新年はシュトラウスを聴きたい

新年早々、ウィンナワルツを聴きに東京オペラシティコンサートホールへ。本場ウィーンでは、毎年元日に楽友協会大ホールでウィーンフィルニューイヤーコンサートが催されます。世界100カ国へ衛星中継されるくらいですから、自分も含めて、世界中のファンがこの日を楽しみにしているのです。いつの日か、チケットを入手して現地で聴けたらと思うのですが、生きているうちに叶うかどうか。

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東京でも元日から3日連続でサントリーホールにおいてウィーン・フォルクスオーパ交響楽団によるニューイヤーコンサート2019が開催され、9日はウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラが東京オペラシティコンサートホールに登場ですから、日本でもウィーンのフィルハーモニーによるニューイヤーコンサートは風物詩として定着してきたのではないでしょうか。もちろん、こうした演奏会はウィーンフィルニューイヤーコンサートの世界的知名度から派生したものであるには違いありませんが、なんと言ってもシュトラウスファミリーの楽曲全般が明るく軽快で、新年を迎えたばかりの人々の気持ちを華やぎに満ちたものにしてくれるからではないでしょうか。前半の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」は運動会に流れる誰もが知っている定番曲、インターミッション(下はCD販売の様子)を挟んで、後半最初に演奏された「春の声」(ヨハン・シュトラウス二世)は、いつ聴いても心を浮き立たせてくれます。

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シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラの名物指揮者はペーター・グート。年齢不詳ですが80歳近いのではないでしょうか。ヴァイオリニストでもありますから、弓を片手に指揮する場面も印象的です。楽団員には高齢の方も目立ち、円熟の演奏に期待が昂まります。オペレッタの王様「こうもり」でスタートした演奏会は、ギャロップポルカあり、皇帝円舞曲ありの実に愉快なプログラムでした。ソリストはソプラノのアネッテ・リーピナとバリトンの平野和(ひらのやすし)。本場ウィーンを拠点に活躍する平野さんの日本人離れした声量と容姿に、会場からは万雷の拍手が送られていました。

音楽に合わせて、オペラの名場面では、スロヴァキア国立劇場バレー団から男女二人のダンサーが登場し流麗なパフォーマンスを披露してくれました。ニューイヤーコンサートの真骨頂はフィルとバレーパフォーマンスのコラボに尽きます。あっという間の2時間が過ぎて、最終曲は「美しき青きドナウ」。続いてアンコールは「百発百中」「颯爽と」とポルカ・シュネルが2曲続き、定番「ラデツキー行進曲」がフィナーレを飾りました。アンコールの間は手拍子ありポルカの軽快なリズムに合わせたハンドパフォーマンスありと、客席を巻き込んだ舞台演出に観客は大歓びでした。壇上には蝶ネクタイ姿の男の子と女の子が招き寄せられ、中編成のオーケストラを指揮するという楽しい余興つきでした。その間、ソリストと指揮者は客席をめぐり、歓声に応えてくれました。

シネマレビュー「エベレスト3D」(2015年11月日本公開)

映画館で見損ねたことを大いに後悔しています。封切りから3年余、この映画を数日前に鑑賞したところです。キャスト陣と制作スタッフが過酷な環境のロケ地に身を置いて制作したからでしょう、渾身の一作に仕上がっています。ジョン・クラカワーの『空へ』(1997年10月)を出版直後に買って幾度も読み返していたので、映画のあらすじは概ね理解しているつもりでしたが、BC以降は貧しい読者の想像力をはるかに超える峻烈極まりない映像の連続でした。

映画の原題は”EVEREST”、邦題に3Dなんてオマケがついているので、美しい山岳ドキュメンタリーフィルムと勘違いして劇場に足を運んだ人もいるのかも知れません。そんなに配給会社は3Dメガネで鑑賞して欲しいのでしょうか、タイトルの訳出は明らかに蛇足です。

