タトゥーの記憶を呼び覚ます映画「手紙は憶えている」(原題:Remember)

つい最近、英国朝刊紙のデーリー・テレグラフのオンライン版で配信されたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で生まれた入れ墨係と少女との出会いの記事を読んで、「手紙は憶えている」という映画を紹介してみたくなりました。2016年に公開されたホロコーストをテーマにしたサスペンス映画(ドイツ・カナダ合作)です。主演のクリストファー・プラマーはカナダのトロント出身です。

強制収容所に収容された人々の前腕部には必ずタトゥーで囚人番号が刻まれました。囚人管理にあたって、先端に針を施した器具を使って入れ墨を施すという残虐な手段が採られたのはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だけでした。消し去ることのできないタトゥーは、かろうじて戦中戦後を生き抜いた被収容者の身体に強烈な負の記憶を刻んだまま、その人の人生に寄り添うことになるのです。

映画の主人公は最愛の妻に先立たれ老人介護施設で暮らすゼヴ、物忘れが激しくなった90歳の老人です。彼の腕には忌まわしき囚人番号が刻まれています。アウシュビィッツでの過酷な体験を共有する旧知の友人マックスがしたためた手紙に従って、彼らの家族の命を奪った偽名で暮らす元SS隊員の行方を探す旅にでます。車椅子暮らしで身体の不自由なマックスはまだ立って動けるゼヴに復讐を託した格好です。

ホロコーストを扱った映画は数え切れませんが、90歳で認知症を患う高齢者が元ナチスを追跡するという設定は前例がありません。妻の死すら忘却してしまうゼヴは行く先々で周囲の人々から救いの手を差し伸べられます。庇護されるような存在のゼヴが銃砲店でピストルを購入しても依然頼りなさに変化はありません。

強制収容所の凄惨なシーンは一切登場しませんが、訪ね歩く旅のなかで強制収容所に移送されたのはユダヤ人だけではなかったことや手紙を朗読する女の子の台詞を通して失われつつある強制収容所の記憶を浮かび上がらせようとします。

大方の観客の予想を裏切る結末はまさにどんでん返し。映画はゆっくりと時を刻みながら、ラストで封印された記憶がフラッシュバックのように甦ります。ゼヴはこうつぶやきます、”I remember” 心の深奥の記憶は決して塗り替えられないという現実を突きつけられる瞬間です。