EVシフトで気になるガソリン車の未来〜メルセデスは2030年に全新車をEV化〜

今春、メルセデスベンツの新型SUVに乗り換えた矢先、ダイムラーAGが2030年までに全新車販売を完全電動化(バッテリーEV化)にすると発表(7月22日)。併せて、その実現のため400億ユーロ(約5.2兆円)を投資すると明らかにしました。念願だった我が家の新車はAMG GLA35、ところが、ハイパフォーマンスエンジンを搭載するこのAMGモデルをはじめ、マイバッハ、Gクラスなどサブブランドも例外なく電動化される方向だと知り、腰を抜かしそうになりました。メルセデス初のピュアEVであるEQC(写真下は2021年モデル)が日本上陸したのは2019年7月、それからわずか2年で今回の発表ですから、凄まじいEV化アクセルの踏み込みです。競合するVWBMWが全販売の5割をEVシフトする目標に対して、ダイムラーの目標は桁違いに過激です。2022年2月にダイムラーからメルセデスベンツグループへ社名変更するのも、世界市場における覇権争いを優位に運びたいという狙いに違いありません。

2021年7月、EUの主要機関のなかで唯一、新規法案を策定する権限を有する欧州委員会2035年にガソリン車の新車販売を事実上禁止する案を発表しています。世界販売首位のトヨタが得意とするHVやPHVも禁止対象になるため、最近欧州で存在感を高めるトヨタ(写真下は欧州仕様「ヤリスクロス」)の勢いを削ぐ狙いが感じられます(2020年のトヨタモーターヨーロッパの新車販売台数は99万3113台でブランドシェア3位)。ちなみに、トヨタは2030年までに世界販売約1000万台のうち、200万台をEVとFCVにシフトする計画です。

EVはモーターを駆動用動力とするのでエンジンを使用しないことなります。結果、バッテリーやモーターが必要になる反面、エンジン部品やトランスミッションなどの駆動部品は不要となります。エンジン車1台に要するとされる約3万点のパーツは、EV化で2/3の2万点前後になると囁かれています。自動車業界が経験したことのないパラダイムシフトが現在進行形なのです。

トヨタの高収益を支えてきたカンバン方式は下請けあってのシステムです。自動車産業に大規模な地殻変動が起こるのは間違いなさそうです。喪われる雇用と創出される雇用がトレードオフであればいいのですが….雇用の問題は避けては通れそうにありません。

街のガソリンスタンドは消えてなくなるのかも知れません。かつて、フィルムカメラデジタルカメラに駆逐されたように、ガソリン車は見る影もない存在になってしまうのでしょうか。長年、慣れ親しんできた「エンジン音」や「振動」の喪失感を埋め合わせるだけの魅力がEVからは伝わってきません。クルマを単なる近場の移動手段と割り切るならば、燃費不要で環境に優しいEV一択かも知れません。されど、消えゆく運命のガソリン車に大いなる未練を感じています。オートマチック主流の今、稀少なマニュアル車が人気を博し、フィルムカメラに若い世代が関心を抱く時代です。クォーツ式時計の出現でいっとき衰退しかけた機械式時計のファンを自認するくらいですから、ガソリン車に対してもそれに似た深い愛着とノスタルジーがあって、到底捨てられそうにありません。

予備知識なしで観た地上波初放送『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』~潜在意識と顕在意識が交差する物語性に注目~

『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が全国公開されたのは2020年10月16日。コロナ禍の影響から世界中で消費が低迷するなか、今年5月10日、同映画の2020年興行収入が全世界1位に輝きました。その日は奇しくも劇中主要キャラクター煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の誕生日と重なり話題になったので、「鬼滅の刃」の快進撃は記憶に強く焼き付けられました。劇場版はアカデミー賞(長編アニメ映画賞)を受賞したスタジオジブリの『千と千尋の神隠し』の国内歴代映画興行収入1位という金字塔を最速で更新しただけではなく、米国で公開された外国映画のオープニング興行成績歴代1位に輝くなど、「鬼滅の刃」は世界中で社会現象を巻き起こしたのです。

そんな怪物映画を公開から小一年経ってから地上波で視聴するなど、熱心な鬼滅ファンからすれば言語道断の暴挙といえるでしょう。リアルタイムで視聴したのがせめてもの罪滅ぼしでした。TL上では、<CMが長すぎる>とする苦情に対し<無賃乗車のくせに>とファンからお叱りが殺到するなど、なかなか微笑ましいバトルが繰り広げられていました。自分も含め多くの劇場見逃し組はずっと観たいと思っていたわけです。

