『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日』を読んで

昨夜から繰り返し放映された民主党現職議員の苦戦を伝えるTV映像のなかで、とりわけ元首相菅直人のどぶ板選挙のあり様は悲惨を通り越して哀れを誘うものでした。菅さんが「もっとも無責任なのは・・・」と言いかけると、聴衆からすかさず「お前だ!」と連呼される始末。次ごうとした先の言葉は原発を推進してきた自民党や東電だったのでしょうか。

首相在任中に未曾有の大地震が東日本全域を襲い、平時では試されることのない危機管理能力を問われることになった菅直人総理、最大の失策は震災直後に現地入りしたことに尽きると思います。東電本社に乗り込んで東電幹部をどなりつけるまでは致し方ないとしても、一国のトップとして次々と決断を迫られる緊急事態に首相が官邸を離れるなどあってはならないことでした。「俺が行く」と叫ぶイラ菅を体張って止める役割を担うべき閣僚や秘書官は一体何をしていたのでしょうか。首相も側近も政治家失格です。

当時の官邸や福島原発の動静を知りたくて本書を手にしました。現地情報が官邸にタイムリーに伝わってこないことに苛立った菅総理は、大震災の翌日早朝6時14分に官邸屋上から福島第一原発に飛び立ったそうです。同行したのは寺田補佐官に班目原子力安全委員長。一時間余りのフライトの間、菅総理は理工系出身の自負からか「俺の質問だけに答えてくれ」と班目委員長の説明を遮ります。結果、専門家から適切なインプットを受けないまま現地入りすることなります。現地で挨拶に現れた東電武藤副社長はいきなり「なぜベントをやらないんだ!」と叱声を浴びせられ接ぎ穂を失います。しかし、免震棟2階の会議室に現場との遣り取りのせいで菅首相に遅れて入室してきた吉田所長は、激昂する菅首相に対して実に冷静に対処します。ベントが思うように捗らない理由を図面を拡げながら具に状況を説明する吉田所長の言葉に耳を傾けるうちに、菅首相は冷静さを取り戻していきます。

「とにかくベントしてくれ」と要求する菅首相に、「もちろん努力しています。決死隊をつくってやっておりますので」と応えた吉田所長の一言が極度に緊張した緊対室の空気を和らげ、経産省の黒田審議官が菅首相福島第二原発に対して「原子力緊急事態宣言」を発する決裁を求めるタイミングを設けました。本来、首相が官邸に留まっていれば避難指示はもっと早く出せたわけです。

千年に一度の有事に首相が官邸を離れ たせいで、吉田所長の機転の効いた計らいですでに現地に到着していた自衛隊の消防車2台は、吉田所長が会議から解放されるまでの間、待機を余儀なくされます。
官邸の能天気ぶりに対して、福島原発の現場スタッフの沈着冷静な対応が際立って映ります。その後、1号機が水素爆発を引き起こし、チェルノブイリを髣髴とさせる最悪の事態も想定されたわけですが、初期の注水活動と現場判断の海水注入が奏功して最悪のチャイナシンドロームは回避できたことになります。

こうして見ると、官邸の過剰介入が混乱に拍車をかけたことは明らかです。しかし、何より残念だったのは、首相を取り巻く側近や官僚或いは原子力ムラの専門家連中がトップに対して肝心の「伝える」努力を怠ったことです。もし彼らが「決死隊」という言葉を使って説明責任を果たした吉田所長のように首相に事態の推移や本質を簡潔に伝えていれば、局面はガラリと変わったと思えてなりません。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日