2015年11月大歌舞伎《夜の部》〜『元禄忠臣蔵(仙石屋敷)』と『河内山』〜

11月《夜の部》の初お目見得についてはすでに触れましたので、『勧進帳』を除く2演目の見どころをご紹介したいと思います。

忠臣蔵といえば、歌舞伎の三大名作のひとつ『仮名手本忠臣蔵』が有名ですが、今回の忠臣蔵真山青果作『元禄忠臣蔵(仙石屋敷)』で、新作物とか新歌舞伎と呼ばれるジャンルに含まれます。「仙石屋敷」(昭和13年4月初演)は『元禄忠臣蔵』第9編上の巻にあたり、宿敵吉良上野介の仇討ちを遂げ、四十七士が仙石伯耆守の屋敷に集まり、諸家へのお預けが決まって四散するまでを描きます。

仇討ちを果たした朝、仙石屋敷に赤穂浪士2名が馳せ参じ、伯耆守に仇討ちの経緯を報告します。雪化粧した早朝の仙石屋敷の佇まいと、息を切らさんばかりの浪士のコントラストが冒頭の見どころです。その夜、お屋敷の大広間に次々と現れる浪士たち、舞台に勢揃いした四十七士の姿は圧巻です。実際に討ち入りした浪士たちは火事装束だったと云いますから、雁木模様に統一された装束は後世舞台衣装として完成を見たのでしょう。てんでばらばらの衣装でないからこそ生まれる緊張感が統一された衣装の効果ではないでしょうか。


伯耆守(梅玉)の尋問は、穏やかな雰囲気のなか内蔵助の配下になされます。梅玉の些か軽薄な下問が少し気になりました。その後、次第に場の空気が険しくなって、伯耆守は内蔵助(仁左衛門)に対して徒党を組んでご城下を騒した点を厳しく問い質していきます。これに対して、内蔵助が毅然とした態度で仇討ちに至ったいきさつをする場面が最大の見どころです。新歌舞伎の傑作と云われる所以です。

次に、河内山(こうちやま)宗俊を市川海老蔵が初役で演じた『河内山』について触れておきます。河内山宗俊江戸城で茶道を務める数寄屋坊主。将軍や重役のおそばに侍り大名の弱みさえ耳にできるのをいいことに、上野寛永寺の使僧と身分を偽り、松江出雲守屋敷に乗り込んで金子をまんまと騙し取ろうというのが『河内山』のあらすじです。

作者の河竹黙阿弥は白波作者と呼ばれ、小悪人の「かたり」や「ゆすり」を軽妙に描くことで知られています。白書院での上品な立ち居振る舞いが結びの玄関先で一転、「悪に強きは善にもと」という台詞が館内にこだまします。どちらかというと時代物が好みなのですが、世話物も悪くないと『河内山』を観て考え直したところです。

11月大歌舞伎の4演目、総じて満足できる舞台でした。