<むかわ竜>発見秘話〜日本初の全身骨格化石発見〜

日本で初めて恐竜の全身骨格化石発見が報じられたのは4月27日。世界的な発見にもかかわらず、翌朝の全国紙の取り扱いは予想外に控え目なものでした。自然科学の分野に関してメディアの反応は総じて芳しくありません。取材源のリリースに依拠した報道ばかりで深堀りした内容が少ないように思えます。理科系のバックグラウンドをもつ有能な記者が少ないせいでしょうか。

詳しい経緯を知りたいと思っていたら、5/7にNHKが丹念な取材を基に「世紀の発見!日本の巨大恐竜」と題するNスぺを放映してくれました。

Nスぺを見て、シーラカンスの発見秘話に匹敵するドラマがあったことを知りました。生物学上、20世紀最大の発見はシーラカンスと云われます。南アのイーストロンドン博物館に勤務する若き女性学芸員マージョリー・コートニー・ラティマーが、トロール船に山積みされた種々雑多の魚のなかから後にシーラカンスと判明する奇妙な姿の魚を見つけ、専門家のスミス教授に鑑定を依頼します。1938年のクリスマスの日から世界が驚愕するようなドラマが始まります。恰も偶然のように見える今回の世紀の発見の背後には、専門的知見を有する研究者のみならずアマチュア研究者や在野の人々の飽くなき探求心と地道な調査があったのです。

最初に恐竜の尻尾の骨が発見されたのはなんと14年前の2003年4月9日のことでした。地元ではよく知られた化石愛好家がリハビリ方々散歩をしているときに崖に露出していた骨を発見したのです。第一発見者となった堀田さんは直ちに懇意の博物館学芸員櫻井さんに連絡して周辺の発掘にあたります。ところが、学芸員は首長竜の骨だと判断して発掘された岩石を収蔵庫にしまい込んでしまいます。

それから7年後、むかわ町穂別博物館を首長竜の研究者佐藤たまきさんが訪れます。第2章の幕開けです。各地の博物館の収蔵庫もフィールドだと言い放つ彼女は、収蔵庫に保管されていたくだんの骨を研究室に持ち帰りクリーニングに着手します。分析の結果、首長竜の骨ではなく恐竜の骨だったことが判明したのです。少々落胆気味の佐藤さんを前に、櫻井さんはそっと拳を握りしめてガッツポーズ。恐竜の空白地帯と呼ばれる日本では恐竜の歯が見つかっただけでも大騒ぎなのですから、尾椎骨が13個(写真下:北大・穂別博物館Press Releaseより引用)も見つかったとなれば櫻井さんの気持ちは否が応でも昂ります。番組後半に登場する小林教授にスポットライトが当たりましたが、蔭の立役者は日本各地の収蔵庫を調査して回る佐藤さんではないでしょうか!

堀田さんから櫻井さんに、そして佐藤たまきさんへと渡されたバトンが、再び櫻井さんのところへ戻ってきて驚愕の第3章がスタートします。櫻井さんは北大の小林准教授(海外で学位をとった日本初の恐竜博士だそうです)と連絡をとってさらに調査を進めることにしました。現地に駆けつけた小林准教授の発した意外な言葉は「続きはどこですか?」でした。


かつて海底だったむかわ町ユーラシア大陸の東岸から10キロの沖合にありました。何らかの理由で、恐竜が沖合に流され海底に埋没し、やがて隆起した地層のなかから骨格化石が見つかったのですから尾椎骨以外の骨も見つかるに違いないと推理します。6000万円の予算が投じられ、発掘範囲を拡げて本格的な発掘作業が開始しました。地道な発掘作業が実って、写真のような8メートルの草食恐竜<むかわ竜>の全身骨格化石が現れました。白亜紀後期約7200万年前のものでした。

ハドロサウルス科の全身が確認されたのは世界でも今回で3例目だそうです。恐竜の死体は化石になる前に食べられてしまう可能性が高い上、仮に地層に埋没しても隆起の過程でバラバラになってしまうので、全身骨格が見つかるのは様々な奇蹟が重なった結果に他なりません。津波や洪水で<むかわ竜>が沖合に流されたのだとしたら、群れで同様の骨格化石が見つかる可能性もあると結んだ番組のその後に注目したいと思います。