必見:「ヒトラーへの285枚の葉書」原題”Alone in Berlin”)


2017年に公開された「ヒトラーへの285枚の葉書」をWOWOW で視聴。第二次世界大戦中、ヒトラーのお膝元ベルリンで現実に起きた事件を基に制作された映画と知って、先ず驚かされ、その衝撃的な内容に深く心を揺さぶられました。近年公開されたナチスドイツをテーマとする一連の映画群のなかでも、白眉だと思います。日本で公開された当時、メディアの取り上げ方がいまひとつだったのが残念でなりません。

主人公はクヴァンゲル夫妻。若いドイツ人兵士が銃撃されて落命するシーンから映画は始まります。その兵士こそ夫妻のひとり息子でした。息子の死を知らせる一枚の軍事郵便が夫妻に届き、その瞬間から二人の暮らしは一変します。

夫のオットーは家具工場の職工長。妻アンナ(エマ・トンプソン)が自暴自棄になって生きていても仕方がないと言い出し、オットーは嗚咽したいような悲しみを押しとどめ、独り思案します。仕事を終えて帰宅したある日、オットーは筆跡を隠しながらポストカードを認め、並行して木彫を始めます。<総統は私の息子を殺した>と書いたポストカードを、オットーはとある建物の階段にそっと置いて立ち去ります。これを皮切りに次々とポストカードが認められ、街中の様々な場所に置き去られます。やがて、<ヒトラー政権で、平和は訪れない>、<自分を信じろ。ヒトラーを信じるな>とその内容は、檄文にまで発展していきます。これを拾った市民は、戦時下の規則に従い警察に届けますが、警察の必死の捜査にもかかわらずなかなか犯人オットーを逮捕できません。責任者のエシャリヒ警部は親衛隊から不手際を詰られ、次第に追い詰められていきます。エシャリヒ警部の執務室に貼られた地図は、ポストカードの発見場所を示すフラッグで埋め尽くされ、追手の焦燥感と苛立ちはクライマックスへ。

オットーが書いた体制批判の手紙は総計285枚。回収されなかったのはわずか18枚でした。今日のような一億総監視社会では到底あり得ないオットーのフライヤー作戦は、親衛隊と警察を真っ向から敵に回すことになります。ふたりの運命、その衝撃の結末を知りたい方は、是非DVDを借りてご鑑賞下さい。冒頭の青い空が結末の空に繋がります。

当時、ベルリンではナチスドイツが占領した国々でホロコーストを実行していたことをどれだけの市民が知っていたのでしょうか。敗戦まで最も前線から遠く安全な地ベルリンで、ひとり息子を喪った平凡な夫婦が時代の空気に異変を感じ、目覚め、命懸けの挙に出たわけです。日本同様、同盟国ドイツでもメディアや市民は臆病な沈黙を保ったままでした。総沈黙の社会にあって、命を顧みず行動した夫妻の勇気を讃えるにふさわしい言葉が浮かびません。息子の誕生日を祝う夫妻のテーブルには、蝋燭とともに完成した息子ハンスの頭像がありました(写真下)。この映画は、老境を迎えたオットーと妻アンナの愛情物語でもあるわけです。

原作はドイツ人作家ハンス・ファラダが1947年にゲシュタポの記録に基づいて書いた『ベルリンに一人死す』が、2009年に英訳され一気に世界中で注目されたようです。若い兵士の名前がハンスなのは偶然でしょうか。フリープレス、言論の自由が危機に瀕したとき、民主主義はいともあっけなく崩壊します。歴史はそれを証明しています。今の日本にその萌芽がないとは決して言い切れません。