クマと遭遇したらどう対処すべきか~「熊よけ鈴」にクマを遠ざける効果はあるのか~

2020年9月5日、羅臼岳下山後、登山口(木下小屋)掲示板に貼られたヒグマの最新目撃情報(写真下)を見て、知床半島にヒグマが相当程度高い密度で生息していることを再認識させられました。明け方、ひとりでひたすらミズナラの目立つ尾根道を登っていたときの心細さといったら、形容のしようがありません。コース前半のヒグマの出没率は高いと思って警戒を怠らない方が賢明です。

前泊したホテル「地の涯」で熊スプレーをレンタルするつもりでしたが、フロントから梨の礫でした。結局、ザックに取り付けた<熊よけ鈴>だけが頼りの登山になりました。北海道に生息するヒグマの体長は230㎝前後、体重は150~250kgに達しツキノワグマと比べたらその図体は圧倒的に巨大です。もし遭遇してしまったら、どう対処すべきか、東京に戻ってきて真面目に学習し始めました。参考文献は次の2冊です。

1)『熊が人を襲うとき』(2017/5・米田和彦著・つり人舎)

2)『ヒクマ学への招待』(2020/3・増田隆一編著・北海道大学出版会)

1冊目の著者米田さんは、秋田県庁退職後にフリーのクマ研究家になった方で、ツキノワグマに関する著作が数多くあります。クマに襲われた過去の事例を丹念に分析し、巷間流布している様々な対策の優劣を論じています。万一、クマと遭遇したと仮定して、登山者が襲われないためにどう対処すべきか、有益だと思われた情報を列挙しておきます。

・クマとの距離が20m以上なら不動、そのまま摺り足で下がる(逃げる動作は緩慢に行い後退りが正解)。
・クマとの距離が10m前後なら、すべての「急」のつく動作は危険を伴う(素早い動きにクマは俊敏に反応)。
・しゃがむ、拾うなど身をかがめる行為は攻撃を誘発する。
・クマに背を向けて逃げると襲われる可能性が高い。

要するに、クマを刺激するような行動は一切避けろということになります。襲われたらどうするか・・・顔を隠し、身体に手がかかったとしても動かないという静的反応が推奨されています。一定の距離があれば、前述の対処法は確かに有効な気がします。一番怖いのは出会いがしらの遭遇、こうなれば万事休すだと覚悟するしかありません。

遭遇しないように、登山者は<熊よけ鈴>を携行するわけですが、果たしてクマを遠ざける効果は期待できるのでしょうか。登山者がお守りの如く携行する<熊よけ鈴>の効用の有無、これが最大の関心事ではないでしょうか。環境省のクマ対策マニュアルによれば、(一定の)効果は期待できるとされています。音色については、クマの聴力は低音域より高音域が人より優れているそうです。だとすれば、真鍮製の高音ベルタイプの方が低音のカウベルタイプより効果大のはずです。

対極に、却って、危険動物であるクマに人の存在を知らせてしまうだけだという考えがあります。これまで、少しでも鈴の音が聞こえれば、クマの方が危険回避のために逃げてくれるものだと考えられてきました。ところが、最近は<熊よけ鈴>を携行していても襲われる事故が多発しているそうです。さすれば、<熊よけ鈴>の効果を過信しないこと、これも貴重な教訓と言えそうです。

『ヒグマ学への招待』においても、ヒグマに遭遇してしまったときの対処はほぼ同じでした。人に馴れたクマを生み出さないように、山でゴミを捨てて人の食べ物を味を覚えさせてはなりません。第12章で写真家の伊藤健次氏はこう結んでいます。

「ヒグマは私たちの生活と地続きの土地が健全で生命力にあふれていることを伝えてくれる、野生からのメッセンジャーである。」


羅臼平のフードロッカー

『ヒグマ学への招待』は、第II部「文化の中のヒグマ」において、アイヌ文化との歴史的関わりを中心にキムンカムイ(山の神)と呼ばれるヒグマと人とのあるべき関係~平和的共存関係~を掘り下げています。ヒグマと人との関係を考えることは、真剣に地球環境問題と向き合うことに繋がるように思います。

鈴木都さんのぐい吞で生原酒「大洋盛」を頂きました!

