと、引き比べて見るのも歌舞伎十八番ならではの楽しみでした。何度も見ている演目なので、この日は3階席Aの5列目に陣取ったのですが、花道に弁慶一行が揃い踏みしても、後ろに控える弁慶の姿が一向に見えてきません。このときばかりはもどかしい思いに苛まれました。 「勧進帳」の終幕、大向こうから次々と掛け声が飛び、千穐楽らしい雰囲気を肌で感じました。

最後の「松浦の太鼓」は初めて観る演目。初代吉右衛門が「秀山十種」に加えたこの演目は、赤穂浪士吉良邸討ち入りの前日、俳諧宗匠宝井其角東蔵)と煤竹売りに身をやつした大高源吾(又五郎)(俳号:子葉)のふたりが、雪景色の両国橋で出会う場面から始まります。宗匠の求めに応じて、子葉が付句<明日待たるるその宝船>を吟じる場面はなかなかに感動的です。後半は句会に興じる松浦鎮信歌六)の屋敷に転じます。町人に成り下がり俳句からも遠ざかったように見える大高源吾に立腹する松浦が、やがて事の真相を知ることになると、屋敷の外から山鹿流の陣太鼓の音が聞こえてきます。次第に大きくなり重低音で場内いっぱいに響きわたる陣太鼓の音色に思わず聞き入ってしまいました。本懐を遂げた大高源吾が松浦邸を訪れると、これまでの不調法を棚に上げて、手放しで称賛する主松浦。自分のような忠臣蔵好きにはことのほか堪らない演目で、忠臣蔵外伝の秀作ではないでしょうか。