実に9ヵ月ぶりのコロナ禍の歌舞伎座:『蜘蛛の絲宿直噺』

2020年は歌舞伎界における世紀のイベント「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」公演が5月から3ヵ月にわたって開催されるはずでした。あろうことか、政府の緊急事態宣言を受け、すべての公演は中止となってしまいました(4/7発表)。外国人観光客が大勢来日するオリンピックイヤーに世紀の襲名披露公演をぶつけた興行主松竹としては凡そ想定外の出来事だったはずです。中止を知ったとき、公演を楽しみにしていた自分も含めた歌舞伎ファンはもとより、連日稽古を重ねてきた出演者の落胆を思うと沸々とやるせない感情が込み上げてきたものです。

歌舞伎座は3月から休場、再開したのはその5か月後の8月でした。公演再開にあたって、歌舞伎座は座席を半分以下に減らし「4部制」を初めて導入、客も出演者も入れ替えるという異例のコロナウイルス感染対策を講じました。待望の歌舞伎座再開ということで、早速、第3部(義経千本桜四段目口『吉野山』)のチケットを手配し、知人2名を伴って、8月5日に歌舞伎座を訪れました。ところが、舞台関係者に微熱があることが判り、当日、急遽公演は中止となりました。わざわざ現地に出向いての休演はこれが初めての経験でした。総入替制のお蔭で第4部は予定どおり開催されたそうです。

そして11月、運悪く8月公演を共に見逃した知人と9ヶ月ぶりに歌舞伎座を訪れました。清々しい秋空の下、11月「吉例顔見世大歌舞伎」のシンボル「櫓」が正面玄関の上に鎮座しておりました。2本の梵天に5本の槍が並んで突き出ています。江戸時代、「櫓」を掲げることが許されたのは江戸三座のみ。その伝統を受け継ぐ古式ゆかしい「櫓」を見て、暫し爽やかな気分に浸ることができました。

第一部の演目は『蜘蛛の絲宿直噺(くものいとおよづめばなし)』。主役は5役を早替りで務める四代目猿之助。蜘蛛の精が次々と猿之助演じる人物に乗り移り、寝ずの警護にあたる四天王の坂田金時市川猿弥)・碓井貞光中村福之助)や病床に伏せる源頼光中村隼人)に襲い掛かるという筋書きです。序盤、コロナウイルスにまつわる小噺で観客を大いに笑わせてくれました。薬種商に扮した猿之助コロナウイルス治療薬「レムデシベル」に言及する場面は大喝采でした。最近では、猿之助といえばスーパー歌舞伎『ワンピース』のルフィ役やTVドラマ『半沢直樹』のヒール役の印象が強いのかも知れませんが、猿之助の舞踊は天下一品、本演目でも美しい所作を披露してくれました。突如休演になった先の8月公演「吉野山」では猿之助演じる佐藤忠信(実は源九郎狐)を観るはずでしたので、リベンジを果たすことができました。40分という短い演目ながら、千筋の糸を繰り出す迫力あるクライマックスまで息をもつかせぬ面白さでした。

最後に場内の様子に少し触れておきます。

◎入場する際のもぎりは自身で行います。

◎着席中はマスクを着用します。

◎大向こうや掛け声は禁止です。

ソーシャルディスタンスを確保するため、使用される座席は市松模様に配置され、花道に近い座席は飛沫拡散防止のためにかなり間引かれていました。松竹の発表によれば、使用するのは823席(全体の45%)だそうです。舞台上の長唄や鳴り物は髭のような黒い特注マスクをしていました。演目ごとに総入れ替えなので、座席でお弁当を食べることはできません。コロナウイルスが収束するまで、当分の間、大向こうや掛け声は禁止です。このご時世ですから、歌舞伎の興が削がれるのは致し方ありませんね。

今週は第4部『義経千本桜 川連法眼館』を観る予定です。満席のなか、大向こうから掛け声が飛び交ってこその歌舞伎です。焦らず、團十郎襲名披露公演の日がやってくるのを心待ちすることにします。

