83歳・堀江謙一さんのヨット単独無寄港太平洋横断から学ぶこと

6月4日、83歳の堀江謙一さんが単独無寄港で太平洋横断に成功し紀伊水道のゴールに戻ってきました。出発地は米サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ下、距離にして約8500km、69日を要した長い航海でした。80歳を超えてもやまない挑戦心と情熱には脱帽するしかありません。同時に、今回の偉業達成は、堀江さん自身が60年前に成し遂げた世界初・単独無寄港太平洋横断の耀きを格段に昂めてくれたように思うのです。その点を掘り下げてみたいと思います。

60年前、23歳の堀江さんは小型ヨット・<マーメイド号>で西宮港を出発、94日間をかけて世界初の偉業・単独無寄港太平洋横断に成功します。ヨットによる出国が認められなかった当時、堀江さんの挑戦は法に抵触する「密出国」にあたり、海上保安部は彼の行為を厳しく指弾したそうです。ところが、到着地サンフランシスコの市長が「コロンブスもパスポートは省略した」と彼の偉業を讃え、名誉市民として受け入れたことで状況は一変。国内メディアは掌返しで偉業を賞賛するようになりました。そんな世間の狂騒とは対照的に、堀江さんは全長わずか5.8mの<マーメイド号>のなかで、来る日も来る日も孤独な戦いを続けていたのです。当時の航海日誌に基づいて書かれた著書『太平洋ひとりぼっち』(角川文庫)を読むと、今回の挑戦とは異なる厳しい環境に先ず驚愕させられます。そして、周到極まる準備あっての偉業達成だったことが分かります。

1962年当時、通信機器や電源は一切なく、現在地を確認する術は六分儀や羅針盤に頼るしかありません。60年経った今、堀江さんの小型ヨット<サントリーマーメイドIII号>には、衛星携帯電話やアマチュア無線など通信機器が完備され、現在地はGPSで正確に割り出せるようになったのです。日本経済新聞の見出しに『洋上「ひとりぼっち」じゃない』とありましたが、実に的確な喩えです。ほかにも、照明は灯油ランプからLEDランプにとって代わられ、情報機器のラジオにスマホが加わりました。飯盒炊飯だった主食の米300合は湯煎で済む168食分のパックライスとなり、調理時間も大幅に短縮されたはずです。一方、積み込まれた飲料水は68ℓから144ℓへと倍増しています。生命線に等しい飲料水の消費を60年前は相当に切り詰めていたことが分かります。長足の進化を遂げたハイテク機器の登場や「チーム堀江」の支えもあって、航海日数は94日間から69日間へと1ヵ月弱も短縮されたのです。

久しぶりに、日本を代表する登山家であり冒険家でもあった植村直己さんの『青春を山に賭けて』(文春文庫)を読んでいる最中に、堀江さんの偉業達成のニュースが飛び込んできました。堀江さんと故・植村直己さんは旧知の仲だったそうです。おふたりの青春の記録である著書に通底するのは、失敗から学び挑戦を諦めない姿勢に他なりません。探検家でありノンフィクション作家である角幡唯介さんは、著書『旅人の表現術』(集英社)のなかで、冒険についてこんな風に綴っています。私たち現代人は、無意識のうちに日常から死を遠ざけることで、死と対峙してはじめて耀く生があることを忘れかけているのかも知れません。

「冒険とは、死を自らの生の中に取り込むための作法である。人は冒険を経験するということによって、現代の都市生活から切り離されたところにある死と明確な契りを結ぶことができる。そのため、ひとたび冒険を経験すると、その人は以前と同じような感覚で日常生活を送ることが難しくなる。冒険の現場で達成されていた自然との命の駆け引きに比べると、どうしても日常のあらゆる経験が一段、価値の引くことであるように感じられ、どうでもいいことのように思えてくる。」

