原発運転差し止め判決の意義

http://image.blog.livedoor.jp/stop_hamaoka/imgs/2/9/2919266a.jpg北陸電力志賀原発2号機(石川県)が稼働した直後の2006年3月、運転差し止め判決を下した元金沢地裁裁判長井戸謙一さんが頻繁にメディアに登場するようになりました。今年3月依願退官されて彦根で弁護士に転じたからでしょうか、判決前の心境を克明に吐露されています。判決前の重圧を「・・・布団の中で、言い渡し後の反響を考えていると真冬なのに体中から汗が噴き出して、眠れなくなったことがあります」と表現されています。国民の大多数が原発の必要性を容認し原発の専門家が安全性を請け合う情況下、少数派である原告住民の主張に合理性を認め得たとしてもキャリア裁判官が運転差止め判決を下すことは頗る勇気のいることだったでしょう。原発の素人である裁判官が厖大な証拠を読み解き国策に背いてまで下した判決の正当性が今回の福島原発事故で裏付けられました。

判決は次のように述べて原発に具体的危険があると指摘しました。「被告による志賀原発2号機の耐震設計には、i 直下地震の想定が小規模に過ぎる、ii 考慮すべき邑知潟断層帯による地震を考慮していない、iii 原発敷地での地震動を想定する手法である「大崎の方法」に妥当性がない等の問題点があるから、被告の想定を超えた地震動によって本件原発に事故が起こり、原告らが上記被ばくをする具体的可能性があることが認められる。これに対する被告の反証は成功しなかったから、上記の具体的危険があると推認すべきである。」

判決の半年後に政府は耐震設計指針を28年ぶりに改定しています。司法判断が行政をつき動かしたわけです。その後、新指針の妥当性は司法の場で肯んぜられ原発の危険性に対する警戒が弛んだようです。国策に果敢に挑んだ志賀原発の判旨に政府も電力会社も立ち返ってみる時期ではないでしょうか。体制に擦り寄る司法判断が多いなか、裁判官の良心に一縷の希望を繋がずにはいられません。