国宝「慧可断臂図(えかだんぴず)」の謎

過日、サントリー美術館雪舟等楊作「山水長巻」(国宝)に見惚れていたとき、夢想だにしなかった国宝秘話についてご紹介しておきます。3日前、東京12chの番組「美の巨人」を見て知ったのですが、画聖として評価極まった感さえある雪舟晩年の作「慧可断臂図」が国宝指定されたのは2004年6月だったそうです。それ以外の国宝5点が1950年代の指定だったことに鑑みると些か奇異な印象を受けませんか。

先行して国宝指定された5点はいずれも山水画、「慧可断臂図」だけが達磨太師をモチーフにした禅宗祖師図です。慧可が達磨大師に弟子入りするために左肘を切断して覚悟を見せるという逸話も生々しく描き込まれています。雪舟の真骨頂たる水墨画の本流からは逸脱した作品と看做されたのでしょうか、長く重文に据え置かれたままだったようです。

雪舟のように美術史家の評価が定着し神格化されるようになると、重文を国宝へ昇格させるにも半世紀あまりを必要とするわけです。再評価のきっかけは、雪舟が晩年の作「慧可断臂図」に残した款記印章<「四明天童第一座雪舟行年七十七歳謹図之」(朱文鼎印)「雪舟」(朱文方印)「等楊」>にありました。明の名刹で僧侶としての最高位首座を得たという事実を、30代半ばで相国寺画僧の地位を捨て都落ちした雪舟は是が非でも落款の一部に留めておきたかったのでしょう。地位や名誉といった世俗の価値観とは無縁に見えた画聖雪舟も、生身の人間だったということです。