映画『エヴェレスト 神々の山嶺』で気になったこと

米国便や欧州便ともなると飛行時間は優に12時間を超えるので、機内でなかなか眠れない搭乗者にとってオンデマンドで好きな時に楽しめる映画プログラムは大変有り難いサービスです。1〜2本観てからアルコールを注文し、ほろ酔い気分で再び数本映画鑑賞するというのが最近のマイパターンです。先日のNYの旅は8月に出国・9月に帰国というスケジュールだったので、機内誌や映画プログラムが月替わりして新作映画がより多く楽しめました。スケジュールさえ許すのなら、月を跨いだ旅行プランがお薦めですね。


機内で観た映画のひとつ、『エヴェレスト 神々の山嶺』に突き動かされて、エベレストの日本人初登頂者のひとり植村直己さんの評伝『植村直己・夢の軌跡』を手にとりました。映画の方は森田勝(故人)という登山家がモデルにこそなっていますが、あくまでフィクション(原作者は夢枕獏)です。ただ、前人未踏のエベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂を目指す主人公羽生丈二の姿は、北極点犬橇単独行を成功させマッキンリー冬期単独登頂をも成し遂げた植村直己とある意味重なるところがあります。


植村直己さんはマッキンリー(現デナリ)冬季単独登頂後に消息を断って帰らぬ人となりました(1984)。享年43歳でした。日本人によるエベレスト初登頂は1970年5月11日、爾来今日まで日本人だけで延べ213人がエベレスト登頂に成功しています。登頂時期は春季の5月に集中しています。今年5月、19歳の女子学生がエベレスト登頂を果たし日本人最年少登頂記録を更新したばかりです。米国やシェルパが主催する商業公募隊に参加すれば、高度なスキルと経験を備えた登山家でなくとも世界最高峰制覇は可能な時代になっています。

大規模なチームを編成して少数の隊員を山頂に送り込む登山法は極地法と呼ばれます。ヒラリーとテンジンのエベレスト世界初登頂も植村直己のエベレスト登頂も極地法に依るものでした。アタック隊から外され後方支援に回ることになった隊員のなかには内心穏やかではいられなかった者もいたはずです。大量の人員と装備を投入するこうした登山スタイルに次第に背を向けていくのが映画の主人公の羽生丈二です。植村直己もエベレスト初登頂後、失敗に終わった日本冬期エベレスト登山隊に加わった以外、すべて単独登攀・単独行を選択しています。21歳のとき、単独登攀で有名な登山家加藤文太郎の著書『単独行』を読んで感銘を受けたといいますから、植村さんの冒険家としてのスタイルはすでにこの頃に固まっていたのかも知れません。

伝記を読んで、世界的冒険家植村直己さんが単独行を選択するようになった理由がようやく分かった気がしました。植村さんが組織のなかの行動に深く思い悩み、束縛されない単独行動の自由を身に染みて感じたという下りが、胸にストンと落ちました。集団行動を避けてリスクの高い単独登攀に挑むことは必ずしも登山家にとってデメリットばかりではないのです。死と隣り合わせの挑戦に伴うリスクをひとりで引き受けることでもたらされる心の安寧安堵には、計り知れないメリットがあるように思います。登山装備の進化も単独行を後押ししています。最近、極地法の対極にあるアルパインスタイル(少人数無酸素登攀)が一流登山家の間で主流になりつつあるのも、功名心から出たハイリスクへの挑戦ではなく、頗る合理性のある選択肢だからではないでしょうか。

植村直己・夢の軌跡

植村直己・夢の軌跡