由布岳のお鉢めぐりはスリル満点~<西峰>から<東峰>へ時計回りのお鉢めぐり~

梅雨入りを控えた5月下旬から6月初旬にかけて、九州各地の高山に自生するミヤマキリシマが見頃を迎えます。先週末、羽田空港から朝イチの便で大分空港入りし、初日は由布岳、2日目はくじゅう連山まで遠征しました。山一面がピンクに染まるこの時期、くじゅう連山をはじめ九州を代表する山々を大勢の登山客が訪れます。

初日は抜けるような青空が広がり絶好の登山日和。山の神様に思わず手を合わせてしまいました。正面登山口は駐車場やトイレが整備され、眼前にめざす豊後富士こと由布岳の頂きがあります。その存在感たるや、名実ともに郷土富士にふさわしいものでした。<合野越(ごうやごし)>でひと息ついたら、山頂へのアプローチポイント<マタエ>まで約1時間です。途中で右手から視界が拓け、眼下に<飯盛ヶ城(いもりがじょう)>や湯布院温泉街が一望できます。鮮やかな新緑を目に焼きつけながら、緩やかなスロープを進めば<マタエ>に到着です。

そこから右手へ進めば<東峰>、左手へ進めば<西峰>です。今回の由布岳登山のちょうど1週間前、登山客7人を引率していたツアーガイドの男性(60歳)が由布岳山頂付近から約10メートル滑落し死亡したというニュースが耳に入りました。<マタエ>までは危険な箇所はなく、由布岳の難所は<マタエ>を起点に西峰から東峰へ時計回りで1周するお鉢めぐりです。直前の滑落事故ニュースで俄かに緊張感が増幅、出発前の地図読みだけで済ませず、最近の由布岳登山者のYouTubeも見たりして、お鉢めぐりの危険箇所を頭に叩き込んで本番に臨みました。

<マタエ>から<西峰>までに鎖場が3ヵ所あります。先のガイドさんは3番目の鎖場で滑落したようです。そこは「障子戸」と呼ばれる急斜面を鎖を伝いながらトラバースする危険箇所で、宛らミニ「カニノヨコバイ」です。距離にして10メートル足らず、足元に注意しながら進めばあっという間でした。進行方向絶壁の端におじさんの顔が見えたのには驚きました。身体は岩陰に隠れていて顔だけで覗き込まれると実に不気味です。どうやら下りの順番待ちでこちらの様子を窺っているようです。ハイシーズンの「障子戸」は、上り・下りの登山者が交差する難所ですから渋滞は必至です。くだんのYouTuberさんにはずいぶん挑発された気もしますが、基本どおり三点確保を心掛けしっかり鎖を掴んで慎重に進めば、「障子戸」は必ずクリアできます。

西峰で10分休憩し、左手前方にミヤマキリシマの群落を眺めながら進めば、いよいよお鉢めぐりの難所「ゴジラの背中」に差し掛かります。岩塊が連なるナイフリッジは全体を見通せないので、ひとつずつクリアしていくしかありません。東峰手前に急傾斜の岩場があります。<西峰>から<東峰>までの噴火口跡は「ウバガウジ」(『分県登山ガイド 大分県の山』より)と呼ばれ、所要時間は約1時間。コースタイムより10分早く東峰にたどり着けました。もう少し下ったところに平らな場所はありますが、あえて、<東峰>の岩場に腰掛けて、景色をおかずにおにぎりを頬張りました。東西二峰いずれも山頂展望抜群な上に、3ヶ所の鎖場や岩積みのアップダウンが頗るスリリングですから、存分に登山の醍醐味を堪能できました。

下りは<合野越>から進行方向右手へ進み<飯盛ヶ城(いもりがじょう)>(1067m)へ向かいました。背丈の低い笹で覆われた<飯盛ヶ城>の山頂にはかつてお城があったのでその名があります。北側を見上げれば、登ったばかりの双耳峰・由布岳の威風堂々たる姿があります。心地いい風が吹くので、<飯盛ヶ城>山頂で半時ばかり周囲の景色を眺めながら過ごしました。ここで珈琲が飲めれば最高でしたが、肝心のOD缶(航空機に持ち込めません)がないのでお預けです。下山してみれば、日焼け止めを塗るのを忘れた両腕の日焼けがきつく、そのまま露天風呂に入ったら皮膚が悲鳴を上げました。炎症を起こしている肌をアイシングすべきでした。遮るもののないお鉢めぐりで強い太陽光線を浴びてしまった恰好です。

