NHKスペシャルドラマ「東京裁判」(1〜4話)の摘録

先週12日から4夜連続で放映されたNHKスペシャルドラマ「東京裁判」は、極東国際軍事裁判(以下、「東京裁判」)のために来日した判事11名の2年半に及ぶ格闘を描いたものです。裁かれることになったA級戦犯ではなく、人種も国籍も異なる判事ひとりひとりに焦点を当てた点が頗る斬新な切り口だったと思います。このドラマはカナダとオランダのスタッフとの共同制作で、判事の日記や手記まで丹念に調査したのだそうです。実に興味深い内容で全篇を視聴させて頂きました。バラエティばかりの民放と違って、NHKスペシャルのクオリティは総じて高く、スタッフの着眼点にはいつも敬服させられます。今回のドラマでは、モノクロのオリジナルフィルムにカラー着色が施された結果、ドラマとフィルムに残った映像が見事にシンクロしていました。


東京裁判の判事といえば、真っ先に被告全員の無罪を主張したインド代表判事パル博士(日本ではパールと博士とも呼ばれますが、NHKベンガル語表記)を思い浮かべます。2005年に靖国神社の奥まった場所に顕彰碑が建てられてまもない頃、現地を訪れた記憶があります。パル判事は決して日本陸海軍の侵略戦争を是としたわけでも日本政府の立場を擁護したわけでもなく、あくまで事後法による裁きは不当だと主張しただけです。ウェッブ裁判長とパル判事以外の判事の戦争犯罪に対する見方や判事同士の主張の食い違い等までは深く理解していなかったので、法廷外で判決に至る2年半の間にかくもドラマチックな論戦があったとは正直驚きました。

東京裁判は、1946年1月19日付けで発効した極東国際軍事裁判所条例(以下、「憲章」)に基づいて進められました。東京裁判に先立って行われたニュルンベルク裁判を踏襲して、憲章第5条で平和ニ対スル罪、通例ノ戦争犯罪、人道ニ対スル罪が規定され、各罪状について共同謀議の責任も追及する体裁をとっています。


平和に対する罪は、侵略戦争に対する罪と言い換えることができます。日本も調印したパリ不戦条約に規定されていなかったために、判事の間で喧喧囂囂の議論が沸き起こります。米代表判事のクレイマー氏(突如帰国したヒギンズ判事の後任)やフィリピン代表判事のハラニーリャ氏はあくまでも憲章の遵守を主張し、多数派工作を始めます。来日当初の和気あいあいのムードは次第に険しいものへと変化していきます。当初のA級戦犯リストから2名が入れ替えられたのはソ連検事団の意向でした。結果、真崎甚三郎と阿部信行が外れ、重光葵梅津美治郎が加えられます。連合国側の報復と見做される余地があると指摘した最年少のオランダ代表判事レーリンクの意見は一顧だにされませんでした。そして、オランダ政府代表部から絶えず圧力をかけられるようになります。アジア最大の戦争被害国中国はウェッブ裁判長に着席順の変更を迫ったりと、戦勝国側の判事の様々な思惑が一気に噴出した格好です。

やがて、判決のときが迫るとと、多数派は執務室に籠もり、大勢のタイピストを使ってウェッブ裁判長の頭越しに判決書を作成して、裁判長に手交し受け容れを迫ります。量刑こそ判事の多数決で決しましたが、判決理由は多数派の意向が罷り通ってしまいます。2年半かけた裁判はここに結審し、判決文は頁数にして1212頁、言い渡しに7日を要したといいます。収まらないフランス代表判事やオランダ代表判事らが長文の反対意見書をしたため、これを合わせると判決書(国立公文書館で4つの個別意見書原本が保管されています)は2800頁を超えることになります。<人は戦争を裁くことが出来るのか>という問いかけに対して、パル判事は、「国際社会は戦争を犯罪と考えらえる段階に達していないので、個人を裁判にかけて有罪とすることはできない」と終始東京裁判そのものに懐疑的でした。城山三郎の『落日燃ゆ』で知られる広田弘毅元首相・外相(南京事件当時)は、6:5で死刑賛成派が上回り、文官でひとり絞首刑に処せられました。法廷で一切弁明をしなかったことも災いしたのかも知れません。辞職するという選択肢がありながら全会一致の閣議に加わった以上不作為の罪に問えるとする多数派の主張に、レーリンク判事は抗うことができなかったのだと反論します。判決後も広田の減刑をマッカーサ元帥に嘆願しましたが、甲斐なく死刑は執行されてしまいます。

実に後味の悪い結末ではありませんか。起訴は昭和天皇の誕生日になされ死刑執行は今上天皇の誕生日になされました。2年半を振り返れば、昭和天皇の訴追を見送った時点からニュルンベルク裁判の流れを受けて、戦争犯罪人の何名かを絞首刑にすることが決まっていたわけです。誰を絞首刑にするかは専ら恣意的な投票に委ねられました。連合国側の正義を再確認するために茶番に等しい東京裁判が行われたのだと受け止めるしかありません。ただ、清瀬弁護士が裁判冒頭からウェッブ裁判長の忌避を申し立てたりブレイクニー弁護人がパリ不戦条約違反を主張したりと、A級戦犯に反論の機会が与えられたことは評価できます。一方、5702人のBC級戦犯はイギリスやオランダを中心にもっと簡略な手続きで裁かれ、948人に対して死刑が執行されています。釈明や反論の機会を殆ど与えられなかった彼らこそ理不尽な軍事裁判の犠牲者かも知れません。