必見ドキュメンタリー映画:『三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実~』

2020年11月25日は、三島由紀夫陸上自衛隊東部方面総監室で割腹自殺を遂げた「三島事件」(1970年)からちょうど50年目に当たります。たまたま訪れていた友人宅のテレビのニュース速報で「三島事件」を知ったときの衝撃は今も脳裡に焼きついています。稀代の天才作家三島由紀夫がなぜ45歳という若さで自決しなければいけなかったのか?ドキュメンタリー映画三島由紀夫vs東大全共闘~50年目の真実~』は、50年目のこの節目に事件を振り返り三島の立ち位置を考える意味で、絶好の機会を与えてくれました。都内ではUPLINK渋谷で上映中です。

1969年5月13日、東大全共闘の求めに応じて、駒場キャンパス900番教室に単身乗り込んだ三島由紀夫が1000人もの聴衆を前に熱弁をふるう姿をカメラが克明に追いかけます。900番教室の手書きポスターには「東大動物園駒場分室 特別出品三島由紀夫 飼育費100円以上 焚祭委員会」とあります。特別警視庁からの警護を断った三島は、駒場入りしたときの様子をこう振り返っています。辱めを受けた場合に備え、三島は短刀を携えていたそうです。

ふと見ると、会場入口にゴリラの漫画に仕立てられた私の肖像画が描かれ、「近代ゴリラ」と大きな字が書かれて、その飼育料が百円以上と謳つてあり、「葉隠入門」その他の私の著書からの引用文が諷刺的につぎはぎしてあつた。私がそれを見て思はず笑つてゐると、私のうしろをすでに大勢の学生が十重二十重と取り囲んで、自分の漫画を見て笑つてゐる私を見て笑つてゐた。— 三島由紀夫「砂漠の住民への論理的弔辞――討論を終へて」

登壇した三島を司会役の学生が思わず「三島先生・・・」と紹介する冒頭からして、すでに武闘派と目された全共闘が劣勢です。終始一貫、冷静に理路整然と討論に臨んだ三島に聴衆は次第に引き込まれていきます。ヤジもなりを潜め、「お前を殴る」とヤジを飛ばした学生が主催者から窘められるシーンさえありました。「三島を論破して立往生させ、舞台の上で切腹させる」と嘯いていたという全共闘は、思想において対極の立場にある論客三島を論駁すること能わず、逆にユーモアを交えた切り返しに遭う場面が多かったように思います。<空間>のなかでの理念的革命をめざす全共闘に対して、三島が訴えた<時間の持続>の方に説得力を感じました。行動する作家三島の<行動の無効性>を容赦なく論う全共闘に対して、(君たちだって)大掃除のような恰好をしてと揶揄するあたり、三島の当意即妙の受け応えには舌を巻かされます。堂々たる三島の横綱相撲の前では東大全共闘は牙も爪も奪われた恰好です。東大全共闘随一の論客芥正彦氏のアイデンティティが一向に像を結ばないのに比べ、背も鼻も低い「日本人」で結構だと断じる三島は常に明快でした。だらしない国の政権や共産党組織に矛先を向ける東大全共闘視野狭窄には唖然とさせられます。総じて、東大全共闘の主張は観念的で理解に窮すること場面が多々あったのに対し、巧みな比喩を織り交ぜながら飾らない平易な言葉で聴衆に語りかけた三島の弁舌は見事というほかありません。公の席での青年嫌い発言とは裏腹に、主義主張を超えて、三島はひたむきな青年が好きで堪らなかったのでしょう。1000人もの聴衆を前に終始誠実な態度で向き合った三島は、本気で彼らを説得しようと思っていたに違いありません。大きく見開いた眼には英気が漲り、発する言葉ひとつひとつに凛とした力が宿っていました。インタビューを受けた内田樹(『街場の天皇論』で三島に言及しています)が解き明かしたとおり、平行線に見えた三島と東大全共闘は<反米愛国主義>という一点で結託する可能性があったのかも知れません。<天皇制>をめぐる天皇親政=直接民主主義という三島の視座は一考に値するように感じられます。