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本作は、1996年5月にエベレストで実際に起きた大量遭難事故の実際をほぼ忠実に再現したものです。ロブ・ホール率いるアドベンチャー・コンサルタンツ遠征隊(以下:AC)は商業登山の先駆け的存在。ACは1992年頃から世界中から登山客を募って、高額のガイド報酬と引き換えに世界最高峰エベレストへの登頂を保証するというビジネスを開始します。創業以来、19人の顧客をエベレスト登頂に導いています。ただ、顧客と言ってもエベレストに挑むくらいですから、世界の名峰を股にかけてきたツワモノ揃い。ACの顧客8人のなかには難波康子さんという小柄な日本人女性も含まれていますが、彼女も例外ではありません。今回のエベレスト登頂が成功すればセブン・サミッツ制覇という偉業を達成することになるのですから。

映画はロブの出身地ニュージーランドで仲間と慌ただしく遠征の準備を始めるシーンから始まります。1シーズンに20の遠征隊がエベレストを目指すという異常事態に、ロブは固定ロープの奪い合いになるだろうと早くも現地の混乱を危惧。ネパールのカトマンズ市内のホテル(ガルーダホテル)に集合した登山客はそれぞれ冗談を交えながら自己紹介して、エベレストに挑む理由を披露していきます。ロブは静かに顧客の話に耳を傾けながら、「エベレストは猛獣だ!下山するまでが登山料金に含まれている。これからアタックまでの40日間、肉体と精神を鍛える!」と不退転の決意を表明します。

カラフルなタルチョ(五色旗)やヤクの隊列はチベット文化圏の象徴。タンボチェ僧院、登山者の慰霊碑を経由して向かうことになる標高5364mBC地点までの入山道程が丁寧に美しい映像として切り取られています。まるで自分が現地に乗り込んでいくような錯覚に囚われます。到着したBCはさながら国連総会、南アや台湾からの遠征隊も集結しています。ロブは米マウンテン・マッドネス遠征隊を率いる旧知のスコット・フィッシャーと出喰わします。この二人は遠征隊相互の登頂スケジュールの調整がつかないので、同業ライバルでありながら、少しでも渋滞を緩和しようと後日混成隊を編成して山頂を目指すことになります。

エベレスト登頂を控えて各登山隊にリラックスしたムードが漂うなか、ロブは険しい表情を崩しません。高地馴化を終えて、BC2〜BC4へと歩を進めるなか、ルート工作が不十分だったりベック・ウエザーズが視力障害で途中脱落したりと、ロブは限られた時間を加速度的に奪われていきます。やがて命綱の酸素ボンベも底をつき、高所性肺水腫や脳水腫、低体温症、凍傷など致命的障害をもたら危険が現実のものとなるのです。

結果、14時までに全員下山開始という安全確保のための最低限の下山ルールは遵守されませんでした。6万5千ドルという対価を払ってエベレストまでやって来た顧客に対して、なかには過去幾度かエベレスト登頂を目前にして断念した者がいたりして、隊長兼筆頭ガイドも「タイムアップだ!今すぐ下山しろ」と強くNOと言えない空気が支配的でした。ある顧客はアイスフォールに架けられたハシゴを前にして長時間待たされることに我慢ならず、こんな渋滞にお金を払ったつもりはないと激怒します。ヒラリーステップの渋滞も尋常ではありませんでした。酸素が地上の1/3しかない高所で強風に身を晒しながら待つ時間は、体力と酸素を根こそぎ奪っていくのです。

こうした状況下、難波さんも含め一部の顧客はかろうじて登頂こそ果たしたものの、天候は急変、ブリザードが下山途上のAC隊をはじめ各隊を襲い、8人が死亡、その前後も含めるとシーズン中に12人が亡くなるという最悪の事態となりました。<生きて生還してこそ成功>とロブがホテルで誓った約束は無惨にも反古にされ、懸命に顧客の命を守ろうと奮闘したロブもスコットも還らぬ人になってしまいました。実際、ロブはメールマンの稼ぎでエベレストに再チャレンジしたダグをルールを犯してまで登頂させ二人三脚で下山をヘルプした結果、落命したのです。BCマネージャーのヘレンは涙しながら無線電話と衛星電話を繋いで、瀕死のロブと妻ジャンに最後の会話を促します。山稜に息絶え絶えで横たわるロブは乾いた口を雪で湿らせながら、クライストチャーチに住む妻ジャンに「愛している、心配するな」と呼び掛け、それが最後の言葉になってしまいました。ロブはダグの転落死に深い自責の念を感じ、覚悟の死を選んだようにも思えました。

