小説家黒木亮さんの素顔

愛読者のひとりとして、日経夕刊の<人間発見>(全5回)に登場した黒木亮さんのインタビュー記事を興味深く拝見しました。10年前に読んだ『リスクは金なり』(講談社文庫)を慌てて引っぱりだしてきたら、かなり内容が重複していました。すっかり忘却の彼方だったので、読み直すつもりです。

銀行や証券会社を辞して小説家に転身した人は決して少なくありませんが、その作品の多くは暴露趣味的だったり内容が薄っぺらだったりして、正直感心しません。真面目に仕事をしていれば誰しもひとつやふたつ、小説にできるようなエピソードや体験談を持ち合わせているものです。ただそれを吐き出しただけでは、読者を唸らせるような作品にはならないわけです。

その点、『下町ロケット』をはじめ小説が次々とドラマ化される元三菱銀行池井戸潤さんはズバ抜けた才能の持ち主だと言えます。池井戸さんに比べると知名度こそ劣りますが、国際金融市場を舞台にした作品世界のスケールの大きさが持ち味の黒木さんの小説は、金融マンをはじめとするビジネスマン読者に支持されているように思います。

大学時代、大枚はたいて「リンガフォン」を購入、毎日30分必ず英語を勉強して語学力を磨いた黒木さんは、三和銀行に就職。ママチャリが武器の支店営業から脱出しようと人事に直訴してロンドン駐在に転身、ここからが黒木さんの本領発揮です。ヨーロッパ、アフリカを鞄ひとつで飛び回り、次々と大型国際協調融資(シ・ローン)を組成していきます。デビュー作『トップ・レフト』は、シ・ローンの主幹事が調印する契約書の定位置のことです。

6年もロンドン駐在が続けば自ずと帰国が迫ってきます。1994年、36歳になった黒木さんは会社の辞令より仕事を選んで、大和証券へ転職、さらに4年後にロンドン三菱商事へ移籍します。80年代中盤から始まった邦銀の栄華は長くは続きません。日系企業の悪しき慣習、終身雇用制度や年功序列制度がまだ健在だったこの時期に、自らのキャリアパスについて深く思いを巡らした黒木さんには、先見の明があったと言えます。羨ましくてならないのはロンドンで暮らす決断をなさったことです。

専業作家として独立するまで、在職中は、機上で執筆をされたそうです。飛行機の中は思索の空間だという黒木さんの持論に同感です。「自分の生きた証を残したい」という黒木さんの思いは、自分も含めた多くのビジネスマンに共通する願いではないでしょうか。同僚がゴルフ三昧の休日を送る一方、寸暇を惜しんで自己啓発に努め、英語のみならず、アラビア語ベトナム語など5ヶ国語をマスターした黒木さんには脱帽です。

1冊書くのに30人〜50人を取材、これまで、世界85ヶ国、47都道府県に足跡を残したという黒木さんは、早稲田大学時代に箱根駅伝を2度走った筋金入りのアスリートでした(『冬の喝采』に結実しています)。目指すゴールはどこかと記者に問われ、”The sky is the limit”と黒木さんは答えます。可能性は無限だというこの言葉に大いに励まされました。コロナ禍が収束したら、もう一度、海外で生活することに挑戦してみようと思い始めたところです。

リスクは金なり

リスクは金なり

相次ぐ観劇チケット払戻しに涙目~舞台芸術の無観客開催はあり得ない~

3度目となる緊急事態宣言発令によって、手元にある観劇プラチナチケット2枚が紙屑になってしまいました。東京都が4月23日に発表した「新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置について」には、「無観客開催」を要請する施設に「劇場」・「観覧場」・「演芸場」等とあります。<社会生活の維持に必要なものを除く>という但書きがあるにもかかわらず、一斉に該当期間中の公演は中止に追い込まれました。

