白竹堂で京扇子を買う

先月8日、上野の森美術館エッシャー展の開館待ちをしていたとき、この夏の猛暑はすでに始まっていました。10時の開館までまだ30分以上ありました。形ばかりのテントは殆ど用を足さず、容赦ない日差しが襲ったこの時間帯、来館者は一様に噴き出る汗を絶え間なく拭っていました。ハンカチやタオルはあっという間にびしょびしょに。そのとき、右隣から頰に微かな涼風が……顔を向ければご婦人のあおいだ扇子から届いたものでした。花火大会などで貰ったプラスチック製団扇の世話になったことはあれど、扇子は持ち合わせていません。折りたたみが出来て、その上、風雅な扇子の効用に気づいて、マイ扇子を買おうと思い立ったのでした。

その一週間後にたまたま京都へ出向くことに。17日の山鉾巡行前祭を観たその足で、麸屋町通にある京扇子の老舗「白竹堂(はくちくどう)」へ向かいました。「白竹堂」は、徳川吉宗の時代に西本願寺前に寺院用扇子の店を開業(1718年)、今年で300年を迎えるという由緒正しき扇子屋さんです。



暖簾をくぐり奥まった場所へ進むと、少し大きいサイズの男性用京扇子が並んでいました。悩んだ末に、仲骨の間数が多く短地に鳥獣戯画をあしらったお品を買い求めました。開けば40センチにもなります。うずら織りチリメンの扇子袋と共に立派な桐箱に収められると、もはや立派な贈答品です。普段使いのマイ扇子には勿体ないような代物でした。追加で500円を支払い、名前まで入れて頂きました。

こうして、初めてマイ扇子を手にすると、すぐに使ってみたくなるもの。東博「縄文展」の炎天下の開館待ちに、早速役立ってくれました。涼は扇子自身が運んでくるというよりも、おもむろに扇子袋から扇子を取り出し、ゆったりとした動作で扇ぐという所作から生まれるような気がしました。これぞ雅ではありませんか。