しぶや黒田陶苑の2020年「鈴木都展」初日、家内に頼んでぐい呑の物色方々、現地に足を運んでもらいました。今年で3回目の個展だそうです。2年前、しぶや黒田陶苑恒例の「双頭ノ酒器展」で鈴木都(すずきしゅう)さんの美濃唐津と出会ってひと目惚れ!爾来、この作家さんの作品が気になって、ギャラリーから案内が届くたびに、展覧会に顔を出してきました。

茶道のたしなみがないので立派な茶碗には手を出せませんが、ぐい呑ならお財布と相談しなくてもポケットマネーで何とかなりそうです。そんなわけで美濃唐津にはじまり、これまで瀬戸黒と赤志野のぐい吞を手に入れました。こうして仲秋を迎えると、手持ちのぐい呑では飽き足らず、新作のぐい吞で一杯傾けたくなるものです。

今回は、猩々志野や紫志野に狙いを定め、黄瀬戸も(好みの品が)あればというスタンスで臨みました。仕事で手が離せないので、家内にスマホで撮影した写真を転送してもらって、リモート品定めさせてもらいました。便利な時代になったものです。形状は歪みのある沓形(くつなり)が好みです。あらかじめ、家内に希望を伝えておいたのが幸いして、願いどおりの品を入手することができました。購入したのは次の3点です。写真左手から

◎ 黄瀬戸ぐい呑
◎ 紫志野ぐい呑
◎ 紫志野片口

お目当てのひとつだった猩々志野(以前、個展で目にした作品もアップしておきます)は、在廊のご本人曰く「釉薬が入手できず、今回は出品できなかった」ということでした。購入したぐい吞2点はいずれも思ったより大ぶりで存在感抜群です。ぐい吞を買ったその足で、家内が新潟・大洋酒造の生原酒「純米吟醸大洋盛」もゲット、早速、酒の肴をお伴に宴の始まりです。魯山人の言葉に倣えば、「酒器は着物」ということになります。加水されていない力強い生原酒の味わいを、ぐい吞が存分に引き立ててくれました。片口は目だけで愛でるに留め、次回、友人でも招いてご披露するとしましょうか。

画期的な新品種「ぽろたん」で作る栗ご飯

スポーツジムでTVを見ながらエアロバイクを漕いでいると、ときどき耳寄りな情報に触れる機会があります。

ぽろたん」という栗をご存知でしょうか?つい最近知ったのですが、渋皮が剥きやすい新品種の名称のことです。ここ数年、我が家の食卓に栗ご飯が登場しません。家内に理由を質すと、「下ごしらえに手間がかかる栗ご飯を作っても、(家族の)反応がイマイチだから」というのです。和栗は、渋皮と食べる部分の間に糊の役割を果たす接着物質があって、非常に剥きにくいのだそうです・・・一方、天津甘栗でおなじみの中国栗は渋皮と身の間がスカスカで手で剥けるのが特徴です。

2006年に、和栗にもかかわらず簡単に渋皮が剥ける新品種「ぽろたん」が開発され、徐々に流通するようになったというのです。たまたまスーパーで見つけたので、早速大きめの3Lサイズを購入して、家内に栗ご飯を作ってもらいました。栗の鬼皮に包丁で2㎝程度の切れ目を入れてオーブンで約7分加熱すると、渋皮まできれいに剥けてしまいます。侮る勿れ!加熱するだけで瞬く間に皮が剥けるこの画期的な新品種の開発は、縄文時代まで遡る1万年に及ぶ和栗の歴史においても奇蹟的出来事なのです。

詳しい栗ご飯のレシピは<ぽろたんで作る栗ご飯>というタイトルでYouTubeにアップされています。剥きやすい洋栗は香りがイマイチで栗ご飯には不向きだそうです。お手柄の歴史的品種改良を成功させたのは農研機構、正式名称は国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構といいます。鬼皮と一緒に渋皮がぽろっと剥けるから「ぽろたん」、覚えやすくて可愛らしいネーミングです。「ぽろたん」の系統図を農研機構のHPから拝借してきました。香しき和栗だというのが嬉しいですね。

「たいめいけん」移転を前に<タンポポオムライス>を頂きました!