そもそも、舞台芸術は観客がいて初めて成立するもの。スポーツと舞台芸術を十把一絡げにしたこうした要請は乱暴極まるもので、観客や舞台関係者から厳しい批判に晒されています。そこに見え隠れするのは<東京オリンピックありき>の行政のご都合主義だけなのです。市川猿之助さんがinstagramに投稿したメッセージ(下記引用)はネットで拡散し大きな反響を呼んでいます。

歌舞伎座は、座席制限が解除されても、収入度外視、安全安心第一で、座席数50%以下でやってきました。オリンピックも大切です。しかし、オリンピックありきの対策には疑問しか感じません。休業要請は、死の宣告と同じです。皆が救われる道はないものですか?>

オペラ、バレエ、演劇、歌舞伎、能、文楽、落語、ミュージカル・・・いずれも無観客では成立しません。猿之助さんのメッセージは無数の声なき声を代弁しているように思えます。こうした舞台芸術を「不要不急」で切り捨ててしまうのはいとも簡単です。しかし、歌舞伎座をはじめ昨年来感染対策を徹底してきた劇場施設に対しては、GW中の開催を後押しすることは出来たはずです。

もっと早い時期(昨年3月1日)に、演劇人の野田秀樹さんは意見書(公演中止で本当に良いのか)を公開していままさに直面する危機に警鐘を鳴らしていました。そのとき、文化の灯を絶やさぬ具体的な方策を講じていれば、猿之助さんがこうして悲鳴を上げなくても済んだのではないでしょうか。後手後手に回った感染症対策のツケを払わされている人々に舞台関係者が含まれていることを忘れてはなりません。

意見書 公演中止で本当に良いのか

コロナウィルス感染症対策による公演自粛の要請を受け、一演劇人として劇場公演の継続を望む意見表明をいたします。感染症の専門家と協議して考えられる対策を十全に施し、観客の理解を得ることを前提とした上で、予定される公演は実施されるべきと考えます。演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません。もちろん、感染症が撲滅されるべきであることには何の異議申し立てするつもりはありません。けれども劇場閉鎖の悪しき前例をつくってはなりません。現在、この困難な状況でも懸命に上演を目指している演劇人に対して、「身勝手な芸術家たち」という風評が出回ることを危惧します。公演収入で生計をたてる多くの舞台関係者にも思いをいたしてください。劇場公演の中止は、考えうる限りの手を尽くした上での、最後の最後の苦渋の決断であるべきです。「いかなる困難な時期であっても、劇場は継続されねばなりません。」使い古された言葉ではありますが、ゆえに、劇場の真髄(しんずい)をついた言葉かと思います。

野田秀樹

1年9ヵ月を要した損害賠償請求事件の顛末~弁護士費用補償特約付き自動車保険の落とし穴と回収までの長い道のり~

テレビドラマで対立当事者が決まって口にする台詞は「訴えてやる!」ではないでしょうか。弁護士が履いて捨てるほどいる米国ならいざ知らず、日本では大多数の人が裁判とは無縁のまま生涯を終えてしまうのではないでしょうか。その蔭で、様々な不法行為によって損害を被りながら泣き寝入りしている被害者が数多くいるのではないかと想像します。これから話題にするのは刑事事件ではなく民事事件(接触事故に基づく損害賠償請求)です。

【交差点における接触事故の経緯】2019年、交差点を自家用車で通行中、車両後部に原付バイクが接触し損傷が生じました。幸い軽微な物損事故でしたので、すぐに警察署に連絡を入れ現場検証が始まりました。事故当事者には道交法第72条第1項に基づく事故届出義務が生じるので致し方ありません。事故の程度次第ですが、煩わしいだけの検証作業に少なくとも1時間以上つき合わされます。ひたすら辛抱するのは保険金請求に必要な「交通事故証明書」の交付を受けるためです。警察は民事不介入の原則に従い過失割合を認定しませんので、示談交渉は専ら当事者に委ねられています。相手方(X)は免許失効中の20代男性、当方が負担することになる修理代は正規代理店に事故車両を持ち込めば20万円は下りません。交差点での事故という点に鑑み、安い板金業者を手配する点まで譲歩してあげて、修理代折半で口頭合意しました。

