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「岸田吟香・劉生・麗子」展はイチオシです

先週末、世田谷美術館で開催中の「岸田吟香・劉生・麗子」展に足を運びました。8日(土)午前中は最終日だった「有元利夫展」(小川美術館)を見て、その足で世田谷美術館に向かいました。行き帰りの環八が大渋滞だったので、都合4時間余りハンドルを握った格好です。肉体的には疲労困憊した1日でした・・・

この日は、14時から世田谷美術館酒井忠康氏と岡山県立美術館長の鍵岡正謹氏の対談を聴講したので、対談後に展覧会を鑑賞しました。

愛娘麗子をモデルに数々の傑作を残した岸田劉生の父親吟香(1833-1905)は、実に豪快な人物だったようです。身長180センチ体重90キロの偉丈夫で、幕末から明治にかけて多彩な足跡を残したマルチタレントと云っていいでしょう。ローマ字を考案したヘボン博士に協力して和英辞書を編纂、その後、東京日日新聞(現毎日新聞)の主筆に就いて大衆的人気を博します。

一方、実業家としての顔もあって、銀座に樂善堂という店舗を構え、日本初の液体目薬「精贒水(せいきすい)」の製造販売に着手します。展覧会の目玉のひとつ、錦絵風の引札(今でいう広告ちらし)はユーモアたっぷりの傑作揃いで、見応えがあります。今日の良質な広告物と引き比べても遜色がありません。本来の効能に加え巧みな宣伝効果が奏効し、偽物が出回るほどこの目薬は注目されたそうです。次いで、吟香は氷室商会を設立し北海道から天然氷を運んできて販売する事業にも乗り出します。

晩年は、日清戦争の勃発を契機に度々中国を訪れ、東亜同文書院の設立に助力、中日書院や江漢中学校を創設、教育者としての顔も覗かせます。

傑物というべき父親の存在が、劉生の反骨の画業に多大な影響を与えたことは確かでしょう。吟香は『呉淞日記』(うーすんにっき)と呼ばれる克明な上海滞在記録を残しています。ジャーナリストらしい言文一致の日記で資料的価値が極めて高いといわれています。劉生日記は荷風の『断腸亭日乗』と並び称されるほど評価されていますが、父親譲りだったわけですね。酒井館長は<いい画家はいい日記を残す>と述べておられましたが、ゴヤ、ブレイク、ゴッホ・・・確かに。<劉生に惚れて良かった>という館長の言葉、心に響きました。

往復の道中で疲労しましたが、収穫の大きい展覧会でした。今年イチオシですね。劉生の麗子像や娘に宛てたイラスト入り葉書については、改めてブログで紹介したいと思います。