昭和6年創業の日本橋1丁目の洋食屋さん「たいめいけん」が来る10月19日(月)を以て、新店舗移転のため、しばらく休業されるのだそうです。イートインでしか「たいめいけん」を利用したことがないという家内と一緒に、久しぶりに名物「タンポポオムライス」を頂くことにしました。

連休3日目、案の定、15名前後の行列が出来ていました。行列を外れて数組が少し価格設定の高い2階へ向かったため、30分ほどの待ち時間で店内に案内され「タンポポオムライス」にありつけました。ここで働いて40年になるという女性スタッフ曰く、日本橋再開発に伴い、自社ビルを売却し向こう5年ほど日本橋室町の仮店舗で営業を継続されるということでした。年内にはビルは取り壊されるのだそうです。その昔、近所のN証券子会社N常務によく「たいめいけん」で特製ランチを御馳走になったものです。懐かしい思い出の詰まった老舗洋食レストラン「たいめいけん」の建物が取り壊される前に、たまたま近くを通りかかったのも、虫の知らせだったのでしょう。

名物「タンポポオムライス(伊丹十三風)」は、伊丹十三監督の映画『タンポポ』(1985年)に登場する乞食が子供にオムライスを作ってあげるシーンに由来します。「オムライスはオム(卵)とライスに分かれているのに、卵とご飯を一緒にするのはおかしい」とする伊丹監督のこだわりを忠実に再現したのが、「たいめいけん」特製「タンポポオムライス」というわけです。映画『タンポポ』は売れないラーメン屋を立て直す話がメインですが、食に纏わる様々なエピソードもあまた散りばめられていて、「タンポポオムライス」はそのひとつです。

メインの「タンポポオムライス」を注文して提供されるまで15分余り。その間、50円という破格の値段で提供されているこれまた名物のコールスロー(coleslaw)とボルシチを注文して空腹を凌ぎました。サイドメニューの天下一品・ボリューム満点という修飾は決して誇大広告ではありません!コールスローは、キャベツにタマネギとニンジンだけを使ったシンプルなレシピながら、冷やされて酢となじんだ味が絶品です。我が家では、コールスローは「たいめいけん」レシピと決まっていて、ビネガーはリンゴ酢を使ってコーンを加えることにしています。


↑自家製コーン入りコールスロー
そうこうするうちに、「タンポポオムライス」が運ばれてきました。卵を3個使った大きなプレーンオムレツがチキンライスを覆っています。数秒眺めたら、躊躇なくプレーンオムレツにナイフを入れます。するとトロトロの中身があっという間にチキンライスの上に拡がります。プレーンオムレツに見とれてしばらくナイフを入れるのを躊躇っていると、トロトロの中身が固まりはじめこうはなりません。ケチャップでしっかり味付けされたチキンライスはまさに王道、プレーンオムレツとのコンビネーションは職人芸の極みです。こればっかりは素人には再現不能です。別にケチャップが添えられているので、途中からトッピングして濃い味も楽しみました。

周囲を見渡すと、8割方のお客さんは「タンポポオムライス」を注文していました。タンシチューやビーフシチューにも食指を動かされましたが、今回は「タンポポオムライス」でお腹一杯でした。名残惜しいので、日本橋の「たいめいけん」を、閉店までにもう一回訪れようと思っています。

久しぶりに映画の梯子〜『パヴァロッティ 太陽のテノール』+『ミッドウェイ』~

この連休初日は、TOHOシネマズ日本橋で久しぶりに映画2本を観ることに。鑑賞前にお気に入りモーニングを頂こうと、勇んでミカドコーヒー日本橋店に立ち寄りました。ところが、コロナの影響でモーニングの提供を控えている由。そこはめげずに、ブレンドLサイズと厚焼きトーストを注文、カフェで寛いだ週末の朝を迎えました。

11:20〜13:30 『パヴァロッティ 太陽のテノール
15:00〜17:30 『ミッドウェイ』

三大テノールのひとりとして一世を風靡したパヴァロッティの初のドキュメンタリー映画と来れば、見逃すわけにはいきません。東京でも上映館の限られる1本目の『パヴァロッティ』は、この機を逃してはきっと後悔しそうです。TOHOシネマズ日本橋はDORBY ATMOS(+200円)を備えた上映館ですから、リアルな音響が堪能できます。数々のエピソードと23名ものゆかりの人物へのインタビューを通して、パヴァロッティの生い立ちや人となりが浮き彫りにされていきます。

父親はパン職人でアマチュアテノール歌手でした。その父を慕い、やがて小学教師を辞めて歌手への道を歩み始めるパヴァロッティ。タバコ工場で働く母親の「あなたの声は(お父さんと違って)心に響く」という言葉が、パヴァロッティの運命を決定づけたに違いありません。