公開以来、メディアの過熱報道のお蔭で、主人公竈門炭治郎(かまどたんじろう)一家が鬼に襲われ、6人兄弟のなかで唯一生き残った炭治郎が鬼と化して表情や言葉を喪ってしまった長女禰豆子(ねずこ)を護りながら、鬼を討伐する鬼殺隊に加わり修行に励むというストーリくらいは承知していました。しかし、それ以外の登場人物や鬼殺隊のなかの階級や鬼の序列など、劇場版を楽しむための予備知識ほぼ0で視聴に臨みました。

劇場版はそんな素人でさえ十分楽しめる内容でした。先ず、アニメ制作会社ufotableの創り出す圧倒的な映像美に唸らされました。新雪に残された足跡の窪み、光が乱反射して生まれる水面の移ろい等々、演出・作画・背景・3DCGすべてを内製化するufotableが日本アニメ界の最高到達点を見せつけてくれました。次に、夢は無意識下の欲求だとするフロイトの分析を忠実になぞりながら、過去の出来事の記憶と夢を劇的にシンクロさせた原作者の手腕と無限列車編を劇場版に選んだプロデューサーのセンスを誉めたい!

無限列車編で一番面白いと感じた点は、無限列車と合体した魘夢(えんむ)が人の心の内なる不安や迷いを利用して悪夢へ閉じ込めようとするところでした。魘夢は炭治郎の家族団欒の夢に小さな綻びを忍ばせ、結局、炭治郎は家族から(お前だけが生き残ったと)指弾される悪夢へ誘います。顕在意識と潜在意識が交差する精神世界を丁寧に描いて物語を紡ぐ原作者吾峠 呼世晴(ごとうげこよはる)さんの才能は非凡というしかありません。炭治郎は母性と対峙する夢、煉獄杏寿郎の場合は偉大なる父性ですから、その対比も見どころのひとつではないでしょうか。

柱・煉獄杏寿郎を倒した再生回復を繰り返す格上の上弦の鬼たちが存在するなか、潜在意識(無意識)と繋がる夢、即ち自分ではコントロールできないスピリッチュアルな領域(精神の核)に付け込もうとする魘夢は、謂わばエッジの効いたキャラクター、魘夢をヒールにしたのが劇場版の大手柄だと思います。魘夢と鬼殺隊のバトルが奥行のある物語になったのも、ひとえに魘夢の思うがままに夢をみせられる血鬼術にあるのではないでしょうか。

鎌倉・金沢街道をめぐる旅~報国寺・浄妙寺・瑞泉寺~

東京から日帰りの旅は、午前中、神奈川県立近代美術館|葉山で過ごし、ランチを挟んで午後から金沢街道周辺の古刹をめぐることに。金沢街道は文字どおり、鶴岡八幡宮周辺から横浜市金沢区六浦へ通じる街道のことで、古くは「塩の道」として利用されていたそうです。

街道沿いには、鎌倉最古の寺といわれる杉本寺、竹庭が有名な報国寺鎌倉五山第五位の浄妙寺などが点在しています。今回は、鶴岡八幡宮参拝者駐車場を起点に、徒歩で報国寺浄妙寺鶴岡八幡宮参拝者駐車場と往復しました。幹線道路の金沢街道は、クルマの往来が激しいわりに左右の歩道スペースが殆どないため、残念ながら歩行者向けとはいえません。片道約30分、側方通過するクルマには常に注意が欠かせません。ところが、金沢街道から一歩裏道に入れば、鎌倉らしい閑静な景観が広がるので、辛抱して歩いた甲斐があるというものです。途中、”Children's cafe B&B Kimie"という小さな一軒家玄関口のCDのガレージセール(無料)が目に留まり、CD数枚をゲットする思わぬオマケがありました。

鎌倉随一の竹林を有する報国寺竹庭奥には茶房「休耕庵」があります。受付で抹茶付き入場料(入場料300円+600円)を支払い、孟宗竹を眺めながら一服させてもらいました。大変風情のある古刹なので、のんびりと時間を過ごすに限ります。報国寺から次の浄妙寺は金沢街道へ逆戻りして徒歩数分です。浄妙寺にも「喜泉庵」と呼ばれる茶室があって、抹茶(有料)を楽しみながら庭園を眺めることができます。

