「『坂の上の坂 』55歳までにやっておきたい55のこと」刊行記念講演会

先週、2003年に東京都初の民間人校長に就任し在任中の5年間にさまざまな教育改革に取り組んだ藤原和博さんの講演会を聴く機会がありました。思いの外収獲があった講演会だったので、かいつまんで内容を紹介しておきます。

巷には<〜歳までにやっておくこと>と題する本が溢れています。よほどの自信家でないかぎり、アラサ―、アラフォー・・・そしてアラカンと齢を重ねるたびに次の10年に備えて何をしておいたらいいかと迷いは尽きないものです。この手の本の読者は元来不安に苛まれているので、出版社の策略に読者はまんまと引っ掛かるという訳です。

バブルが弾け1997年に相次いで金融機関が破綻したとき、潮目が大きくかわったと藤原さんは指摘します。<成長社会>が<成熟社会>へと舵切りを余儀なくされた節目と云い換えてもいいでしょう。与えられた選択肢から正解を選び出すという<情報処理力>ではこうした時代の変化を乗り切ることが難しくなり、正解のない問題にアプローチしたり自ら設問を紡ぎだすような力即ち<情報編集力>が必要とされるようになったのです。藤原さんは本の中で次のように述べています。〜正解のない状況で、どう自分なりに納得でき、関わる他者を納得させられる解を導き出していけるのか。<納得解>を多様に導ける<情報編集力>が問われているのです。

サンデル教授の白熱授業が面白いのも正解がないテーマに取り組んでいるからでしょう。講演の最中にワークショップのセッションがあって、隣に座った初老の男性と<(開発コスト等度外視して)君ならタイヤにどんな付加価値をつけられますか>というテーマについて意見を交換しました。黒いタイヤという既成概念からどれだけ遠ざかることができるかが勝負です。欧米では子供たちが幼いときからこうした訓練を積み重ねているといいます。すぐれた商品の開発にはこうした発想が欠かせません。白やピンクのタイヤをという貧困な発想ではダメで、失笑を買うぐらい突飛な<食べられるタイヤ>という発想がいいのだそうです。

そう云えば、スイスの銀行勤務時にNYで行われた長期研修に参加し驚いたことがありました。講師の通りいっぺんの質問に中堅社員がこぞって手を挙げて答えようとするのです。当時、指された社員の陳腐な答えに講師が満足そうにgoodと応えるのに違和感を覚えたものでした。participationという評価軸があるのも理由ではあるのですが、欧米では子供たちは小さいときから、どんな意見でも言い放つことを良しとする教育を受けています。日本でも小学校の低学年あたりまではそうかも知れませんが、大きくなるにつれて教師が求めている答えにたどり着けない限り意見表明を控えるという態度へと変化していきます。藤原さんは、国際社会で日本が孤立しないために、とりあえず意見表明してあとから修正するという<修正主義>を推奨されていました。

会場には55歳という目標年齢よりも年長の参加者の方が多いように見受けられました。かつて、坂の上の雲をめざして上り詰める過程で寿命が尽きたという幸福な時代がありました。秋山真之漱石も大事を成し遂げ49歳でこの世を去っています。平均余命が80歳を優に超える今、長い坂道をどう下るのか、正解はおろか参考にすべきモデルもありません。とき同じくして出版された五木寛之さんの『下山の思想』も似たような視点から登山より下山の難しさを指摘しています。

金融になぞらえれば人生後半のポートフォリオ、どう構築すべきか、少し真面目に考えてみようと思います。

坂の上の坂

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