由布岳深田久弥百名山に入れなかったことを後悔した山のひとつです。由布岳は自分のなかでは決して幻の百名山ではなく、名実共に立派な百名山に仲間入りです。

2022年GW後篇|<榛名富士>周辺は見どころ満載の隠れ三ッ星観光地

GW終盤に訪れた<榛名富士>(群馬県高崎市)周辺は、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」の三ッ星に指定されてもいいような風光明媚なスポットです。東京から目的地の<榛名富士>周辺までクルマで約2時間半、交通アクセスは良好です。渋川伊香保JCTでアウトし、伊香保温泉を経由して九十九折りの道を進みます。先ず、榛名山ロープウェイから湖畔を眺めておくと立体的に周辺を捉えることができます。ゴンドラを二両連結した珍しいロープウェイに乗れば、群馬のシンボル上毛三山(じょうもうさんざん)のひとつ榛名山こと<榛名富士>山頂まで約3分です。榛名山日本二百名山・関東百名山)は<榛名富士>や掃部ヶ岳(1449m)などの山々の総称ですから、厳密には榛名山という山は存在しません。榛名湖を一望できるのは上りロープウェイなら進行方向左手、山頂からは一部視界を遮られてしまうのでゴンドラからの眺めがベストです。

通称・榛名山(1391m)はその均斉のとれた美しい山容から<榛名富士>と呼ばれています。約5.6kmの榛名湖・湖畔周遊道路沿いに、<榛名富士>の撮影スポットが点在します。ログキャビン風の榛名湖観光案内所前もそのひとつです。水際まで下りると、氷上の穴釣りで有名なワカサギがそこかしこで見られました。体長が15センチくらいの大きなワカサギも確認できます。土産物屋の女将さん曰く、この時期のワカサギ釣りは禁止で、ボート釣りなら9月1日~11月末まで、氷上の穴釣りは例年1月下旬から始まるそうです。地球温暖化の影響は深刻で、近年、榛名湖が全面結氷しなくなっています。昨年の氷上ワカサギ釣りは全面結氷したものの氷の厚さ不足で中止、今年は全面結氷に至らず中止ということでした。将来がとても心配なこの冬の風物詩を一度体験しておきたいと思っています。

榛名湖の北側に回ると、<榛名富士>の西裾に突き出したような丘陵「ヒトモッコ山」の存在を確認できます。真西からは重なり合って見えるので、<榛名富士>の一部と勘違いしがちです。日本各地に伝わる巨人ダイダラボッチ伝説は<榛名富士>にも当て嵌まります。掘り出した土が山となり、掘ったところが榛名湖になったというお話です。湖畔から天神峠経由クルマで20分あまり移動したところに、関東屈指のパワースポット「榛名神社」があります。随神門から本殿に至る700mあまりの石畳の参道は、清流・榛名川に並行してよく整備されています。参道を七福神巡りをしながら緩やかな坂を奥へ進むにつれ、左手に次々と巨岩・奇岩が現れます。山川と共に、見事な千本杉も参拝者を出迎えてくれます。まさに深山幽谷の佇まいで、「榛名神社」は自然景観を巧みに取り入れ実に神秘的な空間を作り出しています。これまで京都・奈良の寺社仏閣をかなりの数訪れたつもりですが、この点において「榛名神社」に匹敵するそれを知りません。双龍門はあいにく改修中でしたが、本殿に通じる石段の脇には見上げんばかりの「矢立杉」、対面には「瓶子(みすず)の滝」と魂が宿ったかのような自然の造形物と対峙できます。大地の生命力漲る「榛名神社」を参拝すれば、すべての運気が上昇し、大きな願望が叶うと言われる所以です。

