小説家・随筆家たちのパリ

パリは数えきれない画家たちにインスピレーションを与えただけではなく、ロスト・ジェネレーションと呼ばれる第一次世界大戦後の1920年代にパリで過ごしたアメリカ人小説家にも多大な影響を与えています。ヘミングウェイF・スコット・フィッツジェラルド、そしてジョン・ドス・パソスも同じ時期にパリで暮し、その後、才能を見事に開花させていきます。

ヘミングウェイの『移動祝祭日(A Moveable Feast)』にはパリ時代を回想したエピソードが散りばめられていて、当時の状況を窺い知るにはうってつけの一冊です。アポリネールの『ミラボー橋』と共に、パリを訪れる度に脳裏をよぎる作品です。その扉書きでヘミングウェイは「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」と述べています。60歳を目前にした頃書かれた『移動祝祭日』はヘミングウェイの青春讃歌といっていいでしょう。パリの魅力をこれほど見事に表現した一節を他に知りません。ヘミングウェイと云えば、彼がが愛した仏ワイン、シャトーマルゴーに因んで孫娘の名前がマーゴになったという逸話が有名ですね。

今回の旅行では、ノートル・ダム大聖堂の内部だけなく南塔最上部を目指して螺旋階段を昇りました。天気に恵まれたお蔭で、地上46メートルにあるキマイラの回廊から臨むパリ市街は息を呑む美しさでした。

19世紀にヴィオレ・ル・デュクがデザインしたというシメールが手摺から市街を睥睨しています。個人的な思い入れも手伝っていますが、パリを題材にした日本人の著作の白眉を問われたら、森有正の『遥かなノートル・ダム』や『旅の空の下で』を思い浮かべます。

ふらんすに行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と歌ったのは萩原朔太郎、飛行機に乗って半日もあればパリに行ける現代にあっても、パリが憧憬の地である点は変わりません。慌しいパリ観光で見逃してしまったスポットは数えきれません。次回は、ロスジェネが集ったというカフェで半日ゆったりとした時間を過ごしたいものです。