『空白の5マイル』、残された秘境に挑んだ冒険の記録

世界最大と云われるチベット・ツアンポー峡谷に挑んだ角幡唯介さんの冒険の記録を読んで久しぶりに巻措くに能はずという感覚に囚われました、良質なノンフィクションには薄っぺらい文学作品にはない魅力と迫力があることを改めて実感します。以前、立花隆が「(学生の時分)内外の文学作品や思想書に傾倒するあまりノンフィクションを小馬鹿にしていた」と後年白状し後悔しているという文章を読んだ記憶があります。自身の読書体験とオーバーラップするので一頻り頷いたことを思い出しました。限られた人生において読むことができる本は限られているのだということを深く胸に刻んで良書選択にあたった方が良さそうです。

『空白の5マイル』は、最大深度6009メートル・全長504.6キロに及ぶ世界最大のツアンポー峡谷に残された前人未踏の地を単独で踏査した記録の書です。ハインリッヒ・ハラ―の"Seven years in Tibet"に触発されて、青蔵鉄道が開通した翌年の2007年に初めて憧憬の地チベット・ラサを訪れて以来、自分自身がチベットの抗い難い魅力の虜にされてきただけに、早稲田の探検部に所属していた作者が『東ヒマラヤ探検史』(金子民雄・1993年連合出版)を読んだことをきっかけに幻の滝を訊ねるという見果てぬ夢に取り憑かれたとしても不思議はありません。一冊の探検記が角幡さんを命懸けの冒険に駆り立てて彼の人生航路を決定づけたという訳です。

ひとりの若者が命の危険を冒すに足りる魅力があると断じたツアンポー峡谷には行く手を阻む過酷な自然が待ち受けます。作者は冒険について<論理をつきつめれば、命の危険があるからこそ冒険には意味があるし、すべてをむき出しにしたら、冒険には危険との対峙という要素しか残らないだろう。冒険者は成功がなかば約束されたような行為には食指を動かされない。不確定要素の強い舞台を自ら選び、そこに飛び込み、その最終的な責任を受け入れ、その代償は命をもって償わなければならないことに納得しているが、それをやりきれないこどだとは考えない>と説明しています。ベユル・ぺマコと呼ばれる伝説の理想郷に作者は艱難辛苦の果てに辿り着いたように思えます。

1951年以降、中華人民共和国の実効支配下にあるチベットでは、チベット仏教にはじまり文化や習慣が悉く蹂躙されてきました。入域が禁止される秘境に無許可で立ち入った作者の最後の関門はやはり中国の警察でした。行く先々の山村でチベット住民の助けを借りて苦境を凌いできたにもかかわらず、皮肉にもチベットの支配者が作者の脱出を阻みます。チベット固有の文化や自然に惹かれて旅行者や探検者がチベットを訪れるのだということを支配者が理解しないかぎりチベットは存亡の淵から逃れることは出来ないでしょう。為政者は自殺行為を日々重ねているように思えます。

後日談があります。角幡さんの新刊『雪男は向こうからやって来た』を読み終えたところで(絶妙のタイミングで)、知人の朝日新聞記者K氏のクレジットが入った<雪男vs山男 イエティ捜索 半世紀>(11月1日朝刊)と題する記事が目に飛び込んできました。角幡さんを2008年のイエティ捜索隊に誘ったのがK氏だったことを同書で知りました。作者同様、イエティの存在に懐疑的だった自分も頁を繰るにつれて何時の間にかイエティ肯定派に与するようなりました。グーグルアースを使ってweb上で世界を鳥瞰出来るようになった今、ヴェールに隠された秘境や自然界の謎が存在するということ自体不思議でなりません。そんな未知なる自然に胸を躍らせるのがロマンであり冒険というものなのでしょう。

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

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雪男は向こうからやって来た

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