「榛名富士」周辺観光が済んだところで、その日の野営地榛名湖オートキャンプ場へ移動しました。続きはまたにします。

<浅間尾根>から東京唯一の百名瀑「払沢の滝」へ

前日の雨も上がりピーカンとなった5月28日、ホリデー快速あきがわ1号に乗車、JR武蔵五日市駅に向かいました。電車が終着駅に到着すると、<都民の森>行きバスの駅前停留所には瞬く間に長蛇の列ができます。西東京バスの若い職員さん数名がせわしそうに行列の整理にあたっています。傍らには、ロードバイクを組み立てている中年サイクリストが数名、皆さん目的地こそ違いますが、ウィークエンド特有の浮足立つような空気が充溢しています。都内でバスに乗車することは皆無ですが、週末の日帰り登山では西東京バスさんのお世話になりっ放しです。この日は、8:10発の定期便に加え臨時便が2本増発されたお蔭で着席することが出来ました。目的地まで小一時間バスに揺られますから、座れるとホッとします。終点<都民の森>の手前、<浅間尾根登山口>バス停で下車、ここから50分弱、250mほど上りが続きます。舗装された林道を横切って登山口へ進みます。

数馬分岐からかつて「甲州古道」と呼ばれた<浅間尾根(せんげんおね)>に入り、新緑が眩しい景色を愛でながら軽快に歩を進めていきます。サル岩、一本杉を過ぎると樹林帯に入り展望は利きませんが、起伏は緩やかで歩きやすい道が続きます。路傍には石仏や馬頭観音が祀られ交易に利用された往時が偲ばれます。

休憩舎とトイレのある平らな地点まで2時間弱。ここでランチを済ませ、休憩舎から巻道を進めば約5分で<浅間嶺(せんげんれい)>(903m)に到着です。標識の背後(南)に富士山、北側が開けていて御前山や大岳山などパノラマが広がります。早めに山頂にたどりつけるようであれば、ベンチを確保して、山頂ランチがおススメです。

<浅間嶺>山頂から「払沢(ほっさわ)の滝」まで約2時間。危険箇所の殆どない<浅間尾根>は知名度こそ低めかも知れませんが、奥多摩十座にふさわしい<浅間嶺>を擁する素晴らしい縦走路だと感じました。東京都内で唯一「日本の滝百選」に選定されている「払沢の滝」(東京都檜原村)の落差は62m、仰ぎ見る滝は26mで視界の外にさらに三段の滝があるそうです。「払沢(ほっさわ)の滝」の手前、山間の民家が点在している辺りでニホンザルの群れを見かけました。栄養状態が良さそうな写真のニホンザルは出産を控えたメスかも知れません。振り返れば、山頂パノラマあり、石仏や名瀑あり、野生のニホンザルありですから、風趣に富んだ森林浴になること請け合いです。

帰りのバスまで30分ほどゆとりがあったので、「払沢の滝」に通じる遊歩道入口にある<ギャラリー喫茶やまびこ>に立ち寄りました。新緑の景色と繋がった開放的な空間の居心地が良く、マスターと立ち話が弾みました。

2022年G1レースは波乱続き〜日本ダービーで1番人気9連敗に終止符を打てるのか〜

2月20日フェブラリーSを皮切りにスタートした今年のG1レースは波乱続き、先週のオークスまで全9戦、1番人気=本命馬が一度たりとも勝てていないのです。1着になれないどころか、馬券に絡めたのはたった2戦のみ、残り7戦は1番人気が完全に蚊帳の外だったのです。明後日5月29日の日本ダービー(東京優駿・芝2400m)を前にして、全国紙が「G1一番人気 全敗の異変」、「主役9連敗のG1 ダービーは」といった見出しとともに、その異変ぶりを詳らかにしています。平地重賞レースのグレード制が導入された1984年以降、これまでの年初来1番人気最多連敗記録は「5」だったそうです。今年はそのワースト記録に4敗も上乗せされているのです。

そんな超がつく異変が災いして、我が戦績は不甲斐ない結果続きです。参戦4レースで配当が元金を上回ったのはオークス1レースだけという惨状です。初参戦の桜花賞(阪神芝1600m)では7番人気のスターズオンアースが優勝、配当0スタートでした。

