上賀茂の町並みを歩く

今日の朝日新聞朝刊に掲載された<国の「重伝建」100ヶ所突破>という記事を読んで、昨年暮れに上賀茂神社周辺を散策したことを思い出しました。上賀茂は、産寧坂祇園新橋、嵯峨鳥居本と共に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。京都市内にあるこの4地区に加え、府内には美山町北(山村集落)、伊根浦(漁村)、加悦(製繊)の3地区も重伝建ですが、まだ訪れたことがありません。

粉雪の舞うなか上賀茂神社を参拝したあと、土塀で囲われ風情ある佇まいを見せる町並みを歩いてみることにしました。このあたりは、上賀茂神社世襲神職が住まう社家町(しゃけちょう)として発展し、往時はお屋敷が300軒を数えたといいます。土塀の前を流れるのは賀茂川の分水明神川で、境内に近づくにつれ御手洗川と名を変える禊のための聖なる川だそうです。

この時期は公開されていないので西村家別邸を見ることはできませんでしたが、土産物を商う別のお屋敷に立ち寄ったところ、女将さんがご親切にも邸内を案内して下さいました。女将さんによれば、行政の指導もあって、邸内に風を入れる傍ら軒先で商いを始めたそうです。後継者がいないために空き家となって荒廃に任せる屋敷も多いのだとか。建物は利用されなければその価値は減耗する一方ですから、このお屋敷は女将さんの踏ん張りでかろうじて維持されていると云っていいでしょう。

明神川から邸内に引き込まれた遣り水で早朝から身を清めるのが、先代神職日課だったと女将さんから教わりました。遣り水の奥には苔むした石組みの灯籠が見えますが、日の昇る前に潔斎したので蝋燭の灯りが必要だったのでしょう。上賀茂では今や数少ない遺構だということです。高齢化が進むなか、これからの町並み保存は容易ではありません。手間もコストも掛かる文化財保護の理想的なあり方は、行政の画一的な発想からは生まれそうにありません。地域住民の創意工夫に期待するしかなさそうです。