旧古河虎之助邸に見る和洋折衷の見事な調和

http://livedoor.blogimg.jp/yanagityou9999/imgs/9/f/9ff816f2.jpgジョサイア・コンドル博士の手になる最晩年の建築、旧古河虎之助邸内部を見学する機会がありました。小高い丘に聳える旧古河邸は美しいバラ園で有名ですが、意匠に富んだ邸宅内部は手入れの行き届いた庭以上に素晴らしいものでした。見学には事前予約が必要なので少し手間ではありますがその甲斐は充分あります。

都内に残る洋館のなかでも一二を争う威風堂々たる旧古河邸には、進駐軍による接収解除後30年余りも放置されてきたという不幸な歴史があります。邸内1階ホールには荒廃の進んだ改修前の全景写真が残されていますが、石造りの外壁は蔦で覆われて幽霊屋敷さながらだったようです。1982年から7年を掛けた修復工事によって往時の佇まいが忠実に復元され、今日、コンドル博士の建築の集大成とも云える旧古河邸の細部を窺うことが出来るというわけです。

http://img.allabout.co.jp/gm/article/25269/1-3.jpg先ず、エントランスでは石造りのアーチに縁どられた両開きの玄関扉が目を引きます。明るいブラウンの木製フレームに艶消しガラスが入り、上部にはステンドグラスが組み込まれています。エントランス全体としては荘厳な印象を醸しながら、アールヌーボー調の玄関扉からはエレガントな雰囲気も感じ取れます。1階ホールは大人数のゲストを出迎えられるようにゆったりとしたスペースが設けられ、白い漆喰壁の上部にはタペストリーを飾ったという真鍮製のバーが造作されています。東側にはビリヤードルームが設えてありサンルームも併設されています。書斎を通り過ぎて南側に進むと視界が一気に拓けて幾何学的に構成されたバラ園が見渡せます。正面中央に朝食をとるスペースが設けられ、西隣の一番大きな部屋がメインダイニングになっています。4㍍に達するかと思える天井には様々な果実や野菜のレリーフが施されています。南北に拡がる広いダイニングで会話する声が反響して聞きとりやすいようにとの配慮から腰壁は少し高く拵えてありました。

贅のかぎりを尽した1階部分を見終わって2階に上がるとさらに目を瞠るような空間が展開します。1階ホールの真上にあたる廊下から天井を見上げると3つに仕切られたトップライトから明るい日差しが差し込んできます。廊下を挟んだ南北の壁には重層的にフレーミングされた木製ドアが並び1階同様洋間を想起させますが、ドアを開けてみればこじんまりとした上がりを挟んで室内は完全な和室。北に面した1番手前の部屋をコンドル博士はチャペルと呼んでいたようですが仏間そのものです。その隣の部屋に入り奥を右に折れると広々とした畳の部屋が拡がります。床の間もあって一族郎党が集まって宴席が出来そうなスペースです。障子の扉を開けると中央廊下正面のドアが現れますので廊下側から見たドアは擬装に他なりません。洋の空間内に和を取り込みながら和洋2つの扉が巧みに結界を構成しています。続く東南角の広くて見晴らしのいい和室がプライベートなリビングに充てられていて真行草の真即ち正格を構成しているそうです。客間ではなくプライベートな空間を優先するという発想は当時の日本人建築家からは決して生まれなかったでしょう。室内の写真撮影が禁止されているので想像して頂くしかないのですが、これほど見事な異なる洋式美の調和は他には見当たりません。この点において、旧古河邸はコンドル博士が遺した40あまりの建築物のなかでも異彩を放つ存在と云えそうです。

施主の希望を取り入れながら和洋折衷の邸宅を実現した建築家ジョサイア・コンドルは竣工3年足らずで急逝することになります。揺籃期の日本建築界をリードすることになる片山東熊や辰野金吾が師事したのもコンドル博士です。復元された三菱1号館やニコライ堂のようなランドマークも素晴らしいのですが、人の暮らしの息吹きが感じられる旧古河男爵邸にはひときわ親近感を抱きました。1時間あまりの見学を終えて洋館から斜面越しに臨めないように設計された日本庭園を散策していると、心字池の向こうに赤く色づいた櫨紅葉(はぜもみじ)が見えました。コンドル博士と7代目小川治兵衛がそれぞれ拵えた洋と和の庭園も違和感なく連なり調和しているように思います。都心にあってこれほど贅沢な空間を愉しめるのですからバラや紅葉に彩られる秋こそ旧古河庭園を訪れたいものです。