パリ・グルマンの食材探し

パリ滞在中、殆ど毎日、夕刻からギャラリー・ラファイエットの食料品売り場を見て回りました。平日は20:00まで営業しているので、1日の観光が済んだ後の空き時間を有効に使ってショッピングできること請け合いです。地下に食品売り場を配置する日本の百貨店と違って、ラファイエットの食品館は2階、7区にある世界最古の百貨店ボン・マルシェ(パリマダムご用達)の食料品売り場は1階にあります。新宿伊勢丹のように洗練された売り場とは言えませんが、本場だけあって、チーズやワインの品揃えは垂涎ものです。

売り場のレジは仕事帰りのOLや観光客で溢れ大繁盛でした。日本で手に入らない食材を中心に物色し、鴨のコンフィやフォアグラの缶詰に加え、量り売りのチーズとバターを買い求めました。熟成年次第ではありますが、フランスで最も消費量の多いコンテは日本の1/10の価格で手に入ります。エスカルゴの缶詰にも惹かれましたが家族の反対にあって断念。ワインは重たい上にボトルが割れ易いので、日本では珍しい銘柄のドゥミ(ハーフボトル)を買って、現地ホテルでチーズを肴に飲み干しました。下手なレストランに行くより遥かに贅沢な食事が楽しめます。

戦利品の一部を写真でご紹介しておきます。シャルルドゴール空港の免税店でもコンフィやリエットの缶詰は手に入りますが、バターはありません。エシレであれば丸の内にショップがありますが、世界一美味いと評判のボルディエ(Bordier)バターは日本では入手困難です。パリ最終日にボルディエを買って携行することをお薦めします。海藻入りバターは絶品です。夏でも機内荷物庫は相当冷えているので、工夫すれば溶かさず持ち込めます。

フランス語がさっぱりでも、次の単語くらいはメモしておいて陳列棚を見て回るといいでしょう。

ガチョウ:oie
鴨:canard
子羊: agneau
子牛:veau
フォアグラ:foie gras

小説家・随筆家たちのパリ

パリは数えきれない画家たちにインスピレーションを与えただけではなく、ロスト・ジェネレーションと呼ばれる第一次世界大戦後の1920年代にパリで過ごしたアメリカ人小説家にも多大な影響を与えています。ヘミングウェイF・スコット・フィッツジェラルド、そしてジョン・ドス・パソスも同じ時期にパリで暮し、その後、才能を見事に開花させていきます。

ヘミングウェイの『移動祝祭日(A Moveable Feast)』にはパリ時代を回想したエピソードが散りばめられていて、当時の状況を窺い知るにはうってつけの一冊です。アポリネールの『ミラボー橋』と共に、パリを訪れる度に脳裏をよぎる作品です。その扉書きでヘミングウェイは「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」と述べています。60歳を目前にした頃書かれた『移動祝祭日』はヘミングウェイの青春讃歌といっていいでしょう。パリの魅力をこれほど見事に表現した一節を他に知りません。ヘミングウェイと云えば、彼がが愛した仏ワイン、シャトーマルゴーに因んで孫娘の名前がマーゴになったという逸話が有名ですね。

今回の旅行では、ノートル・ダム大聖堂の内部だけなく南塔最上部を目指して螺旋階段を昇りました。天気に恵まれたお蔭で、地上46メートルにあるキマイラの回廊から臨むパリ市街は息を呑む美しさでした。

19世紀にヴィオレ・ル・デュクがデザインしたというシメールが手摺から市街を睥睨しています。個人的な思い入れも手伝っていますが、パリを題材にした日本人の著作の白眉を問われたら、森有正の『遥かなノートル・ダム』や『旅の空の下で』を思い浮かべます。

ふらんすに行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と歌ったのは萩原朔太郎、飛行機に乗って半日もあればパリに行ける現代にあっても、パリが憧憬の地である点は変わりません。慌しいパリ観光で見逃してしまったスポットは数えきれません。次回は、ロスジェネが集ったというカフェで半日ゆったりとした時間を過ごしたいものです。