<涸沢カール>山行(1)〜嘉門次小屋に泊まる〜

涸沢カールをめざすべく、勢力の強い台風18号が本州に迫ろうという最悪のコンディションのなか、10/4に上高地に入りました。参加した小規模ツアーが中止にならなかったため、ひとまず新宿からスーパーあずさ5号に乗り込み、一路松本へ。普段なら、沢渡まで自家用車で向かうのですが、帰路、温泉でビールを飲みたいばかりにツアー参加したことが裏目に出た格好です。

直前に悪天候を嫌った6名がキャンセル、結果、10人(女性7:男性3)でのツアー催行となりました。予想したとおり、登山好きな高齢者ばかり、おそらく50代の自分が最年少。ガイドは2名、リーダーには中年男性があたりサブに30代とおぼしき女性がつきました。


新宿を早めに出発すれば1泊2日の行程で涸沢カール往復は十分可能です。あえて値段の高い2泊3日コースを選んだのは嘉門次小屋に泊まってみたかったからです。小屋の外で岩魚の塩焼きを食べたことはあっても、宿泊できることをご存じの方は少ないかも知れません。同宿の別のパーティにも同じ理由で宿泊する女性登山客がいて、囲炉裏の間でお酒を飲みながら意気投合してしまいました。


この囲炉裏の間が国の登録有形文化財(平静23年10月)に指定されているとは知りませんでした。初代小屋主の上條嘉門次は、日本近代登山の父、ウォルター・ウェストンの山案内人として知られ、ふたりの交遊の証が囲炉裏の壁に掲げられたピッケルと猟銃です。ピッケルはウェストン氏から嘉門次に友情の記念に贈られたものだそうです。

1905年(明治38年)の日本山岳会設立に尽力したのもウェストン氏です。今や観光のメッカの上高地も、1933年(昭和8年)に島々-上高地間の車道が整備されるまでは秘境だったことを忘れてはなりません。それ以前は標高2135メートルの徳本峠(「とくごうとうげ」と読みます)を越えるしかありませんでした。ウェストン氏は徳本峠を延べ11往復し、高村智恵子は峠を越えてウェストン氏と交流をもったそうです。芥川龍之介も『槍ケ型紀行』のなかで峠について触れています。嘉門次小屋投泊は、単なる通過点になりがちな上高地の歴史に思いを馳せるいい機会でした。


零時過ぎ、小屋の外に出てみると満天の星、天の川の美しかったこと。翌朝5時40分過ぎ、小屋から明神岳のモルゲンロートを拝むことができました。今回の山行のいい前触れとなったのでしょうか、結果は日を改めてご報告したいと思います。