【示談不成立】その後、Xは口頭合意を反故にし支払拒否に出ます。修理代金は10万円足らずでしたから、保険は使わないことにしました。弁護士(又は簡裁なので司法書士)に依頼すれば、費用倒れする可能性が濃厚です。日本では「本人訴訟」が認められている上、60万円以下の請求の場合、「少額訴訟」という手続きで1回で結審、判決の言い渡しを受けることが可能です。2019年度に終結した「少額訴訟」の総数は6565件、内5718件(87%)が本人同士で訴訟が進められたそうです。相当数の強者が存在することに吃驚します。金銭目的の訴えはどうやら本人訴訟率が高いといえそうです。その理由は明らかです。最低10万円と言われる着手金を弁護士に支払うとコスト倒れしてしまうからです。というより赤字なのです。

【弁護士費用補償特約(LAC基準採用)を利用して提訴】弁護士費用特約付き自動車保険(上のような漫画のようにはいきません)をかけていたので、弁護士費用実質0で弁護士を選任することが可能です。かかる特約を使えば迅速な解決が期待できそうです。ところが大きな落とし穴がありました。請求額が10万円足らずの訴訟を引き受けてくれる弁護士が見つからないのです。損害保険会社の担当からLAC基準と呼ばれる保険金支払基準の存在を知らされ当惑しました。LAC基準が採用されていると、経済的利益の額が125万円以下の場合、着手金は10万円と定められているのです。報酬金も同様で経済的利益が300万円以下の場合、16%とされています。仮に訴額を10万円とした場合、弁護士が受け取ることのできる報酬は着手金10万円+報酬1.6万円=11.6万円ということになります。ネット申込に限らず、契約締結時に丁寧に説明すべき事項であるにもかかわらず、損害保険会社の担当は保険契約に書いてあるの一点張りです。コールセンターにこの点を何度か問い合わせてみましたが、誰ひとりLAC基準を知る者はいませんでした。因みにLACとは日弁連リーガル・アクセス・センターの略のことです。保険契約者を騙す詐欺まがいの特約ですので、LAC基準で働いてくれる弁護士は極めて少ないと思っておいた方が賢明です。損保保険会社と粘り強く交渉を重ねた結果、ようやく損保と関係の深い弁護士事務所が引き受けてくれました。本来、損保側が複数の事務所と提携して対処すべきなのです。幸い、担当になった若手弁護士は有能だったので、事故発生から3ヵ月あまり経った11月、提訴に踏み切ることが出来ました。

【被告の突然の転居とコロナ禍の公判手続き】「畑中鐵丸アーカイブズ」をネットで見つけ中身を読んでポーンと膝小僧を叩きました。自分が感じたことが端的に表現されていたからです。弁護士である畑中氏は、<日本の裁判制度は原告に対して、腹の立つくらい面倒で、しびれるくらい苛酷で、ムカつくくらい負担の重い偏頗的なシステムだ>と看破しているのです。「やられたら、泣き寝入り」が正解だとさえ強弁されています。

<日本の民事紛争に関する法制度や裁判制度は、加害者・被告が感涙にむせぶほど優しく、被害者・原告には身も凍るくらい冷徹で苛酷である>

被告XとY(バイクの貸し手)が知らないうちに転居してしまい、訴状が届かないという不都合な状況が発生。裁判所からは被告の所在地調査が求められました。住民票の異動先が分かって改めて訴状を送達すると、今度は受け取り拒否に遭ってしまいます。最終的に「書留郵便等に付する送達」によって看做し到達となり、公判期日が決まりました。コロナ禍の影響も手伝って、2020年10月の判決まで小一年が掛かりました。被告両名は、結局、裁判所に姿を現しませんでした。