「言霊(ことだま)を私は残して去っていく」という言葉を残して三島は会場をあとにします。どちらかといえば三島文学を毛嫌いしていたことを猛省し、皮切りに、この「伝説の討論会」を文庫版『美と共同体と東大闘争――討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』(角川文庫、2000年7月25日) を手にとって顧みることにします。映画の45年という短い一生で全集にして40冊を超える著作を遺した三島由紀夫はとてつもなく大きな存在なのだと、この映画を観て再認識させられました。討論会での「非合法の暴力」を肯定しつつも、三島は自力行使に及んだ場合自裁するとはっきりと語り、1年半後そのとおりになります。同時代のオピニオンリーダー吉本隆明は「暫定的メモ」にこう記します。

そして問いはここ数年来三島由紀夫にいだいていたのとおなじようにわたしにのこる。〈どこまで本気なのかね〉。つまり、わたしにはいちばん判りにくいところでかれは死んでいる。この問いにたいして三島の自死の方法の凄まじさだけが答えになっている。そしてこの答は一瞬〈おまえはなにをしてきたのか!〉と迫るだけの力をわたしに対してもっている。— 吉本隆明「暫定的メモ」

三島由紀夫自裁から50年、この国のかたちは益々頼りないものになりつつあります。熱情は冷め切り、敬意はとうの昔に喪われ、匿名の薄っぺらい言葉がネット上で横溢するこの国の今を三島由紀夫はどう見るのでしょうか。

文化防衛論 (ちくま文庫)

文化防衛論 (ちくま文庫)

ジビエの季節の到来です!

10月上旬、ひょんなことから知り合った画廊主O氏と意気投合、さまざまなジビエも提供してくれる馴染みのフレンチレストランでランチすることになりました。O氏とは2回目の会食になります。メインもさることながら、デザートに目がないというO氏の期待に応えられて溜飲を下げたところです。専らレストランの手柄なわけですが、お気に入りレストランがグルメに絶賛されると嬉しいものです。

北海道の狩猟解禁は10月1日。狩猟免許を有するオーナーソムリエのN氏はその北海道から戻ったばかり。首尾を尋ねると、エゾライチョウを二羽仕留めたといいます。以前、スコットランドライチョウをメインで頂いたことがあるので、俄然、獲物のエゾライチョウに興味をそそられました。

「食べる以前にそもそもライチョウを獲っていいの?」と訝る方が大多数ではないでしょうか。自分もN氏に教わる前はそう思っていました。ライチョウと聞けば、誰しも特別天然記念物に指定されているニホンライチョウを思い浮かべるはずです。日本も含め多くの国でライチョウは天然記念物に指定されているのです。

初耳のエゾライチョウも大変貴重な種だそうです。ところが、あまりの美味しさに狩猟種から外せないのだそうです。そんな謂れを聞けば、ますます食べたくなるのが人情というものです。来月中旬、くだんのフレンチレストランを再訪する予定です。あらかじめメインはエゾライチョウ*をお願いしてあります。

*中旬、貴重なエゾライチョウ(キジ目ライチョウ科)にありつくことができました(写真下)。臭みはなく肉は噛み応えがあって野性味が感じられました。お喋りしている間に少し冷めてしまったのが惜しまれます。

『グリーンブック』から『パラサイト 半地下の家族』へ~アカデミー賞作品賞の最新トレンド~

2019年のアカデミー賞作品賞受賞作『グリーンブック』は、ジム・クロウ法下の1962年、アフリカ系アメリカ人ピアニストのドン・シャーリーに運転手として雇われたイタリア系移民トニーが、黒人差別の顕著な米中西部からディープサウスへのコンサートツアー中に遭遇する様々な出来事を通して、性格も考え方も水と油の雇主との間に友情を育んでいくというストーリーでした。留守宅に残してきた妻へ拙い手紙を認めている無学のトニーに、ドンがさりげなくアドバイス(入れ智慧)するシーンは最高に感動的でした。人種や育った環境がこれほど違うふたりでさえお互いに歩み寄って親交を結ぶことができるのだというメッセージが、ストレートに観る者に届く素晴らしい作品だったと思います。