両寺とも浄妙寺バス停から徒歩数分ですので、金沢街道を歩かないでバスを利用する方が賢明かも知れません(あとでそう感じました)。最後は、鶴岡八幡宮参拝者駐車場まで引き返し、クルマで瑞泉寺臨済宗建長寺派)へ向かいました。岐れロから裏道へ入ると隘路続きで、幅員1850mmのマイSUVでの通行は冷や冷やものでした。コロナ禍が終息した暁には、電車利用の旅を断然おススメします。瑞泉寺は、京都五山第一位天龍寺西芳寺同様、開山は夢窓国師(1275-1351)です。境内北の岩壁には「天女洞」(1970年発掘復元)と呼ばれる大きな洞が彫り込まれ、水月観の道場となし、東側には坐禅窟が穿たれています。夕日の反射で少し見づらい写真になってしまいましたが、後背地の地形を巧みに利用した池泉式庭園を擁する瑞泉寺参拝は、今回の旅の大きな収穫でした。市内中心部から離れた立地のため、参拝者の少ない点が魅力でもあります。

久しぶりに鶴岡八幡宮にお参りして帰路に就きました。八幡様の特製マスクをした狛犬がなんとも愛らしく旅の疲れを癒してくれました。案の定、横浜横須賀道路までは大渋滞・・・やれやれでした。

自民党総裁候補の政策論争に見る<「現実」主義の陥穽>

<「現実主義」の陥穽>と括弧書きにしたのは、この言葉が昭和を代表する政治学丸山真男(1914-1996)の論文タイトルだからです。同論文を所収する『現代政治の思想と行動』(未來社)は、昔は法学部生の必読書のひとつで、自分も貪るように読んだ記憶があります。初出は1952年5月号『世界』です。

発表当時、すでに朝鮮戦争が勃発し駐留米軍朝鮮半島へ出向くなか、国内治安維持のために警察予備隊が創設されていました。東西関係が緊張の度合いを強めるなか、丸山論文は、西側の一員として再軍備の道へひた走ろうとする政府・現実主義者を手厳しく批判する内容になっています。旧安保条約が調印されたのは、1951年9月8日ですから、世論の大勢は日米安全保障条約に鑑み再軍備やむなしに傾いていたのでしょう。

政治の世界において、「その政策は現実的ではない」と批判された側は十中八九論駁に窮するのではないでしょうか。すぐ思い浮かぶ「現実」の反対語は「空想」です。「その政策は絵空事だよ」と言われているに等しいのですから。

自民党総裁候補4人の主な政策や主張を見ると、福島第一原発事故以前からの筋金入り脱原発派だった河野候補は「現実的なエネルギー政策」を訴え、「安全が確認された原発を再稼働していくのが現実的だ」と主張しているので、安倍・菅政権時代と変わらない原発温存路線を踏襲する方針に変節したかに見えます。この「現実路線」こそ、自民党議員票獲得のための勝利の方程式なのでしょう。


「現実主義」という言葉には、ややもすると反対論者を空想主義者と断罪する響きが伴います。日常生活においても、リアリティを欠く発言は批判に晒されがちです。もうひとつの「現実」の反対語は「理想」です。政治が「理想」や「理念」を放棄してよりよい社会が生まれるはずはありません。いみじくも丸山論文が「陥穽」と指摘したのは、「現実主義」がそれ以外の選択肢を「空想的観念論」にすぎないと一方的に切り捨てるための策略に他ならないからです。

悪しき「現実主義」は、政治的問題に対して絶えず場当たり的な対処を繰り返し、結果的に事態を深刻化させています。沖縄の辺野古移設問題然り、福島第一原発のALPS処理水の海洋投棄然り、後手後手の新型コロナウイルス感染対策然りです。現実的な選択肢こそ唯一の解決策だと思わせるこうした政治手法に、国民はそろそろNOを突きつけるべきではないでしょうか。

【告知板】新型コロナ患者の「自宅療養」は疾病入院給付金の対象です!~「自宅療養」=「入院」と解すべし~

2回目のワクチン接種から7日が過ぎたので、2か月余り自主休会していたスポーツジム通いを再開したところです。今後、ブレークスルー感染の可能性こそありますが、ひとまず、我が家4人のうち3人は新型コロナウイルスに感染せずにこの1年9ヵ月を乗り切ったことになります。さりながら、無自覚な症状もあるようなので3人がこれまで本当に罹患しなかったのかどうかは今も謎のままです。ワクチン接種前に保険適用外の抗体検査(費用は1万円前後だそうです)を受けておけば良かったと少し後悔しています。

