三谷歌舞伎「月光露針露日本(つきあかりめざすふるさと)」

幕開け、背広姿の松也が花道から登場。怪しげな教授風の役柄で、時代背景を解説しながら、観客を生徒に見立て、満席の客席に返事をさせて笑いを誘います。あっという間に、グイグイと三谷ワールドへ引き込まれます。黒眼鏡をかけた松也の風貌は三谷幸喜を彷彿させます。一幕目から白鸚幸四郎染五郎三代揃い踏み、高麗屋が舞台の華となり、猿之助愛之助が幕切れまで脇を固めるという贅沢な布陣です。

原作は漫画「風雲児たち」(みなもと太郎原作)。18世紀末、船頭大黒屋光大夫(こうだゆう)と水主総勢18名が乗り込んだ神昌丸が、出航からわずか4日後に駿河湾沖で難破。太平洋を北へ漂流し、アリューシャン列島アムトチカ島に漂着、その後もロシアの内陸へと日本から遠ざかる過酷な旅を続けます。今回の三谷歌舞伎は、日露国交樹立のきっかけとなった実話に基づいています。

二幕目は厳寒のカムチャッカから。脱落者が続出。窮地に追い込まれた6人が自虐ネタを武器に笑いを増幅させていきます。染五郎演じる頼りなげに見えた水主磯吉は、いつのまにかロシア語を身につけ、ロシア人姉妹と恋に落ちます。船頭の幸四郎が花道七三で「あの女は中の下だ」やめとけと身振り手振りで繰り返すシーン、実の親子だけに爆笑でした。磯吉が長い旅路で成長するように、昨年襲名披露したばかりの染五郎(中学3年生)が着実に役者として成長・進化していることを確かめられたのは、今回の三谷歌舞伎の最大の収穫でした。近年、重鎮が次々と他界する梨園にあって、躍進する若手の筆頭格ではないでしょうか。

荒屋だけの舞台装置に工夫が足らないと思っていたら、犬橇シーンで見せてくれました。ミュージカルキャッツよろしく、着ぐるみ姿のシベリア犬が次々と現れ、舞台を右往左往、果てしなく続く雪原シーンを見事に再現してくれました (史実では6000kmを2ヶ月で踏破したといいますから、犬橇行は大成功でした)。オホーツク、イルクーツクヤクーツク……言葉遊びも巧みで、三谷流笑いの世界は歌舞伎役者さえ縦横無尽に操ります。日本から遠ざかるばかりの前途険しい旅路にあって、一行から滲み出るペーソス(哀愁)あっての泣き笑い、見事な演出でした。

終幕となる第3幕は、イルクーツクの光大夫屋敷からサンクトペテルブルクでの女帝エカテリーナ2世謁見へと展開します。宮殿に場面が変わると、そこが歌舞伎座の舞台だということを一瞬忘れてしまうそうになりました。BGMが流れ、宝塚やミュージカルさながらの豪華絢爛な舞台だったからです。三谷流を牽引したのは、3幕から登場したフィンランド出身の植物学者キリル・ラクスマンを演じる八嶋智人(日本へ同行するアダム・ラクスマンと二役)でした。失意のどん底にあった光太夫一行の帰国に尽力した実在の人物です。舞台を所狭しと走り回る小柄な八嶋のエネルギーとテンポのいいおしゃべりに観客は瞬く間に虜になります。登場するや万雷の拍手が八嶋を迎えました。彼の歌舞伎座デビューを大歓迎した証です。それからは、八嶋の独壇場・・・歌舞伎役者を翻弄したといっても過言ではありません。

エカテリーナ2世が帰国を認めると、一転、舞台に静けさが戻ります。帰国を断念した庄蔵(猿之助)と新蔵(愛之助)のふたりが仲間と別れるシーンは、義太夫節とシクロして涙を誘います。10年に及んだ長い長い旅は、小市が息途絶え、舳先に残った幸四郎染五郎ふたりが懐かしい日本の沖合(実際は根室沖)を見遣って幕切れとなります。千穐楽を翌日に控えたこの日、2度目のカーテンコールが始まるとスタンディング・オベーション。三谷歌舞伎が連日大盛況だったのも納得の舞台でした。様式美を重んじる古典歌舞伎に新しい挑戦を試みる新作歌舞伎が加わって、これからますます歌舞伎座は熱くなりそうです。