2020年の第92回アカデミー賞作品賞は、初の外国映画作品『パラサイト 半地下の家族』が受賞。作品賞含め4部門でオスカーを獲得、本場米国のアカデミー会員を唸らせたポン・ジュノ監督の手腕に唯々脱帽するしかありません。監督やキャストには申し訳ないかぎりですが、最初は外国語映画賞受賞の聞き間違えかと思ったくらいです。コロナ禍の影響で劇場(2020年1月日本公開)に足を運べませんでしたが、今月7日、WOWOWが逸早く独占放送してくれたお蔭でようやく鑑賞できました。

評価の高い映画は概ねテンポがいいものです。本作も序盤から畳みかけるようなテンポで観客をぐいぐいと作品世界へ引き込んでくれます。舞台は韓国。半地下の狭い住まいに肩を寄せ合って暮らす4人家族(キム一家)が、ふとしたきっかけから、大金持ちパク一家の屋敷に次々と働き口を見つけます。長男と長女は相次いで屋敷主(IT会社社長)のふたりの子供の家庭教師となり、やがて貧しい家族が裕福な家族に仕掛けた「計画」(罠)が奏功し、両親も同じ屋敷の運転手と家政婦の職にありつきます。屋敷を長年支えてきた有能な家政婦はとうとう追い出されてしまいます。幸いなことにパク一家は4人がキム一家だということに気づきません。ただ、貧しいキム一家が否応なく放つ生活臭が少しずつ綻びを招くことになります。日々の生活費にさえ汲汲としていたキム一家がパク一家に寄食したあたりで、パラサイトというタイトルに合点がいくはずです。そこから、パク一家が貧困家族に翻弄される展開を予想したりすると、中盤からまんまと裏切られます。随所にちりばめられた伏線や貧富の差を象徴する半地下の居宅と高台のお屋敷を行ったり来たりするカメラワークにも注目です。

ネタバレを避けたいのでこれ以上ストーリーに深入りすることは控えますが、韓国語を字幕で追う違和感やストレスは一切ありませんでした。巧みなプロットで終盤まで息もつかせぬ展開が続きます。さしずめ後半はサスペンスと言っていいでしょう。アカデミー賞作品賞にふさわしい作品だと思いました。『グリーンブック』が半世紀前の熾烈な人種差別に材を得ながら、ユーモアを交えつつ埋め難い隔たりのあったふたりの間に絆が育まれる過程を丁寧に克明に描いたの対して、『パラサイト 半地下の家族』は現代の格差社会の実相をあぶりだし、富めるパク一家に欠けていて貧しいキム一家には確かに存在する紐帯に迫ります。現代社会に潜む問題を鮮やかに剔抉するという意味において、両作は響き合っているように思います。多様性(diversity)こそ、21世紀の映画が深堀すべき大きなテーマなのだと6000人を超えるアカデミー会員の過半が考えているのだとしたら、アメリカの映画界は偉大だと言うしかありません。

ルー・デュモンのコルトン・グランクリュ2014年を抜栓

最近知り合ったばかりの同郷のワイン好きを自宅に招いて、セラーに寝かせておいたコルトン・グランクリュ(ルー・デュモン)2014年を抜栓しました。アニバーサリーや特別な日に飲もうと思って当たり年に気に入ったワインを買ってセラーにストックしておいても、ふさわしい機会はなかなか訪れるものではありません。ひと口に酒飲みと言っても、多数派と思しきビール党に加え、焼酎党・日本酒党ありとアルコールの嗜好は人それぞれです。気取っていると思われるせいか、男性のワイン派はどちらかと言えば少数派で、ワインパーティは圧倒的に女性向けなのです。

くだんのワイン好きは、仕事で東京都と地方を行ったりきたりしながら、フレンチを楽しんでいる方なので、ホームパーティーに奥様同伴で足を運んで下さいました。

パーティの主役ルー・デュモンは、単身でフランス・ブルゴーニュに渡り、成功を収めた稀有の日本人醸造家仲田晃司氏が手掛けるブランドです。2003年、ブルゴーニュの神様と呼ばれるアンリ・ジャイエが仲田氏のワインを絶賛したエピソードは、今も語り草となっています。オレンジ色のエチケットには「人は、天と地によって生かされている」という氏の考えに基づき、「天・地・人」と刻まれています。2020年は奇しくもドメーヌ創業20周年にあたる記念すべき年でもあります。

