『きことわ』の世界

活字文化の衰退が叫ばれて久しい昨今、芥川賞受賞作の読者は世の中にどれ位いるものなのでしょうか。金原ひとみと綿谷りさの両才媛が最年少受賞を果たした2004年の文藝春秋掲載号は過去最高の118万部余りを売ったと云いますから、読者を惹きつける話題性さえあれば芥川賞受賞作もまだまだ商材になるのかも知れません。活字フェチを自称し乍ら、最近は芥川賞直木賞の受賞作に目を通すことも少なくなったのですが、華麗な系譜を引っさげて登場した朝吹真理子さんの受賞作は流石に気になって単行本を買い求めました。冒頭で奇妙な題名の種明かしをされると、真っ直ぐに葉山の別荘を舞台にした何処か現実離れした世界へと読者は誘われていきます。焦れったい位のんびりした前半の回想譚のせいで夢幻の空間を浮遊するような感覚に囚われました。中盤を過ぎると貴子(きこ)と永遠子(とわこ)は25年の歳月を経て再会を果たすことになります。幼い頃の浮世離れした日常に時を隔てて避けて通れない現実が覆い被さっていく訳ですが、記憶にへばりついた往時の別荘暮しは決して色褪せません。ひどく退屈な内容なので途中で放り出しかねないと思いながら読み進めました。結局最後まで読み終えたので作者の技有り一本に違いありません。退屈なストーリーよりも寧ろ永遠子の誕生日が雪博士中谷宇吉郎と同じであったり、歳差運動のために北極星を構成する星座が移り変わる話に引き込まれました。現在の北極星こぐま座α星ポラリスは因みに西暦10,200年にははくちょう座α星のデネブに変身します。『きことわ』ワールドの魅力は、主人公の古風な会話の合間に巧みに織り込まれた背景描写やペダンチックな道具立てにあるように思いました。

きことわ

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