<悪魔の証明>〜痴漢の嫌疑をうけたら逃げ恥じゃない!〜

5月15日午後8時15分頃、東急田園都市線青葉台駅で痴漢を疑われた30代ぐらいの男性が線路に飛び降り、直後にホームに入ってきた下り電車にはねられ即死しました。現場で目撃した人の証言では「(痴漢をやったのは)自分じゃない」と訴えていたそうです。

痴漢の嫌疑をかけられた人が危険をかえりみず線路内に侵入し、逃走するというケースが最近あとを絶ちません。もし、自分が列車内で痴漢と誤認されて周囲の乗客に取り押さえられようとしたら、おそらくその場を一目散で立ち去ろうとするでしょう。正義は我にあるわけですから、当然です。

古代ローマでは、土地の所有権帰属を証明することはきわめて困難だったことから、逐一立証不能な譬えとして<悪魔の証明>(probatio diabolicaa)という言葉が使われます。「(痴漢を)しなかった」ことを証明するのも同様に至難です。悪魔の証明と云われる所以です。

刑事事件になった場合、立証責任は検察にあります。しかし、被害者女性の証言に加え、周囲の男性が嫌疑をかけられた人の腕をつかんで「こいつだ!」と叫ばれると、状況は誤認された人にとって著しく不利になります。検察が立件すれば99%有罪です。家族を抱えるサラリーマンだった場合、破廉恥犯罪を犯したとなると社会的立場も地に堕ちること必定です。

2011年12月、三鷹で路線バス車内で痴漢をはたらいたとして東京都迷惑防止条例違反で起訴された中学校教諭の男性Tさんのことを思い出します。一審は有罪(罰金40万円)、無罪を訴える支援者が最寄り駅の街頭で署名を集めていたので協力しました。Tさんは自白を拒んだため立件されたのでしょう。事件当時、交際相手の女性に右手でメールを打っていたといいます。左手は吊革を掴んでいたので犯行は不可能という論理的帰結を二審東京高裁が導き、逆転無罪となりました。

身柄拘束は28日間、無罪判決まで2年半もの間、刑事被告人という屈辱的な立場に置かれたTさんは、無罪判決後、「何が起きているのかわからなかった。なんでこんな目に遭うのかと思って、警察の留置場で涙を流した。なんでこんなにつらい思いをするのかと、釈放されてからも1週間は部屋に引きこもっていた」と当時を振り返りました。早期釈放をちらつかされても断固として無罪主張を貫いたTさんは本当に立派だったと思います。女性は「弱者」だという社会通念に囚われてTさんを追いつめた警察も司法もとんでもない過ちを犯したことになります。

「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」、この法諺を司法に関わる人は肝に銘じて欲しいものです。


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