投資銀行の鉄則は"Winner Takes All"

黒木亮さんの最新作『獅子のごとく』が米系投資銀行のパートナーまで登りつめた元邦銀マンの常軌を逸した生き様を迫真の筆致で描いています。バブル経済後、不良債権に苦しむ邦銀勢が凋落していくのとは対照的に米系投資銀行が日系の金城湯池に蚕食していく様子は、フィクションでありながら、概ね史実を踏まえて再現されています。

当時、フランス系投資銀行に身を置いていたので、護送船団方式に囚われ不良債権処理に踏み切らない邦銀にもどかしさを感じていたことを思い出します。結局破綻することになった発券銀行の期末window dressingのお手伝いもしましたが、見せかけのBIS対策スキームに懐疑的な審査本部を説得するのに難儀したものです。社内的には精一杯その銀行のために尽力したつもりでも減額承認だったために相手方から罵倒されたこともありました。subject to approvalという条件付きの提案に対するリスクヘッジは容易ではありませんが対策を講じる余裕すらないほど当時の邦銀は追いつめられていたのかも知れません。

本書を読みながらもうひとつ苦い経験が甦ってきました。広義の政府系金融機関の資産証券化を提案しようとカバレッジ担当と共に発行体を訪れたときのことです。発行体の窓口担当者は頻りに円建て債券の引受け実績を訊ねてきます。お飾り程度の実績しかない外資系証券会社にとって実に酷な質問ではありませんか。大蔵省の別動隊と呼ばれた興銀がまだ権勢をふるっていた時期ですので、政府系金融機関の新規ファイナンスの参入条件が外資に著しく不利に設定されていたのです。住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)の証券化ではクレディ・スイスが無償でアドバイザー役を務め、共同主幹事の地位獲得に繋げたようなケースもありました。

投資銀行の内情に詳しい読者であれば主人公逢坂丹のモデルがGSの持田昌典氏だとすぐ分かります。公平な競争を担保するには公平なルールが必要です。従って、歪んだルールの下で戦うにはそれなりの駆け引きや相手方の内部情報収集も許されなければなりません。法令違反は論外ですが、獅子というより蛇蠍の如く太鼓持ちに徹してオーナー企業の社長に取り入ったり大蔵省理財局のノンキャリを籠絡する主人公のアプローチは全否定されるべきではありません。

資本主義の牙城で生き残るためには、"Winner Takes All"と呼ばれる鉄則を肝に銘じておくべきです。金融にとどまらずIT産業やメーカーにおいても勝者一人占めの傾向が強まっています。残酷な勝利の方程式を前にして途方に暮れることのないようにシャイな日本人も時には主人公のようにストリート・スマートに振舞うことも必要でしょう。小説の中ではネガティブな文脈で使われていますが、ストリート・スマートとは本来having the shrewd resourcefulness needed to survive in an urban environmentと定義されます。どの組織にも必ず存在するinternal politicsを上手にマネージする才覚も右資質の一部かも知れません。学校で教わった知識に加え世渡りの知恵も縦横に発揮することがグローバル市場を生き抜く術ではないでしょうか。

獅子のごとく 小説 投資銀行日本人パートナー (100周年書き下ろし)

獅子のごとく 小説 投資銀行日本人パートナー (100周年書き下ろし)