漱石の眠る雑司ヶ谷霊園を歩く

100年ぶりの『こころ』の新聞連載が終了したところで、雑司ヶ谷霊園を訪れ、敬愛する夏目漱石永井荷風墓所をお参りしてきました。



『こころ』の主人公「先生」を追って「私」が雑司ヶ谷霊園で先生と遭遇した場面は次のように描写されています。

●「私が始めて其曇りを先生の眉間に認めたのは、雑司ヶ谷の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった」
●「私は其異様な瞬間に、今迄快よく流れてゐた心臓の潮流を一寸鈍らせた。」

先生の親友Kが埋葬された雑司ヶ谷霊園漱石のお墓があります。写真のように安楽椅子を模したお墓で堂々たる佇まいです。鏡子夫人が妹婿の建築士にデザインさせたそうです。墓碑名は漱石の親友菅虎雄が揮毫したものです。後ろへ回ると夏目金之助と刻まれています。

雑司ヶ谷一丁目に住んでいた菊池寛は「夏目さんのお墓は、随分評判のわるいお墓であった。自分で見るとこれじゃ評判のわるいわけだと思った」と酷評していますが・・・・鏡子夫人が漱石に安らかに永眠して欲しいと願って作ったのですから他人がとやかく言うことではないでしょう。

都内では、雑司ヶ谷霊園は明治7年9月1日に開設された青山霊園と並ぶ最古の都立霊園です。広さは青山霊園の約半分(面積約10万㎡)、夏目漱石をはじめ永井荷風竹久夢二(左の写真)、ジョン万次郎、サトウハチローなど多くの文化人がこの地に眠っています。今回はお参りできませんでしたが、A級戦犯として処刑された東条英機のお墓もあります。

北西には池袋が控え高層ビルが目に入ってくる場所に雑司ヶ谷霊園はありますが、山の手線の内側とは思えないほど静かで落ち着いた雰囲気を漂わせています。平坦で歩きやすいので墓マイラーにはお薦めのスポットです。