滝平二郎の世界展@三鷹市美術ギャラリー(〜2017/7/2)

JR三鷹駅南口に直結するCORAL5Fに三鷹市美術ギャラリーがあります。小規模な施設ながら、ユニークで質の高い企画展には定評があります。週末、同ギャラリーで開催中の<色あせない風景 滝平二郎の世界展>に足を運びました。


朝日新聞日曜版一面を長く飾った「きりえ」の連載(1969年以降10年間)の記憶は今も鮮やで、いまだに印象に残る原画の数々を前にして子供の頃の懐かしい思い出が甦ってきました。朝日新聞担当者の提案でそれまで「切り紙」と呼ばれていた技法が「きりえ」と命名され、詩情溢れる絵は圧倒的な読者の支持を得たといいます。連載当時でさえ失われつつあった日本の原風景は、滝平二郎さんの残した「きりえ」のなかでしっかりと息づいていました。縁側で天花粉をはたいてもらっている素っ裸の男の子、金魚鉢を覗きこむ姉弟、あかとんぼが飛び交う秋の夕暮れ(写真は1981年「あかとんぼ」)・・そこには必ず美しい風景と家族の団欒がありました。今や多くは失われた原風景だけに深い郷愁に囚われます。

斎藤隆介さんとの数々の共作絵本の先駆けとなった『八郎』(1967年)の原画の迫力には、ただただ圧倒されました。秋田に住む八郎という大きな山男がちいさな男の子に頼まれて、水害に苦しむ村人を助けようと山を持ち上げ海の水を堰き止め、やがて海に向かって沈んでいくというお話です。斎藤さんの力強い文章と反響しあうようなモノクロの版画には八郎の覚悟が宿っているようでした。大胆に切り取られた余白がただならぬ事態の訪れる予兆を感じさせます。

そんな数々の傑作を残した滝平二郎さんの原動力が過酷な戦争対体験にあったことをまったく知りませんでした。沖縄で米軍が上陸した日に24歳の誕生日を迎えた滝平さんは、捕虜となって九死に生を得たといいます。戦後になって、国家によって従順に飼い馴らされ暗愚と仕立てられた自分に憤りさえ覚えたそうです。

「戦争について私は悲惨さ以外に伝えるものはなにもない」と随筆のなかで語っています。そんな忌まわしい過去へのアンチテーゼとして、ひたすら人間ドラマを描くことに注力した滝平二郎さんは「人間のドラマを抜きにして私の絵を考えることはできません」という言葉を残しています。

戦後復興と引き換えに、美しい日本という国のかたちが壊れてしまったことを思うと、少し切なくほろ苦い思いがこみ上げてきました。