妻から見た漱石の私生活〜NHK土曜ドラマ『夏目漱石の妻』から〜

<夫婦は小説より奇なり>というサブタイトルに偽りはありませんでした。4回連続で放映された『夏目漱石の妻』を観て、随処で泣き笑いさせられました。ドラマが始まる前に漠然と抱いていた配役(特に漱石)への違和感は初回ですぐに払拭されました。漱石と妻鏡子を長谷川博巳さんと尾野真千子さんが熱演してくれたお蔭で、全4回頗る楽しませてもらいました。

鏡子夫人の口述に基づいて松岡譲(漱石の長女筆子の夫)が筆録した『漱石の思い出』(ドラマの原案)、を読んでいなければ、自分もこのドラマの演出にさぞや驚いたことでしょう。なにせ、千円札の肖像にもなった明治の文豪漱石のイメージを根底から覆しかねない内容でしたからね。

年譜の上では、「塩原昌之助の養子となる」(明治7年・漱石8歳)と一行で済ませられる出来事が、漱石のその後の人格形成にいかに深刻な影響を及ぼしたかを、ドラマでは追体験させらることになります。。漱石は夏目家の五男三女の末っ子ですから、当時の時代情況に鑑みれば、養子に出されても何ら不思議ではありません。ところが、父直克は、長男や次男が相次いで結核で死んだために、渋る養父昌之助に養育料240円を支払って、末っ子漱石を夏目家に復籍させます。生後間もない時期に里子に出された漱石には、養子そして復縁という数奇な運命が待ち構えていました。家族の愛情と無縁だった漱石の孤独な心情が痛いほど伝わってきます。

ドラマ最大の見せ場は第3回に訪れます、作家としての高名を耳にした養父昌之助が、突然、漱石宅を訪ねてくる場面です。離縁したときの念書に漱石が迂闊にも「互いに不実不人情にならぬように致したい」と自書してしまったために、落魄した養父から無心を迫られます。幼い頃、欲しいものは何でも与えてくれた養父の変貌ぶりに漱石は動揺を隠せません。復縁に際して夏目と塩原両家の間で書面の遣り取りはあったようですが、漱石の念書はフィクションではないでしょうか。念書の有無はさておいても、漱石は実際に昌之助の執拗な無心に抗しきれず手切れ金として100円渡しています(ドラマでは鏡子夫人がなけなしの生活費から用立てます)。自伝的作品といわれる『道草』を読むと、当時の漱石の心境がよく分かります。漱石の弟子筋からは悪妻として糾弾される鏡子夫人ですが、漱石の複雑な生い立ちに理解を示し、周辺に心を砕いたのは彼女ではなかったのかと思います。漱石の悪態に耐え、ときに子供たちのために漱石に反抗的態度さえ露わにする鏡子夫人の磊落な気性に、視聴者は幾度となく安堵し救われるのです。

帝大を辞して高給で迎えられた朝日新聞社で健筆をふるった漱石ですが、その日常生活は到底順風満帆といえるものではありませんでした。義父のみならず、官職を辞したあと借金に追われる岳父中根重一からも無心をせがまれるようになります。ロンドン留学、帝大講師、そして明治の文豪へという華麗な経歴の蔭で、係累のために金策に追われる漱石と妻鏡子の暮らしぶりに、親近感さえ覚えます

49歳という若さで世を去った漱石の等身大の人生に妻の視点から追ったこのドラマ、傑作だったと思います。番組中に流れたシューベルトの最後のピアノソナタ、第21番第一楽章(田部京子さんの演奏でした)もドラマの巧みな引き立て役でした。トリルの反復が漱石夫婦の日常生活の変化を予兆させる効果を生み、ドラマにぴったりの選曲でした。


漱石の思い出 (文春文庫)

漱石の思い出 (文春文庫)