プレバトで知った俳句の魅力

録画しておいた1月5日放送の「プレバト!!新春3時間SP」を見て、芸能人の作った句の出来栄えに思わず唸ってしまいました。お題は「新春の富士山」、毒舌先生こと夏井いつき先生によれば、普く知られた題目だけに却って句作が難しいのだそうです。

そんなハードルの高い題目にもかかわらず、特待生諸氏が捻った俳句は玄人はだしの秀作でした。感心した句をいくつか紹介しておきます。

<初日記 とめはねに差す ひかりかな>
新年、日記に臨んで、居住まいを正してとめはねに気を配る様子がよく伝わってきます。初日の出の陽光とも、字面が放つ光ともとれる詠嘆も見事です。

<初富士や 北斎の プルシャンブルー>
北斎と結びつけるところに新鮮味は感じられませんが、北斎の愛した紺青色で締めたことで前衛的な味わいが生まれました。

<御降り(おさがり)の 洗いて清し 富士青し>
御降りという季語は知りませんでした。三が日に降る雨や雪を指すのだそうです。今年の三が日は好天に恵まれましたが、雨は天からの恵み、作物には文字通り慈雨となります。中七、下五と韻を踏んだ点も奏功しています。

わずか17字という世界最短の定型詩が想像以上に奥深い世界なのだと思い知らされます。以前読んだ『俳句の宇宙』には、こんなことが書かれています。

<古典の句は、俳句には十七字の言葉のほかに、言葉にならない「場」というものがあって、俳句の言葉は「場」を前提にしているということを教えてくれる>

<そして、俳句がわかるには、俳句の言葉がわかるだけではなく、その俳句の「場」がわからなければならない。俳句の「場」に参加しなければならない。いいかえると、俳句が通じるためには、作り手と読み手の間に「共通の場」がなければならない>

この「場」とは日本人の魂に深く根ざした自然界だけではなく、近現代になって社会生活が複雑化することに伴って生まれた特殊な「場」も含まれます。職場、病院、介護施設など、実体験を共有する磁場を持ち合わせない人には分かりにくい場所でも俳句が誕生します。ミクロコスモスといっていいかも知れません。

毎年初詣に訪れる深大寺の境内には、中村草田男の句碑があります。学生の頃、教科書で知った実に瑞々しい俳句だったので、初めてその句碑を目にしたときは強い縁を感じました。同時に、草田男が成蹊大学で教鞭を執っていたことも知りました。

<万緑の中や 吾子の歯 生え初むる>

目に眩しい新緑と透き通るように白い吾子の歯の対比は見事としか云い様がありません。新年を迎え、「場」を意識しながら俳句に親しむのも悪くないと思うのでした。