香川照之さんの講演を聞いて« l'essentiel est invisible pour les yeux »

次男が通う学園の文化講演会にOBの香川照之さんが登檀すると知って久しぶりに学園講堂まで足を運びました。例年、学校傍のホテルで開催される文化講演会が今年は香川さんたっての希望で学園講堂に変更されたのだそうです。結婚式も学園のチャペルで挙げた香川さんにとって小中高の12年間を過ごした学び舎は特別の存在なのでしょう。 
客席から檀上に駆け上がった香川さんは開口一番演壇の縁に視線を落し<変わらないんだよな>と懐かしそうに呟いたのでした。直後に来賓席にフランス語を教わったピエール先生を見つけると<カンヌ映画祭で流暢なフランス語スピーチが出来たのも先生のお蔭です>と丁寧に謝辞を述べられました。在学中は帰宅部だったと謙遜される香川さんでしたが、高校卒業時に皆勤賞を受賞されたのですから真面目な学生だったに違いありません。銀幕から滲み出る折り目正しさは母校で身に着けた品格なのでしょうか。保護者だけではなく二階席の在校生にも目配りされてか時折くだけた口調で生徒に語り掛ける段になると、面倒見の良さそうな先輩としての一面が見え隠れするのでした。

昨年度のアカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した『劒岳 点の記』の過酷なロケに触れて、<きつくない絵は美しくない>と断じる木村組のエピソードを幾つか紹介して下さいました。1日9キロにも及ぶ重たい荷物を背負っての行軍や山頂で霧が晴れるまで半日ひたすら辛抱する時間を演壇で振り返りながら、香川さんはスクリーンに切り取られて見えない場面の意味を自問自答されているようでした。待てど暮らせど天候が好転しない最中下山を覚悟した時に訪れた霧の晴れ間に<トイレの神様>ならぬ<無駄の神様>の存在を確信されたそうです。

<楽な道ときつい道があれば迷わずきつい方を選択する>という香川さんの言葉を聞きながら『星の王子様』の<大切なものは、目に見えない>という一節がふと脳裏を過りました。本質は眼では見えないというプリンシプルに忠実だからこそ、彼は役者として成功を収めたのだと思いました。5か月に及んだ剱岳ロケでは命の危険を感じる場面もあったといいます。『坂の上の雲』では脊椎カリエスに病んで斃れた正岡子規の役作りのために過酷な減量に取り組んだそうです。最後に人生を山登りに譬え、<山登りをしているときが一番きついけれど成長しているときなのだ>と大学受験を目前に控えた高三生のために素晴らしいエールを贈ってくれました。スクリーンに映っていない場面を想像しながらもう一度『劒岳 点の記』を観ようと思います。