【債務名義を得ても回収までさらに半年】被告Xは虚言癖があるのか、公判中もそのつもりのない支払いを約すなど担当弁護士を翻弄、激怒させました。被告Yは事故の直接の当事者ではないものの、貸し手責任を被告Xと共に連帯して負う羽目になりさぞ立腹したことでしょう。友人関係にあったXとYの間に大きな綻びが生じたことは間違いありません。資力に乏しいXは弁護士はもとよりYからキチンと支払えと執拗に督促を受けていたはずです。Xの銀行口座を調査し差押え手続きまでいきましたが、残高ゼロで空振りに終わったりと回収は難航しました。判決から6ヶ月、弁護士宛てにXから最終振込みがあり、事故発生時からの金利5分(マイナス金利の昨今バカにならない高金利です)と共に請求した金額全額を回収しました。

【得難い経験】回収まで1年9ヶ月、原告にとって実に長い時間でした。XとYにとっては不愉快極まる時間だったことでしょう。判決で命じられた賠償債務を支払わないかぎり、書面や電話による被告への督促は果てしなく続きます。差押えや強制執行は想像以上に手間暇が掛かることも分かりました。今や、ネット銀行・ネット証券が数多く存在し、メガバンクやゆうちょ銀行以外に資金を移しておけば、差押えから逃れることはいとも簡単です。さらに、貨幣代替物である仮想通貨やポイントに換えられたら、差押えは事実上不可能です。IT社会から最も隔絶された現行の司法制度は、回収される側からすれば、抜け穴だらけです。結局、弁護士介入(一般人にはプレッシャーになります)と債務名義を以て、間接的に支払いを促すのが現実的かつ唯一の紛争解決手段なのです。この国の司法制度の使い勝手は最悪です。紛争から解放されてみると、裁判と無縁でいられることが無上の幸せなのだと気づかされす。被告らもきっとそう思っていることでしょう。

最近は修理費等の請求額が10万円に満たない訴訟事件が増加傾向にあるようです。弁護士費用補償特約付き自動車保険の特約利用をお考えの方に参考になればと思い、記録に残した次第です。以下、参考文献をふたつご紹介しておきます。

簡裁交通損害賠償訴訟実務マニュアル

簡裁交通損害賠償訴訟実務マニュアル

  • 作者:厚, 園部
  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: 単行本

臆病者のための裁判入門

臆病者のための裁判入門

GLAオーナーも嬉しい異色コラボ企画:<『進撃の巨人』 | Mercedes me>

「Mercedes me」はメルセデス・ベンツ日本が国内3ヶ所(都内2か所と大阪)で展開するブランド情報発信拠点のことです。2011年7月にオープンした「メルセデス・ベンツ コネクション」が「Mercedes me」と改称して今日に至っています。

当初は期間限定スペースだったようですが、メルセデスファンの圧倒的な支持を得て存続しているように思います。ニューモデルがリリースされるタイミングで「Mercedes me Tokyo (六本木)」をよく訪れます。建物の南側駐車場にはメルセデスのラインがほぼ勢揃いしているので、ウェブで予約さえしておけばお目当ての車種に試乗できます。カーディーラーの在庫は凡そ限られているので、「Mercedes me」は本当に有り難い存在です。展示スペースのみならずオシャレなカフェやレストランも併設しており、いつ訪れても賑わっています。ライバルBMWも似たような「BMW GROUP Tokyo Bay」というブランド体験拠点を有しています。数ある輸入車のなかで特にドイツ車が日本人に愛される所以は、堅実な車作りのスピリッツと共にそんなサービス精神の発露にあるのかも知れません。意外なことに、本国ドイツはおろか他国では同種の施設は存在しないそうです。メルセデス・ベンツ日本のお手柄なのでしょうか、ある意味、日本のメルセデスオーナーは恵まれていることになります。