2014年はグッドヴィンテージ。ブルゴーニュグラスに注ぐと、鮮やかなルビー色が一段と映えます。特級畑コルトンの平均樹齢50年というヴィエイユ・ヴィーニュ(V.V.=Vieille Vigneは古樹のこと)から生みだされたコルトン2014年は、逸品にふさわしい味わいで、果実味が際立っているよう思いました。香りは控えめ、熟成感を愉しみたければもう少し寝かせておけば良かったのかも知れません。

年々進化を重ねる仲田氏のワイン、氏が憧れの畑だと語るミュジニーやシャンベルタンが近い将来世に送り出される瞬間が楽しみでなりません。

20年ぶりの韓国映画:『国家が破産する日』は金融映画における金字塔でした!(ネタバレあり)

過去観たことのある韓国映画はたったひとつ、北朝鮮工作員と韓国諜報部員の悲恋を描いた『シュリ』(1999年)だけです。韓国は訪れたことさえありません。2004年頃の「冬ソナ」ブームもまったく心に刺さることなく素通りしていました。韓国映画をことさら毛嫌いする特別な理由があったわけでもないのですが、韓国は、渡航歴のある中国や台湾より近くて遠い国でした。

今月、WOWOWで放映される『パラサイト 半地下の家族』(2019年カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞受賞作であり第92回アカデミー賞作品賞受賞作)は見逃すまいと思っていたところ、たまたま金融危機をテーマにした全国紙の映画紹介記事が目に止まり、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』に次いでおススメだった『国家が破産する日』(2019年11月公開)を先に観ることになりました。

この映画は、1997年に韓国を襲った通貨危機をテーマにしています。1997年といえば、三洋証券、拓銀山一証券など金融破綻が相次ぎ、目を外へ転じればアジア各国を急激な通貨下落を襲った年でもあります。

通貨危機の前年10月、韓国はOECDに加盟します。世界で29番目、アジアでは日本に次いで2番目の栄誉でした。OECD加盟は韓国経済が先進国並みの水準に達した証しであり、映画の冒頭では浮足立つ街角景気が切り取られています。私企業に新入社員が囲い込まれていく様子は、さながら我が国のバブル時代です。

逸早く異変を察知した韓国銀行通貨政策チームの女性リーダーのハン・シヒョン(キム・ヘス)、食器工場の社長ガプス、総合金融会社(日本のノンバンク)を辞めて金融コンサルに転じたユンの異なる三者の眼を通して、忍び寄る通貨危機が克明にトレースされていきます。

つんぼ桟敷におかれたままの国民に真相を伝えるべきだと主張するシヒョンは、財務部次官ハンと事あるたびに対立し、IMFによる救済支援に反対したことから窮地に追い込まれます。IMFが韓国に突きつけた救済条件(緊縮財政・金利引上げ・負債圧縮・敵対的買収容認等)は有無を言わせぬ苛酷なもので、太平洋戦争前夜のアメリカの対日交渉を彷彿させます。やがて、シヒョンはIMFの背後に韓国経済を牛耳ろうと企む米国政府がいることに気づきます。

危機の兆候を敏感に嗅ぎ取ったユンは、投資家を募り、ウォンを米ドルに換えて大儲けを企みます。そこには、<人の行く裏に道あり花の山>の相場格言を地で行く冷静な判断がありました。

チームの仲間に励まされたシヒョンは、残された選択肢はモラトリアム(支払猶予)だと考え、政府の意向に反旗を翻し、事の真相をメディアに暴露します。ところが、政府の走狗と化したメディアはどこもこれを報じません。絶望したシヒョンは辞表を提出し韓国銀行を去ることになります。倒産寸前の大手百貨店に掴まされた手形が紙切れとなり、途方に暮れたガプスは死に切れず、融資先の斡旋を依頼しに辞職したばかりのシヒョンを訪ねます。ふたりは兄妹だったのです。韓国の経済情勢はこの通貨危機で一変し、爾来、国民の自殺率は急上昇したと言われています。