家族のなかで唯一新型コロナウイルスに感染したのは研修医の次男。勤務先病院の指示でほどなく品川プリンスホテルに隔離され、不自由な生活を強いられたのは昨年8月のことです。現在は都内中核病院で専ら中等症以上のコロナ患者の診療に従事しています。

先月24日、朝日新聞は<迫られる「自宅療養」>(2021年8月24日付け「耕論」)と題して識者3人の見解を掲載しました。なかでも、<「自宅療養」は一種のトリアージであって、「入院拒否」或いは「入院謝絶」と言うべきではないか>と主張する政治学中島岳志の論旨に全く同感でした。「自宅療養」も「ホテル療養」も、言うなれば巧みな言葉のすり替えに他なりません。

続けて、中島岳志は<言葉の意味が破壊されている>と思うと述べています。その通りなのですが、マスメディアは、有識者をして新型コロナウイルス感染対策に行き詰った政府・自治体を批判させれば事足れりと考えているのか、新聞やテレビを通じて無留保で「自宅療養」という言葉を蔓延させています。実態は「入院待機自宅療養」ですから、安易に「自宅療養」という言葉を流布させたメディアの責任は重大です。

その流れで、我が家もつい最近まで「自宅療養」は「入院」ではないと思い込んでいました。昨年、住友生命グループのメディケア生命(疾病入院給付金付き)に加入した医療従事者である次男さえそれに気づかず、「疾病入院給付金」の請求をしていませんでした。次男の場合、陽性と分かった日を起算日として1日当たり1万円の請求ができるのです。保険金の請求時効は請求できるようになった日から3年ですので、必要な証明書さえ整えば、今からでも遅くはありません。ちなみにメディケア生命は、昨年4月に早くもHP上で「自宅療養」も「疾病入院給付金」の対象である旨、告知をしていました(写真下)。なかには、保険契約者に封書でお知らせを寄越した良心的な生命会社もあるそうです。生命保険協会はなぜテレビCMを通じて新聞広告でこうした点を明らかにしないのでしょうか。「自宅療養」という業界にとって好都合な言葉を隠れ蓑にして、沈黙を貫く一部の生命保険会社の不誠実極まる態度にはどうにも我慢なりません。

鎌倉ごはんなら「秋本」の生しらす丼がおススメ

旅先でその土地ならではの名物料理に巡り会えると、旅の思い出が、俄然、輝いてみえるもの。葉山で「生誕110年香月泰男」展を鑑賞したあと、鎌倉へ向かいました。車で約30分、さしたる渋滞にも巻き込まれず、なんとか鶴岡八幡宮の西隣の参拝者向け駐車場に車を滑り込ませました。鎌倉市街には大規模な公営駐車場がないため、訪れる度に駐車場探しに苦労します。<駐車場を制する者は鎌倉を制す>、車で鎌倉へ行くときは自分にこう言い聞かせています。

鶴岡八幡宮から小町通り経由、相模湾でとれた新鮮なシラス(=カタクチイワシの稚魚)や地魚を使った料理で有名な「秋本」(i-ZA鎌倉3F)へ。食べログの日本料理部門EAST百名店2021に選ばれるだけあって、すでに20名以上が順番待ちをしていました。週末は1時間半待ちもザラだと聞いていたのに、順番待ちリストに記名して待つこと30分あまり、ハイタイムにもかかわらず思ったより早く入店できました。

注文したのは写真の一番人気<生しらす丼>で税込1650円也。トッピングしてあるのが<生しらす>で下層は<釜揚げシラス>です。鮮度が命の「朝どり 生しらす丼」は仕入れ次第、いつでもありつけるわけではありません。卓上の土佐醤油を少し垂らして食べてみると、これが大層美味。半分ほど食べたところで、付け合わせの温泉卵をご飯に混ぜると想像以上に美味しい鎌倉ごはんになります。店員のおばちゃんたちが、皆さん甲斐甲斐しく働いているのが好印象でした。旅先で食べる食事に何かと厳しい妻が文句ひとつ言わなかったので、<生しらす丼>はお気に召したのでしょう。やれやれです。

「生誕110年香月泰男展」|神奈川県立近代美術館・葉山館(後篇)~2021年マイベスト1展覧会~

後篇では企画展「生誕110年香月泰男展」(会期:9/18~11/14)について詳しく触れたいと思います。7月に都美で見た特別展「イサム・ノグチ発見の道」も記憶に残る展覧会でしたが、葉山館の器としての魅力を加味すると、2021年マイベスト1展覧会は、香月泰男の代表作<シベリア・シリーズ>全57点が一堂に会した「生誕110年香月泰男展」に決定です。来年2月、練馬区立美術館を巡回しますので、もう一度じっくり見るつもりです。さりながら、「生誕110年香月泰男展」を一度だけ見るとするならば、億劫でも葉山館へ足を延ばす価値大だと申し上げておきます。