4月初め、我が家の4代目メルセデスとなるGLA35(4MATIC)が納車となりました。決め手になったのは、「Mercedes me」における試乗でした。2020年モデルのGLAとGLBがリリースされると早速「Mercedes me」を訪れ、スタッフから詳しい説明を受けています。数か月後にAMGモデルが登場したときも同様です。

3月27日にスタートした異色のコラボ企画<進撃の巨人|Mercedes me>がいよいよ今週末4/25で終了です。物語はついに結末を迎え、エレンをはじめ登場人物の印象に残る言葉を刻んだラッピングカー(GLA200d)は『進撃の巨人』ファン垂涎のアイテムではないでしょうか。念願のメルセデスSUVにしてAMGモデルGLA35のオーナーになったばかりの自分にとっても、記憶に残るシーンとなりました。願わくば、1/18のラッピングモデルカーを抽選で射止めたいものです。

ヒトラーの功罪~映画『ワルキューレ』より~

つい最近視聴した2008年米独合作映画『ワルキューレ』は、未遂に終わったヒトラー暗殺事件(「7月20日事件」)を基にしています。敗色濃厚な1944年になっても、独裁者ヒトラーの暴走を食い止めることのできない反体制派のもどかしさだけが際立つ後味の悪い映画でした。反ナチ運動の先鋒にして暗殺首謀者のひとりシュタウフェンベルク大佐を演じるトム・クルーズをはじめ、キャストである将官・士官が「ハイル・ヒトラー」以外すべて英語で会話するという設定はどうにも頂けません。リアリティに欠けると批判されても致し方ありません。

この映画を観ながら、この時代、なぜドイツ国民があれほど熱狂的にヒトラーを支持したのか、あらためて検証してみたくなりました。ヒトラーにそもそも手柄や功績があるのか半信半疑の方が多いのではないでしょうか。今日でも、一般市民が熱に浮かされたようにヒトラーに心酔していったという認識が大勢を占めているようにも思います。歴史教科書が触れようとしない「ヒトラーはなぜ熱狂的に支持されたのか」というテーマについて、ドイツ文学者故池内紀氏の講演録(季刊 政策・経営研究 2016 vol.2)が掘り下げて論じています。

そもそもの発端は、第一次大戦に敗れドイツ帝国が崩壊し、1919年にワイマール共和国が誕生したときに遡ります。ベルサイユ講和条約の締結に伴い、ドイツは国土の13%と700万人の人口を喪っただけではなく、1320億マルク(日本円換算236兆円)に及ぶ巨額の賠償債務を負うことになります。絶望的な状況下、民主化を促すはずだったワイマール憲法が皮肉にもナチ党の躍進を後押しすることになります。1933年3月に全権委任法や政党新設禁止法(以前は40もの政党が乱立)が成立し、ナチ党による一党独裁体制が確立します。雄弁で清廉だったというヒトラーに絶望的な状況打開策を託した有権者の判断はあながち間違いではなかったのです。ヒトラーは、党首就任後有能な側近を登用し次々と成果を収めていきます。

1936年のベルリンオリンピックの記録映画を作成した女性監督レニ・リーフェンシュタール財政再建に尽力し天文学的インフレを退治した財務大臣ヒャルマル・シャハトがその一例です。ヒトラーは適材適所の人材登用を以て難局を打破していったのです。有名な高速道路網「アウトバーン」もこの時代に古参ナチ党員にして土木技術者だったフリッツ・トートが主導して作り上げたそうです。ほかにも、VWの生産、労働環境の改善、社会福祉の拡充など諸施策がヒトラー政権下の果実と言えそうです。

もしヒトラーが政権担当5年で退いていたら、偉大な政治家として後世に名を残したという指摘があるくらいです。池内氏には『ヒトラーの時代ードイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのかー』(中公新書)という著書があります。本書は随所に誤った記載があって大変残念なことに歴史家から辛辣な批判に晒されていますが、歴史教科書から学べないヒトラーの政治家としての功績に光を当てた点で一読の価値ありと申し上げておきます。

