開館初日に漱石山房記念館を訪ねて

待望の新宿区立漱石山房記念館開館の日を迎えました。今朝は早めに朝食を済ませて鞄にスマホと『漱石の思い出』を突っ込み、JR中央線に飛び乗りました。中野で地下鉄東西線に乗り換え早稲田で下車、漱石山房通りを歩いて、現地には開館1時間前に到着しました。ほどなく整理券が配られ12番でした。見知らぬ来館者同士が和気あいあいと漱石について話しているのを聞いて、気分は益々高揚してきます。開館初日に訪れたいと思った文学館は後にも先にも漱石だけでしょう。漱石全集の口絵にも掲載されている下の写真は、漱石居住時の自宅の様子です。

近代日本人作家のなかで一番読み込んでいるのは間違いなく漱石、就職してまもなく刊行された漱石全集(岩波書店刊)(第3刷全18巻)は、身銭を切って手に入れた初めての決定版全集です。『こゝろ』の装幀をそのまま用いた漱石全集の存在感は抜群で、鮮やかなオレンジ地に漢字の文様(石鼓文)が刻まれています。今や書斎の肥やしではありますが、漱石の終の棲家の跡地に本格的な記念館が出来るとあっては、真っ先に駆けつけないわけにはいきません。

想像していたより遥かに広い敷地にモダンな建物(地下1階地上2階)が誕生していました。総工費は12億円、財政力のありそうな新宿区でさえ単年度で予算化は無理だったようです。鏡子夫人の回想によれば敷地はもともと350坪あったそうですから、その上に昭和20年に焼失した旧宅の間取りを載せたような設計プランだったのでしょうか。ガラス張りなので中の様子がよく見えます。正面エントランスの左手にカフェ、右手にはディスプレイ用の開架式書棚、館内入場口、復元漱石山房と続きます。ベランダ式回廊まで復元されていて外から見ているだけで往時の漱石宅を偲ぶことができます。右端には従来からある漱石の胸像、そこから裏手に廻れば猫の供養塔やB1図書館に連なる花壇を見ることができます。入場する前にじっくり外観を眺め、敷地内を歩いてみることをお勧めします。


最大の見所は1階奥の復元された漱石山房(写真左;撮影可)です。漱石の死後、関東大震災が帝都を襲い、やがて第二次世界大戦が始まります。洋書中心の蔵書は高弟小宮豊隆の計らいで東北大学疎開し戦火を免れたものの、残念なことに、漱石山房東京大空襲で焼失してしまいました。記念館開設にあたり、東北大学附属図書館所蔵の蔵書背表紙のレプリカを作成し、書庫、文机、調度品、絨毯、壁紙など当時の写真などを基に忠実に再現したのだそうです。書斎の広さも調査で8畳ではなく10畳だったことが判明したそうです。初日でじっくりその場に観察出来なかったので、近いうちに再訪しようと思っています。記念館としては、可能なかぎり原資料を収集保存したいところでしょうが、神奈川近代文学館東北大学が貴重な資料を手放すはずもありません。代わりに精巧なレプリカが作られているので、来館者の期待に十分応えていると思いました。


2階に移動する階段ところどころに猫のシルエットが現れ、寛いだ雰囲気に包まれます。2階は常設展示、初版本・自筆書簡・人物相関図といった資料に加え、漱石愛用の南蛮柄襦袢など遺愛品も展示されています。地下へ移動すると漱石関連文献を収めた図書室と多目的ホール(新宿ゆかりの作家のビデオ上映中)がありました。

漱石は死ぬまで借家住まいで自分の家を持たずじまいでした。朝日新聞社に就職し職業作家として大成功したにもかかわらず、子供7人と大勢の弟子を抱え、経済的には必ずしも恵まれていなかったようです。(金策がつけば)もっと明るく綺麗な家に住んでみたいと願った漱石は、終焉の地に建てられた採光に優れたこの真新しい記念館を見て一体何を思うのでしょうか。