歌舞伎座3月公演「菅原伝授手習鑑」を観て

昨夜は去年の11月以来の観劇でした。「菅原伝授手習鑑」の通し上演はなんでも13年ぶりなのだそうです。昼の部では、菅丞相(菅原道真)が藤原時平(役名はしへい)の陰謀で大宰府流罪となるまでの下りを、続いて、夜の部が古稀を迎える白太夫の三つ子を中心に運命に翻弄される人々の物語を紡いでいきます。

世襲によって芸事を承継していくのが梨園の世界。代々、歌舞伎役者は親子でありながらそれとは一線を画した師弟関係を築き、厳しい精進を重ねて(400年以上に及ぶ)歌舞伎の歴史を支える宿命にあります。「菅原伝授手習鑑」の後段を観て、こうした演目が歌舞伎役者によって大切に承継されてきた理由をつくづく思い知らされた気がしました。

賑やかな三兄弟の争いで始まる「車引」から、父白太夫古稀を祝う宴を描く「賀の祝」へと舞台は次第に動から静へと転じていきます。兄弟喧嘩の荒事は影を潜め、観客は死を覚悟した桜丸(菊之助)と氏神へ命乞いに通った父白太夫の胸中を察して息をひそめることになります。舞台の緊張感はいやが上にも昂じていきます。

終幕の「寺子屋」の段で松緑演じる源蔵は、菅秀才を匿う役どころ。寺入りしたばかりの美少年小太郎を菅秀才の身代わりに仕立てるべくその首を刎ねることになる源蔵は、絞り出すような声で<せまじきものは宮仕え>と世の定めを嘆きます。一介の市井人が抗い難き不条理をかろうじて受け容れて忠義を尽くすその場面は、正視に堪えません。お隣のご婦人はハンカチで涙を拭っておられました。

首を刎ねられた小太郎が実は首実検をした松王丸(染五郎)の愛息だったということを、源蔵は後で知ることに。松王丸と妻千代が菅丞相への忠義を果たすために覚悟の上で小太郎を源蔵の元へ寺入りさせたことを知った源蔵夫婦も、涙を隠せません。源蔵から小太郎が莞爾と笑って最期を迎えたと聞いて、松王丸はしばし人目も憚らぬ<泣き笑い>を繰り返します。このお芝居の最大の見せ場ではないでしょうか。

そして、小太郎の亡骸は籠に乗せられ、野辺送りの幕切れとなります。再会を果たした菅秀才母子、白装束に身を包んだ松王丸夫婦、源蔵夫婦の順でご焼香が行われます。いろは送りの義太夫の調べと舞台から漂ってくるお香や残り火のせいでしょうか、舞台と観客が渾然一体となったように感じました。「寺子屋」が単独でもしばしば上演される所以です。

折しも、梅は満開のこの時期にこの演目を観られるとは僥倖でした。まだ昨夜の余韻に浸りながら、昼の部もなんとか時間を都合して一幕見で観ようと思っているところです