『美術の経済』(小川敦生著・インプレス)で知る美術品売買の舞台裏~日本人は美術品を買わない~

最近、立て続けにアートをテーマにした週刊誌や単行本を読む機会がありました。<緩和マネーで爆騰!アートとお金>と題した週刊東洋経済(2021/2/20)は、経済専門誌が特集しているだけあって、市場規模から説き起こすあたり、さすが要を得ています。そもそも、芸術品の良し悪しなど庶民に分かるわけがありません。テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」がお茶の間で人気を博しているのも、「お宝」に値付けがされるからに他なりません。もし、金銭的価値を捨象してしまったら、番組は見向きもされないことでしょう。金銭的価値が高い=芸術的価値が高いという等式こそ、番組の生命線なのです。

先の週刊東洋経済によれば、世界のアート市場規模は7兆円、内訳は北米44%、英国20%、中国18%と続き、日本市場は4%足らずの2580億円と試算されています(実際はその1/4~1/5とも言われます)。経済大国の割りには日本市場は矮小なことが分かります。ジャンル別でみれば、現代アートが53%を占め、印象派を含む近代絵画や古典絵画を凌ぐ存在感を示しています。ZOZO元社長前澤友作氏が123億を投じて話題になったバスキアは、落札金額・落札作品数共にモダンアートの頂点に君臨するアーティストなのです。

美術品を買う際、不透明で素人に分かりずらいのが原価率です。美術品の値段を簡単に因数分解してみましょう。

美術品の値段=原材料費(絵具・キャンバス・光熱費等)+宣伝広告費+運送費+作家の労働対価+芸術的価値(作家の儲け)+消費税

一見、もっともらしい内訳ですが、これに作品を販売するギャラリー(画商・美術商)の取り分が加わります。仮に販売価格が100万円だとすると、ギャラリーの取り分(マージン)は販売価格の4割~5割に相当します。アーティストが主役なら、アート市場の陰の主役は販売価格の50%を搾取(言葉は悪いですが・・)するギャラリーなのです。何とも承服し難いプライシングですが、これがアート市場の現実なのです。作家が直販すればいいようなものですが、著名な画商や一流百貨店で個展を開催することがアーティストの箔付けに一役も二役も買うため、陋習とも言うべきこのシステムから抜け出すのは、ある意味、作家にとって自殺行為なのかも知れません。

美術品購入のために財布の紐を緩めない日本人が大多数の一方で、日本には国公立・私立も含め394館(2020年4月1日現在:全国美術館会議所属)もの美術館が存在し、さながら日本は「美術大国」でもあるのです。小規模な美術館も含めれば2000館近くに達するのかも知れません。こうして、美術館がアーティストの後見的役割を果たしていることは否めません。国・公立美術館の美術品購入予算は税金ですから、本来、市民は購入される美術品に無関心であってはならないのです。最近はカネ余りで国・公立美術館が著名作家の作品を購入することは至難だそうです。購入費が抑えられる現代アーティストに目が向くのも必然です。さらに、美術館を建設したあとも、莫大な維持管理費がかかりますから、美術館の台所は火の車といって過言ではありません。そんな厳しい財政状況下、大阪市にある国立国際美術館が2018年度に16億5千万円で世界的彫刻家アルベルト・ジャコメッティの⦅ヤナイハラI⦆を購入したと知って大そう驚きました。ジャコメッティは好きな彫刻家ですが、1作品に巨額の予算を投じたことは物議を醸しそうです。コレクションを増やせば、その分収納スペースが必要となり、際限がありません。

『美術の経済学』の著者小川さんは、以前『日経アート』誌(日経BP社・1999年休刊)の編集長を務めた経歴の持ち主。同誌が発刊されたバブル期の1988年も今も「日本人は美術品を買いませんね」という美術商の見立ては変わらないのだそうです。

