戦さを終結させることの難しさ〜会津戦争然り〜

NHK大河ドラマ「八重の桜」を毎週欠かさず見ています。ドラマも中盤に差し掛かり、八重は故郷会津を離れ、米沢の知人宅に身を寄せることになります。

版図をすべて失った会津に比べれば、早々に新政府軍に降伏した奥羽越列藩同盟の盟主米沢の痛手は少なかったようです。1年半に及んだ戊辰戦争において最後まで抵抗を続けた雄藩の末路は想像を絶する厳しいものでした。

家老萱野権兵衛松平容保に代わって責任を一身に被り切腹、そののち会津藩の再興が叶います。しかし、与えられた領地陸奥の国の石高は僅かに3万石、会津28万石の再興にはほど遠い過酷な転地でした。新天地は斗南と命名され会津の残党は下北半島へ移住します。ところが、慣れない農作業と厳しい自然環境に翻弄され餓死する者が続出、会津奪還の夢はあえなく潰えてしまいます。

家老西郷頼母は、幕末、徳川への忠誠を誓う藩是(「家訓15箇条」)に従い京都守護職の大任を引き受けようとする容保を押しとどめようとして、蟄居を命じられます。会津戦争が始まり戦況圧倒的に不利と看破すると、恭順(降伏)を容保に進言し、再び職を追われることになります。

戦争を始めることは容易く終結させることは極めて難しいといいます。会津から遠く離れた都で長きにわたり京都守護職を務めた会津藩が、何故朝敵とされてしまったのか。会津はいつの時点で判断を誤ってしまったのでしょうか、時が巻き戻せるのであれば、大政奉還のときに都を去るべきだったのかも知れません。

首都圏の電力供給のために原発を引き受けた福島県民が原発事故のために大勢疎開を余儀なくされています。幕末に新国家建設のために滅私奉公した会津藩士と今を生きる福島の人たちの姿が、否応なく重なって見えてきます。歴史は繰り返します。

あと半月で終戦記念日です。今日でも、8月15日を敗戦記念日と呼ばない日本人は戦争に負けたという事実をやはり認めたくないのでしょうか。このメンタリティが負け戦をやめることを難しくしています。喉元過ぎれば熱さ忘れる、憲法改正によって軍靴の響きが近づいてこないことを願います。