人気ゾウの「はな子」逝く

このところずっと元気のなかったゾウの「はな子」が昨日息を引き取りました(推定69歳だったそうです)。自宅から徒歩数分の散歩エリアにある井の頭自然文化園、ちびっ子には動物園と言ってあげた方が分かり易いでしょう。ライオンやトラといった猛獣が飼育されていない代わりに、昭和レトロの風情漂う遊園地を併設しています。


そんな心和む園内で随一の人気者は「はな子」でした。朝刊が「はな子」の死を大きく取り上げているので吃驚しました。井の頭自然文化園にやってくる前は上野動物園にいたこと、そして戦時中に餓死した「花子」というゾウに因んで「はな子」と名付けられたこと、まったく知りませんでした。ゾウ舎から戦後動物園を訪れる家族連れをずっと眺めてきたというわけです。ゾウの歯は4本の巨大な臼歯、生涯で数度生えかわりますが、歯がすり減って食べられなくなると寿命だと云われています。「はな子」は83年からずっと飼育員が拵えた特別食を食べていたと云いますから、日本一の長寿ゾウでした。これから、「はな子」と会えないと思うと寂しいかぎりです・・・

「はな子」の名前の由来を知って、敗色濃厚となった1943年頃、全国の動物園で行われた猛獣殺処分をめぐる悲話を思い出しました。最初に殺処分が行われたのは上野動物園です。飼育員が断腸の思いで3頭のゾウを毒殺しようとしますが、嗅覚の鋭いゾウは餌に口をつけずやがて餓死してしまいます。『かわいそうなぞう』という物語でよく知られている話です。空襲で都市が攻撃されて猛獣が野放しになれば大変な事態です、おまけに物資が乏しくなって餌の遣り繰りも大変だったことでしょう。やむをえない措置だったとはいえ、動物たちを襲った戦時中の心痛む悲劇でした。殺処分の命令を下したのは初代東京都長官、軍部ではありませんでした。

一方、名古屋にある東山動物園では、戦争末期、園内に駐屯することになった三井高孟という獣医大尉が軍の命令に反して秘かにゾウ舎のそばに餌を運び込みました。軍馬の餌を横流ししたのでしょう。ばれれば軍法会議で銃殺刑ものです。園長はじめ飼育員らが<ゾウは人を襲わない>からと精一杯嘆願したことも奏効したのでしょう。三井大尉の命懸けの行為のお蔭で、戦後荒廃した街に思いがけない幸運をもたらします。


こうして助命されたマカニーとエルドが終戦まで生き延びました。戦争前に279種961いた東山動物園の動物は、2頭のゾウのほかにチンパンジー1匹、カンムリヅル、ハクチョウなどの鳥類約20羽だけだったそうです。「はな子」がタイからやってきた1949年、東京や大阪をはじめ全国から「ぞうれっしゃ」に乗って子供たちが次々と東山動物園に押しかけます。ゾウの背中に乗ったり集合写真を撮ったりと、それはそれは大変な賑わいだったそうです。

ゾウの「はな子」もこのマカニーやエルドと同じように、荒んだ戦後から立ち上がろうとする子供たちを励まし続けてきたに違いありません。