25歳で『ラ・ボエーム』の詩人ロドルフォ役を務めると、トントン拍子でスター街道を爆進します。1968年のニューヨークのメトロポリタン歌劇場デビューもロドルフォ役でした。1972年2月、メトロポリタン劇場で上演されたドニゼッティの歌劇『連隊の娘』に出演、パヴァロッティはトニオ役のアリアでハイC(高いハ音)を9回、易々と歌い上げ大喝采を浴びて名声を獲得、「キング・オブ・ハイC」という異名を恣にします。パヴァロッティは、インタビューで度々腹筋や横隔膜の使い方に言及していますが、その歌唱技術は天賦の才という他ありません。少ない息継ぎで遠くまで朗々と響く発声ができるのは、完璧な<ベルカント唱法>を身につけていたからなのでしょうか。

1990年7月のローマ・カラカラ浴場における三大テノールによる競演シーンは鳥肌ものです。200人を超える大編成オーケストラを率いる指揮者のズービン・メータも競演者のドミンゴカレーラスも実に楽しそうでした。思わずスクリーンに向かって拍手しそうになりました。『トゥーランドット』第3幕カラフのアリア「誰も寝てはならぬ」や『ラ・ボエーム』の「冷たい手を」をはじめとするパヴァロッティ18番の楽曲は、レジェンドとして永遠に輝き続けることでしょう。

この映画がテノール歌手としてのサクセスストーリーと共にスポットを当てたのは、前妻との出会いに始まる女性遍歴と子供たちや孫への惜しみない愛情でした。とりわけ印象に残ったのは、10年以上にわたって生徒であり秘書兼愛人だったソプラノ歌手マデリン・レニーとの関係でした。パヴァロッティの傍に長くいた同業の彼女こそ、最大の理解者であり全盛期を支えていたのだと感じました。一方、40年近く連れ添った前妻アドゥア・ヴェローニの「あの声に恋しないなんてありえないわ」という言葉も印象的でした。

弾ける笑顔、手ずからパスタ料理を振る舞う庶民感覚、慈善活動への傾注、ジャンルを超えた音楽コラボなど、パヴァロッティの豊かな人間性を裏づけるエピソードは事欠きません。無条件に人を信じたというパヴァロッティは、だからこそ、大勢の人の心を虜にしたのでしょう。

オペラの主人公は大抵死んでしまう。ドニゼッティのコメディオペラ「愛の妙薬」の陽気な百姓役が好きだと言うパヴァロッティにオペラファンなら誰しも親近感を抱くはずです。エンドロールにはゆったりとした「オー・ソレ・ミオ(「私は太陽」)」が流れます。太陽のような人という称号がパヴァロッティほど似合う人を他に知りません。

長くなりましたので、2本目『ミッドウェイ』については別の機会にレビューしたいと思います。

テイスティング:初摘みコーヒー・トアルコ トラジャ 2020

KEY COFFEE通販倶楽部を通して、<初摘みコーヒー トアルコトラジャ2020>を注文したのが6月1日。待ちに待ったコーヒー豆(200gX3袋=税込8640円)が今日(9月18日)届きました。【数量限定・完全予約制】「今シーズン最初に収穫された年に一度の希少な味わい」という謳い文句にまんまと釣られて発注したものです。同封のパンフレットによると、毎年7月頃から収穫が始まるのだそうです。

コーヒー好きの方なら皆さんご存じの「幻のコーヒー」トラジャは、インドネシアスラウェシ島トラジャ地方のみで産出されるコーヒー豆のことです。かつてオランダ領だったインドネシアは第二次大戦中にコーヒー農園がすっかり荒廃し、オランダ王室ご用達として知られたトラジャは滅んだと言われていました。この希少種を復活させたのがKEY COFFEEです。同社直営パダマラン農園で35万本ものコーヒーの木が栽培されています。

美味しいコーヒーを頂く礼儀として、カップはあらかじめ温めておき、KARITAナイスカットミルで中挽き(目盛り:3)にしました。深めに焙煎されたコーヒー豆は粒揃いでいい香りがします。中挽きしてゆっくりペーパードリップしてカップに注いでみると、色目は濃い印象です。抽出後の香りは期待ほどではありませんでしたが、味わいは酸味と苦みがほどよくバランスして本格派コーヒーといっていいでしょう。明日はフレンチプレスを試してみようと思っています。

インドネシアといえばスマトラ島で収穫される深みのあるマンデリンG-1も好みです。どうやら、インドネシアのコーヒーとは頗る相性がいいようです。ジャコウネコの糞から取ったインドネシアの超高級コーヒー豆「コピ・ルアック」は本物を飲んだことがないのでノーコメントです。

