林芙美子記念館を訪ねて

3連休の初日の土曜日、大江戸線中井駅を起点に終日アトリエ巡りを楽しんできました。散策には、新宿歴史博物館が配布しているウチワの形をした<落合記念館散策マップ>が便利です。コースは林芙美子記念館をスタートして、落合秋艸堂跡(會津八一旧居跡)、佐伯祐三アトリエ記念館、中村彝アトリエ記念館を回ってJR目白駅をめざすということに。所要時間は鑑賞時間も含め約5時間、移動距離は4キロぐらいだったでしょうか。


林芙美子が晩年の10年を過ごした私邸が、現在<新宿区立林芙美子記念館>として公開されています。200冊もの参考書まで読破して芙美子が熱心に取り組んだという家づくり、実際に旧邸を訪れてみてその見事な出来栄えに驚嘆しました。竣工は昭和16(1941)年8月、芙美子と夫緑敏はその年の10月には移り住んだそうです。戦時中で住宅一棟あたりの床面積は30.25坪までという制約があったため、建物二棟が勝手口を挟んで並立しています。庭から見て。左側の棟が夫緑敏のアトリエと芙美子の書庫、右側は客間・茶の間・台所という生活空間になっています。職住が勝手口を境にして上手い具合いに分断されています。戦時中の建築制限が幸いした格好です。

今や、住宅地で和風建築を見かけることは殆どありません。戦時中に焼失することもなく今日まで保存されてきた旧林芙美子邸は、都内屈指の和風建築ではないでしょうか。設計したのは山口文象、ドイツに渡りワルター・グロピウスの下で働き、当時最新のバウハウス建築を目の当たりにし、パリではコルビュジェに面会しているというモダニズム建築を知る建築家でした。一見純和風に映る居宅も動線が機能的に働くようになっていて、和モダンと言い換えた方が良さそうです。「東西南北風が吹き抜ける家」にしたいという施主のたっての希望も実現しています。林芙美子がポリシーを持った施主だったからこそ、素晴らしい建築家に巡り合えたのでしょう。

特に感心したのは門から玄関までのアプローチ。門をくぐって正面に玄関を配置せず、右にむかって回り込むように石段を上ると玄関が現れるという設えです。傾斜地を巧みに利用した配置で、来客はしばし孟宗竹に覆われた空間を楽しむことになります。

林芙美子は京都にも足を運び、家を建てることだけではなく作庭にも関心を抱きます。往時は庭一面に300本近く竹があったそうです。緑敏のアトリエと芙美子の書斎の前にはこぶりの四方竹が植えられていました。竹林にとどまらず、庭には、春夏秋冬、草木が愛でられるように様々な種類の樹々が植わっています。夫緑敏はバラを愛し、彼が裏庭で育てたバラは洋画家梅原龍三郎に届けられ、梅原画伯のバラの絵は緑敏のバラがなければ成立しなかったといいます。林芙美子記念館の受付で「花ごよみ」という小冊子を購入すると、記念館の詳しい植生図を確認することができます。

林芙美子邸はすでに東京都選定歴史的建造物に指定されていますが、国の登録有形文化財になる日もそう遠くないように思いました。