『坂の上の雲』の抗い難き魅力

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』第2部(4回)の放映がこの日曜日に終わりました。最終篇となる第3部の放映は来年12月、今から待ち遠しくてなりません。数多くの司馬作品が大河ドラマ化されるなか、生前この作品に限って原作者司馬遼太郎は映像化を拒んだそうです。帝国主義が跳梁跋扈し列強による侵略の脅威に絶えず晒された明治という時代閉塞の情況を丹念な調査と取材によって見事な長編小説に仕上げた作者にとって、映像化は至難と思えたからでしょうか。幾多の文学作品が映像化された結果、原作の魅力が減殺され果てに台無しにされた例は枚挙に暇がありません。作者はそれを恐れたのかも知れません。

しかし、昨年からスタートし3年掛かりで放映されることになったドラマ『坂の上の雲』では登場人物ごとにうってつけのキャスティングが編まれていて、原作者が本作品に託した様々な思いは素晴らしい映像作品に結実したと云って差し支えないでしょう。ドラマがスポットライトを当てた四国松山育ちの秋山兄弟と正岡子規が舞台の主役であることは云うまでもありません。渡米する真之に宛てて子規が詠んだ<君を送りて思ふことあり蚊帳で泣く>という送別の句には万感迫るものを感じます。真之自身が発した<本日天気晴朗ナレドモ波高シ>という電文には激動の時代を生きた作戦参謀の覚悟が読み取れます。こうした馥郁たる作品の香気がドラマで一層際立ったように思えます。原作『坂の上の雲』には日露戦争を勝利に導いた高級将校や政治家のみならず夥しい数の人物が登場します。数えたことはありませんが市井の人も加えれば優に1000人を超えるでしょう。ドラマの第9回で壮絶な死を遂げた広瀬中佐とその恋人アリアズナ、子規の看護に身を捧げた正岡律、戦費調達に奔走した高橋是清ルーズベルトに和平仲介を迫る金子堅太郎、ロシアの反政府勢力を支援した明石元二郎、三八式歩兵銃の原型を考案した有坂成章などなど、脇役という言葉では到底語り尽くせない魅力的な登場人物達が『坂の上の雲』の紙価を高めていることも忘れてはなりません。敬愛する半藤一利さんが指摘するように軍国主義に走った大日本帝国にあって悪しき精神主義に囚われず合理主義を貫いた軍人の多くは維新時に迫害された佐幕派だったようです。以下に紹介する『「坂の上の雲」人物読本』(文春文庫)は原作を読み解くための格好の羅針盤となるでしょう。