『悪人』を観て思うこと

「最愛の人が奪われたとき、あなたはどうしますか?」と問い尋ねた映画(東野圭吾原作)『さまよう刃』のシーンが幾度となく脳裏をフラッシュバックしました。モントリオール映画祭で最優秀女優賞を受賞した光代役の深津絵里さんの演技は掛け値なく素晴らしかったのですが、逃避行を続けるふたりと云うよりも、被害者の父親役の柄本明さんが登場したあたりから被害者の肉親への感情移入が始まり次第にコントロールが効かなくなってしまいました。結局、ラストまで被害者の肉親の視点で殺人事件の顛末を追体験することになりました。柄本明さん演じる悲憤慷慨する父親は映画の中盤から『さまよう刃』の寺尾聰演じる被害者の父親と二重写しになって哀しいエンディングを覚悟したのですが、『悪人』は異なる結末を用意して加害者と被害者の肉親に生き続けることを選択させました。この映画を観て<人はどんなに悲しいことがあっても生きていかなくてはいけない>という当たり前の事実に改めて気付かされました。最愛の人を喪ったあとも『悪人』の登場人物は静かに元の日常生活に戻っていくのでした。帰る場所があるからこそ人は生きる場所を得る、灯台退息所の漆喰の壁にふたりが描いた理想の家に一縷の望みを託したい。

悪人

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