『「昭和天皇実録」の謎を解く』を読む

昨年11月、東京書籍が入札(⒕業者が応札したそうです)で『昭和天皇実録』の出版業者に選定され、先月から発売が開始されました。全19巻で、皮切りに1901年から1920年までの出来事が記述された2巻が発売されました。これから順次刊行され、全巻の出版が完結するのは2019年3月の予定だそうです。書店で拾い読みしようとしても、ビニールで覆われていて中を覗くことができません。目下、購入すべきかどうか思案中です(書棚に収納スペースがありません・・・)。

平成生まれが総人口の1/4に近づくなか、まさに<昭和>は遠くなりにけりです。激動の昭和に生を受けた者にとって、この「実録」は待望の正史ということになります。「実録」という名称は、中国の史官が皇帝一代の事績を記録した書物を指す用語で、我が国では明治以降、宮内庁書陵部が編纂に従事しているそうです。

全19巻の購読を検討する最中、絶妙のタイミングで文春新書から『「昭和天皇実録」の謎を解く』というハンディな対談・鼎談形式の検証本が出版されました。昭和史研究の泰斗、半藤一利氏や保坂正康氏らが、幼少時から晩年までの昭和天皇の特筆すべき発言(や行動)の時代背景とその真意に迫ります。

本書を読むと、全19巻のエッセンスを先読みすることができます。先ず、本実録の執筆者が気になりますが、侍従が記した「お日誌」と呼ばれる動静記録や天皇側近の日記など膨大な資料を基に、聞き取り調査も交え、前述の書陵部十数名が編修に関わったとされています。

本書を通読して、再認識させられたのは、軍部や側近が実に巧みに大元帥としての昭和天皇の地位と立憲君主としての立場を利用したという史実でした。奏上にあたっても、天皇には侍従長を通し、大元帥には侍従武官長を通さなければいけないという厳密な線引きがあって、軍部は本来国政であるべき領域をも統帥事項として守備範囲に取り込んでいったのではないでしょうか。そして、昭和天皇が自分のもつこの2つの顔をキチンと自覚しておられ、それ故、ジレンマに苦悩されたという記述が際立って印象に残りました。唯一、軍人として育てられてきた昭和天皇の生い立ちも影響してか、歴史の転換点で国政においても統帥においても陛下が「ノー」と言えない状況を生み出し、その積み重ねが太平洋戦争という未曾有の国難を招くことになったのだと思います。

戦時中、というよりも開戦直後から杉山陸軍参謀総長と永野海軍軍令部総長が相次いで陛下に対して虚偽報告をしていたという事実も実録で詳らかにされています。ミッドウェイで失った4隻の空母のうち2隻が無事だったと上奏されていたりするから驚きです。昭和天皇は太平洋戦争が始まるずっと以前から、軍部の上奏に懐疑的だったのではないかと思えてなりません。終戦間際に、台湾総督も歴任した長谷川清を「海軍戦力査閲使」に任命し、海軍の戦力を調査させているという下りも興味を引きました。重臣も含め信の置ける臣下が少なくなるなか、短波放送を聞いて自ら戦局の分析に取り組む昭和天皇の姿にある種の感銘さえ覚えます。

歴史にIFはありません。賢者は歴史から学び愚者は経験から学ぶと云います。戦後70年の節目に『昭和天皇実録』の刊行が始まったのは偶然でしょうか。これを契機に、昭和という時代を今一度検証し学習し直すべしという警鐘に思えてなりません。保坂氏が本書の後書に記されているとおり、歴代天皇のなかで最も在位期間の長かった昭和天皇の御代に、人類が体験した歴史的事象(戦争・占領統治・飢餓・飽食等)が凝縮されていることを改めて思い知らされました。