沢木耕太郎さんの「風立ちぬ」評

朝日夕刊に連載中の「銀の街から」で「風立ちぬ」が大きく取り上げられていました。映画通の沢木耕太郎さんの評価だけに気になるところです。

封切り直後の先月、当ブログでは、宮崎駿最後の作品にしては<がっかり>と書きました。9/15に放映された「プロフェッショナル 仕事の流儀特別編宮崎駿」のなかで、ご自身が「晩節を汚すようなメロドラマになった」と韜晦なさっていたのが印象に残ります。意外に本音かも知れません。「自分の作った映画で泣いたのは初めてです」という試写会後の監督コメントとニュアンスが異なるだけに、監督の心境が計りかねます。

紙面から沢木評を幾つか拾うと次のようになります。

・「(設計技師の飛行機への憧れと菜穂子との出会い)だが、このふたつの要素は、映画のなかで有機的な融合がされていない」
・「あたかも<バリアフリー>」化されてしまった室内のように<段差>が存在しないのだ」
・「主人公の声に物語の起伏を生み出す力がなかった」

試写会後、上映館に足を運び「やはり、これは宮崎駿監督の作品ではない」と結論づけておられます。天才宮崎駿の最後の作品に酷評を下すのは忍び難いわけですが、沢木評は真っ当だと思います。宮崎アニメには必ず優れた物語性が存在しました。ひとつのカゴに扱いのむずかしい2つのテーマを盛ってしまったことが仇となって、作品の完成度が却って貶められる結果に。

監督の年齢や体力気力を承知の上で、「もう一本観たい」というのがファンの偽らざる願望ではないでしょうか。「堪る限り力を尽くして生きるしかないのです」という監督の言葉に期待しています。