戸田奈津子の字幕に物申す〜「地獄の黙示録」から〜

今年もあと2ヶ月、・・・陽の落ちるのが早いこと!誰が考案した言葉なのか分かりませんが、釣瓶落としの秋とは上手い形容ですね。

深夜、BS朝日でスイスインドアの決勝戦を観戦し終わったあと、地上波に切り替えないでおいたら、翌日、字幕翻訳者で知られる戸田奈津子が出演するトーク番組が始まりました。たまたま、アメリカ映画の名場面で交わされる洒落た表現を紹介した彼女の著作も読んだことがあるので、そのまま視聴することに。

戸田奈津子の字幕翻訳者としての本格的デビューは43歳のとき。フランシス・フォード・コッポラ監督の通訳兼ガイドを務めた縁で、監督から直々に字幕翻訳者として指名を受けた作品が「地獄の黙示録」だったそうです。80歳になった今なお現役で、マット・デイモンの当たり役となった「ジェイソン・ボーン」シリーズ新作の字幕も、彼女が手掛けています。

普段、何気なく目にする字幕には1秒間に3文字という制約があるのだそうです。長い台詞を凝縮した上で意味が通るようにしなくてはならないわけですから、なかなか骨の折れる作業です。番組のなかで、くだんの「地獄の黙示録」に登場する"Terminate with extreme prejudice”の字幕が紹介されました。「抹殺しろ、私情を捨てて・・・」、ここで思わず、誤訳女王とも揶揄される戸田奈津子訳に突っ込みを入れたくなってしまいました。

主人公ウェラード大尉が、上官から、カンボジアのジャングル奥地で秘密帝国を築いているカーツ大佐(マーロン・ブランド)の支配に終止符を打てと極秘指令を受け取る場面です。同胞カーツ大佐の暗殺を仄めかすシーンですから、軍の最高機密を伝達する緊迫した状況に他なりません。直截的に「抹殺しろ」と訳したのでは、上官の発した婉曲的な指令のニュアンスが台無しになってしまいます。

おまけに「地獄の黙示録」には、コンラッドの「闇の奥」という下敷きがあります。「クルツが死んだ!」で知られるエリオットの「荒地」をはじめ、フレイザーの「金枝篇」からは「王殺し」や「犠牲牛の供儀」のシーンが採用されていて、黙示録的・神話的イメージがふんだんに散りばめられています。こうしたメッセージを読み解く上で、字幕は重要な手掛かりでなければなりません。

立花隆氏は『解読「地獄の黙示録」』のなかで、字幕スーパーのあり方について、次のように言及しています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本のそれ(映画評)は、恐ろしく水準が低いものといわざるをえない。・・・中略
日本の洋画界では翻訳のデタラメさが堂々とまかり通るということである。まかり通るどころか、そしばしば、それは洋画のスーパー担当者の誇るべき技術とすらされている。・・・もっとも、これは必ずしも非難さるべきものではない。映画においては、スペースの限界から省略の必要が生じるし、言語的、社会的背景などのちがいから、いいかえの必要も生じる。また翻訳の厳密性などまったく問題にならない映画が多いことも事実である。しかし、この映画も含めて、きわめて重要なセリフの含意が観客に正しく伝わるかどうかが、その映画の鑑賞にとって決定的に重要であることがしばしばあることも事実である。

そして、残念ながら、非常にしばしば映画のスーパーにおいては、それは正しく伝わらないのである。ことに難解といわれる映画において、その例が多い。つまりそうした映画の場合、翻訳者が内容の理解を欠いたまま、単なる職人芸としてスーパーを入れる結果、翻訳者の理解の欠如がそのまま観客の理解の欠如として結果することになるわけだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

やや回りくどい説明でしたが、要は、難解な映画の字幕スーパーを鵜呑みにするなという仰せです。吹き替えともなると正誤の判断がつかなくなる可能性もあるので、洋画は必ず字幕で観ることにしています。上手い翻訳だなと唸るシーンがある一方で、これは頂けないという珍訳・誤訳に気づかされることも間々あります。大事な台詞が訳出されないことさえあります。こうして瑕瑾を見つけるのも、字幕映画のもうひとつの楽しみかも知れません。

男と女のスリリング―映画で覚える恋愛英会話 (集英社文庫)

男と女のスリリング―映画で覚える恋愛英会話 (集英社文庫)