雅叙園「百段階段」を昇って

目黒区制施行80周年を記念して、目黒雅叙園で「目黒と雅叙園の魅力展」と題する展覧会(〜8/19まで)が開催中です。国の登録有形文化財にも指定されたという「百段階段」をひと目観ようと、ぐずついた天気のなか会場まで足を運びました。

過去、会食で雅叙園を利用する機会が幾度となくあったにもかかわらず、迂闊にも「百段階段」を見逃してきました。今回、初めて「百段階段」(←実際には99段です!)を昇りながら7つの間を観て回って、往時の雅叙園の贅を尽した造りに目を瞠りました。「昭和の竜宮城」と呼ばれるのも宜なる哉です。身近にありながらいつでも観られるとタカを括って無精を重ねてきたことを心底後悔しました。

「百段階段」とは通称で、正確には旧目黒雅叙園3号館にあたり、広大な敷地に拡がる雅叙園にあって現存する唯一の木造建築(昭和10年築)です。「百段階段」の脇には宴席のための部屋(間)が7つ設えてありました。階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、装飾を担当した画家の名前が付されています。なかでも、床柱に樹齢100年を超える槐(えんじゅ)を配し、廻廊下の軒桁には本末同径の磨丸太を使った<草丘の間>が見事でした。眼下には<漁樵の間>の美しい瓦屋根を捉えることが出来ます。



<頂上の間>手前にある<清方の間>の網代天井には圧倒されました。数寄屋風の茶室を思わせる天井の扇面形杉柾板に四季草花が描かれ、欄間の美人画と共にえも言われぬ一体感を醸しだしています。部屋にいて一番落ち着くのは<清方の間>かも知れません。絢爛豪華な部屋に少しうんざりしていたからでしょうか・・・・

石川県から上京し丁稚奉公から身を興した創業者細川力蔵の斬新な発想には感心させられます。昭和初期に部屋ごとに異なる空間演出を着想したのですから。戦前、1日に116組の結婚式を挙行したという不倒の記録があるそうです。太宰治も『佳日』のなかでその盛況ぶりに言及しています。宮崎駿監督は、雅叙園(かつて100人風呂を併設していました)から『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋のイメージを膨らませたと云われています。一部の上流階級だけの楽しみであった料亭を一般庶民に開放しただけではなく、(戦禍を免れ)貴重な文化財を後世に遺した創業者の功績を心から讃えたいと思いました。