香月泰男の油彩に惹かれるようになったのがいつからなのか、杳として知れません。香月研究の決定版と言われる立花隆著『シベリア鎮魂歌-香月泰男』(文藝春秋刊)が出版されたのは、2004年8月(第一部に立花氏が本人に取材・代筆した「私のシベリヤ」所収)。同書を出版直後に購読しているので、それ以前から関心があったことは間違いありません。10年前、山口県立美術館で開催された「生誕100年香月泰男 追憶のシベリア」展の紹介記事が手元に残っていますが、遠方開催だったために見に行けず歯軋りした記憶があります。

画家・香月泰男を知る人は、令和の今、少数派ではないでしょうか。氏は1911年山口県大津郡三隅村に生まれ、東京美術学校卒業後、美術教諭として働き始めますが、1943年に応召され旧満州ハイラル地区(第十九野戦貨物廠営繕係)へ配属されます。戦争を無事生き抜いて輸送列車のなかで終戦の報せを耳にします。香月さんの所属する部隊は奉天で再編され、シベリア送りが決まります。日本に帰れるのであれば汽車は南へ下るはずです。かすかな望みは無常にも打ち砕かれ、汽車は長い時間をかけて北上し、やがてシベリアへと向かいます。香月さんがセーヤ収容所に収容されたのは終戦から2か月以上を経た11月30日のことでした。

先の『シベリア鎮魂歌』は、<シベリア・シリーズ>57点をモチーフの所在地別に次のように分類してみせます。

★日本(召集・出征)3点 満州ハイラル時代)11点 満州(敗戦以後)8点
★シベリア(アムール・収容所)21点(収容所まで3点・セーヤ収容所10点・チェルノゴルスク収容所8点)
★シベリヤ(ダモイ・ナホトカ)10点
★日本(全体回顧)4点

会場で初めて目にした<シベリア・シリーズ>全57点の圧倒的な存在感は、言葉では到底言い尽くせません。立花隆が言うように「実物を見ないうちは、本当の意味でシベリア・シリーズを見たことにはならない」のだと思い知りました。図版から想像していたよりも遥かに重厚な黄土色と黒を基調とするマチエールが、極寒の大地における色彩の喪失感を際立たせます。作者はこう語りかけます。

<記憶につながる制作だから/夢の中の色と同じで/あまり多くの色を使えば/ウソになる/私の思いをジカに人々に訴えたい>

異例なことに、<シベリア・シリーズ>の一点一点に自筆解説文が付されています。見る者がどれほど想像力を逞しくしても、一枚の絵に託された作者の魂の叫びに等しいメッセージを読み解くことは容易ではありません。過酷なシベリア抑留体験の実相を伝えたいという作者の切実な願いは、絵と自筆解説文が不即不離の関係になって結実したといえます。

一番魂を揺さぶられた絵は、零下35℃の屋外で貨物列車から荷卸しをする様子を描いた≪-35°≫(図録no.100)。縦長の画面中央を斜めに横切る貨物列車からさながら蟻のように収容者たちが四方に散らばっていく構図で、手前に描かれた有刺鉄線が閉塞空間であることを強く印象づけています。自筆解説文には<前略・・・車卸し作業は相手が鉄製のものばかりだから非情である。大体この寒さの中で、手袋なしに金属にさわろうものなら、皮膚がはりついてしまい、無理にはなそうとすると、皮膚がはなれてしまうのだ。>

ロシア語で帰郷を意味する「ダモイ(домой)」をソ連兵が口にする度に、シベリヤ抑留者は誰しも内心穏やかではいられなかったといわれます。そしてその期待は繰り返し裏切られます。≪ダモイ≫(図録no.54)の自筆解説文には<スコラーダモイ(帰国はちかいぞ)、この言葉を何度聞かされたことだろう。その度に私たちは飛び上がって喜んだ>とあります。≪ダモイ≫は待ちに待ったダモイの通知が届き、所持品検査を待っている作者自身を描いたものです。そこには、シリーズに共通して描かれる不安と恐怖に慄く顔があります。1947年5月、舞鶴港に戻るまで安堵の気持ちは封印されたままだったのでしょう。