カレン・ブリクセン・ミュージアム

マサイマラ国立保護区の2泊3日の旅を終えると、再びセスナ機でナイロビに戻って、同日深夜にドバイへ移動するという慌ただしい行程。今回の旅はトランジットに伴う待機時間が長くて、時間潰しには苦慮しました。あらかじめ代金支払いを済ませていたジラフセンター以外のオプションは現地手配ということに。

たまたまナイロビ1泊目のホテルが現地旅行会社の手違いで断りなく変更されたので、オファーを受けたフリーランチの代わりにカレン・ブリクセン・ミュージアムへ連れて行ってもらうことにしました(ジラフセンターからは至近距離にありました・・・)。

カレン・ブリクセンがデンマークの作家アイザック・ディネーセンの本名だとご存じの方は少ないのではないでしょうか。アイザックは男姓名ですから別人かと思いますよね。出国前にDVDを借りてきて「愛と哀しみの果て」を改めて観てから現地に赴いたので、彼女が当時使っていた調度品や蔵書を見ることができて感慨ひとしおでした。ミュージアム内部は写真撮影禁止なので、2000ケニアシリング払って英語版ガイドブックを購入しました。レジで裏表紙に入館日のスタンプを押してくれます。


カレンはスウェーデン貴族ブロア・ブリクセンと結婚し1913年にケニアに移住、1931年にデンマークに帰国するまでまで15年あまりをアフリカの地で過ごします。ミュージアムの前身、カレンの住まいは1917年にスウェーデン建築家の手で完成されます。その後、カレンはこの愛すべき住まいでブロアと離別した後も、英国人デニスと友情を温め、動物たちと親しみ、キクユ族やソマリ族、マサイ族といった現地の人々と交流を深めていきます。

映画でも詳らかにされているように、彼女は夫から梅毒(Syphilis)をうつされ生涯病に苦しむことになります。当時、治療に副作用の強いヒ素が使われたのには驚きました。酪農に興味を失った夫ブロアの代わりにカレンはコーヒー農園の経営に注力します。高地でのコービー豆栽培は難しく経営は楽ではなかったようです。ミュージアムの屋外庭園にはコーヒー豆を運んだ荷車などが保存展示されていました。映画の原作"Out of Africa"(邦訳は『アフリカの日々』)は"I had a farm"という書き出しで始まります。ケニアに入植しコーヒー豆栽培に従事した日々の忘れがたき思い出が、ほどなく”Out Of Africa”に結実します。

ミュージアムの維持管理にはデンマーク政府の尽力が少なからずあるそうです。現在のデンマークの50クローネ紙幣には彼女の肖像が使われていることからも分かるように、カレンはデンマークの国民的作家のひとりなのでしょう。アフリカへ足を運ぶきっかけになったのも、翻訳で読んだ『アフリカの日々』でした。一方、20年前に観た『愛と哀しみの果て』(この訳は頂けません!)のストーリーはメリル・ストリープロバート・レッドフォードラブロマンスにフォーカスしたために、原作の味わいを些か損なっているように思います。『アフリカの日々』は村上春樹の『1Q84』BOOK3にも登場しますので、興味のある方は作中で探してみて下さい。

コペンハーゲンから北へ30分程度電車で移動すれば行けるカレン・ブリクセン博物館(カレンの生家を改修)もいずれ訪れてみたいと思っています。