美術品を買わない大多数の日本人のなかにあって、絵画や陶磁器を購入する自分は明らかに少数派です。友人知己とアートが話題に上ることはめったにありません。仮令他人からどう思われようと、自身の審美眼に叶う作品を手に入れ身近に置いて愛でたいという欲求は、車や時計を買うときの態度とさして変わりはありません。ただ、金銭的価値(購入対価)の如何に関わらず、気に入ったもの、長く愛せそうなモノを買うという基本姿勢を貫けば、投機目的でもないかぎり、後悔するようなことは決してないはずです。マンションであれ、戸建てであれ、壁に本物の絵がある暮らしは悪くないと思うのですが・・・

美術の経済 “名画"を生み出すお金の話 (できるビジネスシリーズ)

美術の経済 “名画"を生み出すお金の話 (できるビジネスシリーズ)

  • 作者:小川敦生
  • 発売日: 2020/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

村上肥出夫と長谷川利行の共通点

長良川画廊東京ギャラリーで開催中の村上肥出夫展(~4/15まで)に足を運びました。過日、画廊主のO氏から頂戴した図録を見て以来、村上肥出夫の絵に興味を掻き立てられています。

彫刻家本郷新に才能を見い出された村上肥出夫(1933-2018)は、1963(昭和38)年に新作150点を引っ提げ銀座松坂屋で大個展を開催し、一躍、画壇の寵児となったのです。当時の週刊誌を見るとその盛況ぶりがよく分かります。無名青年画家の個展にエールを送ったのは、林武や東郷青児を始めとする錚々たる顔ぶれの画家たちでした。村上肥出夫を高く評価したのは、画壇に留まらず、文豪川端康成石川達三らでもあったのです。30代全盛期の作品を見れば、誰しも、大胆な構図と厚塗りされた艶やかな絵の具の質感に圧倒されてしまうのではないでしょうか。川端康成自裁したとき、仕事部屋に残されていた油彩は、村上肥出夫の「キャナル・グランデ」(写真下)でした。村上肥出夫と交流を重ねた川端康成は、1968年(昭和43年)の個展に寄稿して「異常な才能と感受性の絵。豊烈哀号の心情を切々と訴へて人の胸に通う」と讃えています。順調に推移するはずだった画業は、岐阜へ帰郷後、次第に翳りを帯びていきます。1997年(平成9年)に岐阜県益田郡萩原町の自宅アトリエが全焼してしまいます。爾来、精神に変調を来した村上肥出夫は、療養生活を余儀なくされ、2018年7月11日に波乱に満ちたその生涯を閉じたのでした。

村上肥出夫の大胆で自由闊達な筆遣いと豊饒なマチエールはヴァン・ゴッホに通じます。「日本のゴッホ」と呼ばれた長谷川利行(1891-1940)と村上肥出夫にはずいぶん共通点があります。ふたりとも父親は警察官、独学で絵を学び、その日暮らしに近い生活を営みながら、路上や酒場で絵を売って生計の足しにしていた点は計ったかのように符合します。長谷川利行は、やがて酒で身を滅ぼし、三河島の路上で行き倒れ、運ばれた養育院でほどなく49歳の生涯を終えました。長谷川利行の場合は、死後数十年経ってから再評価の機運が高まり、多くの公立美術館で回顧展が開催されています。

ふたりの絵を見比べた場合、村上肥出夫の絵により才能の耀きを感じるのは自分だけでしょうか。初期の暗い色調の油彩にこそ希望の光が力強く宿っているようにも見えます。遊学先のパリやイタリア・ベニスで描かれた鮮やかな風景画からは新境地を開拓する気概が伝わってきます。画壇の巨匠が絶賛した過去は決してフロックではなかったのだと思えてなりません。残念なことに忘れられた存在となりつつある村上肥出夫の画業を今一度振り返る意味でも、そして再評価の契機に繋がるような大規模な回顧展を、歿後10年の節目あたりで是非見てみたいものです。

(参考)http://www.nagaragawagarou.com/exhibitions/murakami-hideo.html