今年のG1レース年間収支プラスを狙う我が方としては、日本ダービーを天下分け目の決戦と位置づけ、何としても復調のきっかけとしなければなりません。過去20年で日本ダービーの1番人気の勝率は50%、3着以内で馬券の払い戻しに関わる確率は75%に達しています。

年初来の経験則(アノマリー)に乗るべきか、ダービー伝説に従ったものか、悩ましいかぎりです。絶対王者不在の混戦模様を制するのはどの馬か、一両日、思案のしどころです。

佐渡裕指揮・新日本フィル X 反田恭平・ベートーヴェンピアノ協奏曲第7番《皇帝》

創立120周年を迎えた大和証券さんからコンサートの招待状を頂戴しました。これがとんでもないプラチナチケットで、思わずほくそ笑んでしまいました。招かれた記念特別公演@東京オペラシティ(タケミツホール)は、佐渡裕指揮・新日本フィルと反田恭平さんの夢の競演だったのです。今や時の人となった反田恭平さんは、昨年10月のショパン国際ピアノコンクールで日本人として内田光子さん以来51年ぶりとなる第2位入賞を果たした才能溢れる若手ピアニストです。若手ピアニストの登龍門・ショパンコンクールが開催されるのは5年に一度。2021年はコロナ禍の影響で6年ぶり、3次予選を通過したファイナリストはわずかに12名、その激戦を制して上位入賞を果たした2位の反田恭平さんと4位の小林愛実さんは将来を嘱望されるピアニストなのです。史上初めてライブ配信されたショパンコンクールの予選会の様子を食い入るように見ていただけに、こんなタイミングで生演奏を聴く機会が訪れたことを心から感謝しました。

座席3階L1列のバルコニー席最前方、ご招待に贅沢を言えた義理ではありませんが、お世辞にも良席とは言えません。初めて指揮者やオーケストラを後方から眺めることになったお蔭で、指揮者によるスコアの書き込みや細かいジェスチャーが目に入り、意外なほど楽しめました。前半は、数あるピアノコンチェルトのなかで常にベスト10入りするベートーヴェンの協奏曲第5番《皇帝》でした。ベートーヴェンが難聴に苦しみ家族に宛てて「ハイリゲンシュタットの遺書」を認めたのは1802年、32歳のときでした。どん底の死の淵から蘇ったベートーヴェンが次々と名作を生み出すようになる時期は「傑作の森」(1804年からの10年間)と評され、《皇帝》はその時期に生まれた傑作のひとつです。力強くエネルギッシュな第一楽章から一転、第二楽章は穏やかで温もりの感じられる緩徐楽章となります。緩急自在の繊細な演奏で聴衆を釘付けにし、一気に最終楽章・華やかなロンドのフィナーレへと誘います。指揮者の佐渡裕さんは反田さんの独奏のときはスタインウェイの袖に左肘を添えて、オーケストラとの化学反応を愉しんでいるように見えました。アンコールは期待を裏切らないショパンのピアノ独奏曲「子犬のワルツ」、3階バルコニー席から反田さんの華麗な運指を眺めて悦に入りました。

20分のインターミッションを挟んで、後半は同じくベートーヴェンの《交響曲第7番イ短調》。5番《運命》や6番《田園》のようなタイトルが付されていませんが、通称「ベト7」、「リズムの権化」という愛称もある人気曲です。特に第二楽章(アレグレット)は流麗なメロディ故に映画の挿入曲としてよく用いられます。クラシックが苦手な方でも必ず耳にしたことのあるメロディ=オスティナート(執拗な繰り返し)主題が第二楽章の特徴です。佐渡裕さんは来年から新日本フィル音楽監督を務められるそうです。50周年を迎えた新日本フィルは、コントラバスやバイオリン奏者に若い女性を起用して名指揮者・小澤征爾さんや山本直純さんに遡る系譜を尊重しながら、新陳代謝を図る狙いなのでしょうか。