羅臼岳登山の前泊は「秘境知床の温泉宿 地の涯」~詳しくレビューします~

海外旅行は当分難しそうなので、今年は未踏の地を中心に国内を旅して廻ろうと思っています。9月第1週は2泊3日の強行軍で知床半島に遠征しました。前回は厳冬期でしたが、2年ぶりの知床訪問になります。めざすは知床連山最高峰の羅臼岳斜里岳です。

お天気を睨みながらの数日前手配でしたが、羅臼岳登山口直結の宿として有名な「地の涯(ちのはて)」(総部屋数40室)をハイシーズンに予約できて僥倖でした。翌日の土曜日は満室、殆どが登山客のはずですから、遠征前からモチベーションは上がりっぱなしでした。山行記録は後日アップすることにして、今回は「地の涯」を詳しくレビューしていきたいと思います。

東京(羽田)からの交通アクセスは以下のとおりです。オホーツクエリアの空の玄関口女満別空港でレンタカーを借りれば、「地の涯」へのアクセスは比較的容易と言えます。日没前の到着を目指すなら、午後2時前後に女満別空港に到着する便に搭乗するといいでしょう(因みに今回搭乗したのは羽田12:30発のJAL567便でした)。

(飛行機)   羽田~女満別空港   (所要時間) 1時間30分

(レンタカー)女満別空港~「地の涯」(所要時間) 2時間30分

お天気にさえ恵まれれば、左手にオホーツク海を眺めながら進む国道334号線ドライブは格別です。途中に「オシンコシンの滝」などの観光名所もありますが、帰路、立ち寄ることにしました。「地の涯」の数キロ手前に「知床自然センター」がありますので、立ち寄って最新情報を収集するといいでしょう。カフェやノースフェイスのショップを併設していて居心地のいいスポットです。ドライブを再開するとほどなく岩尾別温泉という標識が現れますから、そこを右方向へ下っていきます。

無料駐車場にレンタカーを停めたらすぐチエックインです。翌朝は4:30起床・5:00から登山開始なので、フロントで朝食のおにぎりへの振替えをお願いしました。大きなおむすび2個(塩加減が絶妙でした!)と魚肉ソーセージにカロリーメートがついてきました。【登山者応援プラン(朝夕食付き)】を選ぶと、チエックアウト後の無料入浴券がついてきます。

「知床」はアイヌ語で<シリエトク>(sir・etoko)。シリは大地、エトコは突端という意味なので「知床」は「大地の突端」ということになります。「地の涯」という名称もアイヌ語<シリエトク>に因んで命名されたのでしょうか。HPにある「日本で唯一の泊まれる世界自然遺産秘境知床の温泉宿 地の涯」というキャッチコピーに抗い難い魅力を感じてしまいます。

湯浴み着を纏って露天風呂に浸かっていると、立派な角を持ったエゾシカが目と鼻の先でゆったりと野草を食んでいました。知床半島の深奥部にやってきたことを実感した瞬間です。「地の涯」へ来る途中もキタキツネを見かけました。「地の涯」に泊まれば、峻厳で雄大大自然の真っ只中にいることを肌で感じられること請け合いです。「地の涯」HP TOPにアクセスすると、空撮された息を呑むような美しい映像(万緑時期と紅葉時期)が流れます。この映像を見れば、「地の涯」の位置関係は一目瞭然です。

露天風呂に浸かったあとは、大広間で夕食です。季節によってメニューは異なるようですが、今回はお品書の添えられた「地の涯(上)御膳」が供されました。松華堂に別盛りのウトロ産茹で毛蟹、羅臼産干しホッケ、羅臼産帆立稚貝の鍋盛り・・・と豪勢極まる料理に舌鼓。羅臼岳登頂後にとっておきたいような晩餐でした。生ビールを頂いたので、食後にフロントで精算を済ませました。

部屋に戻って、翌朝登山の装備確認とパッキング。テレビは複数のチャンネルを見ることができましたが、ソフトバンクスマホはまったく繋がりませんでした。wifi環境さえ調っていたら、至れり尽くせりだったことでしょう。写真のような8畳の和室はお一人さまには十分な広さで清掃が行き届いていました。浴衣やタオルなどアメニティも完備されています。廊下にはウォーターサーバーが設置されていて、重宝しました。22:00前に就寝しようとしたら却って目が冴えわたり、脇机に置いてあった石川直樹さんの写真集『SHIRETOKO SUSTAINABLE』3冊に目を通してしまいました。

備え付けのパンフにこうあります。

<今、あなたは世界自然遺産の中にいます>


翌朝、夜明け前のフロント風景です。ドアを手でこじ開けていざ出発です。