外貨準備高世界第2位とはいえ、GDPの2倍を遥かに超える債務残高を抱える我が国が安泰だという保証はどこにもありません。通貨危機は決して対岸の火事でも他人事でもないのです。通貨危機に瀕して右往左往する韓国政府の姿は、副作用を一顧だにせず土地関連融資の総量規制に踏み込んだ当時の大蔵省や公定歩合を5度にわたって引き上げ金融引き締めの手を緩めなかった日銀と見事に重なります。韓国では半世紀近く経って、政府の犯した過ちを舞台裏から追及する質の高い映画が制作されたわけですが、日本では、第二の敗戦とも呼ばれる「喪われた20年」をもたらした政策当局の過ちに迫るドキュメンタリー映画は未だ陽の目を見ていません。第二の敗戦を徹底的に掘り下げた社会派映画を待望してやみません。

米大統領選挙前夜~NHKスペシャル「揺れるアメリカ 分断の行方」を見て~

世界が固唾を呑んで見つめる米大統領選挙がいよいよ明日に迫りました。激戦州のひとつミシガン州を取材した直前NHKスペシャル(2020/11/1)を見て、今、アメリカで起こっている「分断」という凄まじい現実に震撼とさせられました。映像を通して見た米国の「分断」は、この瞬間も現在進行形で拡大し続けており、「分断」という言葉が喚起するイメージや意味合いを遥かに超越するものでした。言葉が明らかに現実に追いついていないのです。それは、「内戦」を引き起こしかねない切迫した情況なのです。

番組冒頭で銃の講習会に参加する大勢の女性の姿が紹介されます。米国内では自衛に走る市民が銃器店に殺到し、弾薬などの在庫が払底しているそうです。米国の治安は日増しに悪化しています。トランプ陣営では「プラウドボーイズ」と呼ばれる武装した白人至上主義者グループが擡頭し、人種差別抗議運動を展開するバイデン支持者と鋭く対立します。一方、目には目をと言わんばかりに、バイデン陣営の過激なグループはトランプ支持者が自宅の庭に掲げるプラカードや看板を根こそぎ奪うという暴挙に出ます。「プラウドボーイズ」に対抗する勢力は、「アンティファ」と呼ばれています。

バイデン候補は、トランプ政権の下、人種差別が拡大したと批判し、トランプ大統領は「法と秩序」を重視する姿勢を強調し、暴徒化したデモを実力行使によって封じ込める挙に出ます。ラストベルトの典型的住民である穏健な白人労働者層は、トランプ大統領のこうした姿勢を諸手を挙げて支持します。ミネアポリスでジョージ・フロイド氏が白人警官に首を膝で抑え込まれ死亡した事件を契機に拡散した「BLM」(”Black Lives Matter=黒人の命は大事)は、皮肉なことに、穏健な白人労働者層の眼には平穏な日常生活を一転させ「分断」を助長する動きと映るのです。「ALM」("All Lives Matter=すべての命が大事)が、「BLM」のアンチテーゼとして取り沙汰されるという不可思議な光景は、人種問題に無頓着な日本人には到底理解不能なのです。

共和党を支持するある白人労働者の家庭では、マスクを着用せずコロナ感染したトランプ大統領の非科学的態度を疑問視する息子がバイデン支持に傾き、家族の絆にさえ綻びが生じています。ご近所にあって、トランプ支持者とバイデン支持者が反目しあうという状況も今や決して珍しい光景ではないのです。もはや、白人対有色人種という単純な対立軸ではないことを再認識してかからねばなりません。

米大統領選挙前夜のメディア予想では、バイデン候補がトランプ大統領を7ポイント以上引き離して、有利とみられています。こうなると、どちらが当選しても、米国の「分断」にさらなる拍車がかかることは疑いを容れません。敗者が選挙の公正を争って法廷闘争に発展する可能性も十分ありえます。勝者なき大統領選挙の後、世界のリーダー米国が団結力を喪って迷走すれば、コロナ禍で大打撃を受けた世界経済の立て直しは五里霧中に陥ってしまうことでしょう。民主主義の根幹には何より他者の意見に耳を傾けるという寛容さが求められます。大統領候補のふたりが討論会でお互い罵り合うような事態に、真っ当な市民が一番危機感を募らせているのではないでしょうか。