音楽監督就任を引き受けたばかりの佐渡さんの意気込みが伝わってくるような後半の演奏でした。ノースコアで指揮棒は一切使わない、身体を駆使した指揮ぶりが印象的でした。アンコールはチャイコフスキーの《弦楽四重奏曲第1番ニ短調|第二楽章》。この第二楽章(アンダンテ・カンタービレ)はチャイコフスキーウクライナで聴いた民謡に題材を得たと伝えられます。ロシア侵攻でいまだ戦火の止まないウクライナの人々に一刻も早く平穏な日々を取り戻して欲しいとこの瞬間も世界中の人々が願っているはずです。そんな平和への祈りを込めた演奏だと受け止めて厳粛な思いで拝聴しました。同時に、こうして平和裡に至福の時を過ごせる倖せをしみじみ噛みしめたのでした。

2022年團菊祭|海老蔵人気に翳りなし

海老蔵丈の歌舞伎座出演は10ヶ月ぶり。前回は昨年7月の『雷神不動北山櫻』でしたから、市川宗家らしからぬ歌舞伎座離れだったわけです。最近は本業以外のプライベートで耳を塞ぎたくなるような醜聞が伝えられ、挙句の果ては松竹との不仲も噂される始末。十三代團十郎白猿襲名が延び延びになっているだけに、歌舞伎ファンは心中穏やかではなかったはずです。

5月20日、團菊祭第二部『暫』と音羽屋さん&萬屋さん共に三代揃い踏みの『土蜘』を鑑賞しました。これだけ役者が揃えば当然チケットは完売、久しぶりに満席で賑わう歌舞伎座を見ました。松竹も胸を撫で下ろしたことでしょう。といっても、依然、4階幕見席は封印されたままですし、密を避けるために客席は2:1の割合で空席を設けています。チケットを入手できなかったファンが気の毒でなりません。

市川宗家お家芸にして「歌舞伎十八番」・『暫』の舞台は、鎌倉・鶴岡八幡宮の社頭。お家再興を願う加茂次郎(錦之助)とその許嫁桂の前(児太郎)に言い掛かりをつけ、本来帝が身に纏う金冠白衣姿で傲然と構えるのが中納言清原武衡(左團次)です。そこへ、「しばらーく」の大音声と共に登場するのがスーパーヒーロー鎌倉権五郎景政(海老蔵)です。幸運にも着席したのは花道寄りの前列三列目、真横がちょうど花道七三でした。花道に悠然と立ってツラネを捲し立てる海老蔵丞が手の届く距離にあって、息遣いまで聞こえてきます。至福の時間でした。その間、「久方ぶりの歌舞伎座」「オリンピックの開会式より1年ぶりのこの拵え」などなどアドリブを交え大いに観客を沸かせてくれました。

こうなると海老蔵丈の独壇場です。「荒事は童子の心を以て演ずべし」とされます。『暫』の鎌倉権五郎はまさに純粋無垢で溌剌とした少年の役。悪人たちが権五郎を「童(わっぱ)」と呼べば、権五郎は「ぽっぽ(懐)」「てえてえ(手)」「い〜や〜だ〜」という具合にあどけない言葉遣いで応じます。生来のやんちゃな気質が役に嵌り、観客は完全に海老蔵丈の虜です。

大きな三枡をあしらった柿色の素襖、角前髪(すみまえがみ)つき五本車鬢(ごほんくるまびん)、2メートルもの大太刀、総衣装の重量は60kgに達します。ジムで鍛え上げた筋肉質のボディが自慢の海老蔵丈ですから、動きは軽快で幕尻は向かってくる仕丁らを大太刀一振りで仕留め、威風堂々、六方を踏んで花道を退きます。

脇では、又五郎さんと孝太郎さんが好演でした。歌舞伎座で『暫』が上演されるのは4年ぶりのこと。海老蔵丈の舞台はいつ見ても華があります。世評に惑わされず歌舞伎界のプリンス海老蔵丈には芸道を突き進んで欲しい、それが襲名披露興行を待ちわびる歌舞伎ファンの本音ではないでしょうか。