死者として放置されたベックが奇跡の生還を果たし、危険極まりないヘリコプターの救出劇が実現したのが僅かな救いでした。

生殺与奪の決定権は常に山が握って離さない、そんな当たり前の大自然の掟の下ではどんな熟達の登山家も無力で頼りなくちっぽけな存在に過ぎません。世界最高峰の頂きで直面する極限状況においては、どんな優秀な山岳ガイドも他者の命を救うことは出来ないのだとこれでもかと思い知らされた映画でした。だからと言って、エベレスト登頂という登山家の夢を叶えようと奔走するAC隊をはじめとする商業登山ビジネスを全否定する気にはなれません。ロブをはじめガイドの技量や経験値が足りていなかったとも思いません。エベレストという山が存在する以上、これからも頂きを目指す者は絶えることはないでしょう。むしろ、撤退する勇気、ポイント・オブ・ノーリターンはどこにあったのか、どうしたらエベレストを攻略できるのかを深く考える契機を与えてくれます。山岳映画の白眉と言って過言ではありません。

空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか

空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか

映画レビュー「オンリー・ザ・ブレイブ(“ONLY THE BRAVE”」(2018/6日本公開)

2019年のお正月休みは連続9日間、こんなに長いとあらかじめ分かっていたら、海外で過ごせば良かったと反省しきり。特に12月の第5週の株式市場が大荒れだっただけにポジションを早めにスクエアにして海外逃亡すべきだったと、余計にそんな思いが込み上げます。さはさりながら、久しぶりに多めに借りてきたブルーレイやWOWOWで映画三昧の日々。

劇場で見逃した作品群でマイ評点4以上は、実話に基づいた「ウィンストン・チャーチル」と本作「オンリー・ザ・ブレイブ」でした。拵えました感の強いラブストーリーや中途半端なエンタテイメントに出喰わすと、視聴後、浪費した時間の長さに必ず後悔の念に駆られます。その点、史実に基づいたドキュメンタリータッチの作品は迫力が違います。昨年11月、「キャンプ・ファイア」と命名された北カリフォルニアの山火事は、カリフォルニア州史上最悪の惨事となりました。山火事の恐ろしさはメディアの映像からも明らかです。温室効果ガスが地球を温め続けるかぎり、秋はますます暖かくなって乾燥し、より大規模で延焼速度の速い山火事が起こること必定です。

本作は、こうした大規模な山火事と闘う森林消防隊員の日常をテーマにした稀有の作品です。森林消防隊は狭い国土の日本では馴染みの薄い存在ですが、通常に建物火災の消火に比して、実に危険極まりない仕事だということがこの映画を見るとよく分かります。

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建物火災であれば、防火服で身を固めた消防隊員が消火栓から取り込んだ大量の水を放水し、大型消防車が出動して火災現場で八面六臂の活躍をする場面を想起しがちです。ところが、森林消防隊員は、広大な山野に信じられないようなヘルメット姿の軽装で現れ、スコップやチェーンソウを携えて分け入ります。飛行機による散水を除けば、消火方法は火で火を制する恰好です。さながら江戸時代の火消しです。乾いた空気はあっという間に延焼範囲を拡大させますから、火の手が回りそうなスペースの樹木を先回りして燃焼させたり、広範囲に穴を掘って防火帯を築きます。防火帯築造の際も間断なくスポットファイアと呼ばれる飛び火が消防隊員を襲います。

映画の主役はアリゾナ州プレスコット市の森林消防隊。彼らの移動用の四輪駆動車には”Trainee”と書かれたステッカーが貼ってあります。彼らはいわば地元の消防隊員、大規模な山火事となると米国農務省林務局直轄の精鋭部隊(「ホットショット」)の出番となります。現場では、地方自治体に帰属する彼らの消火スキルや知見が勝るのに、ホットショットに本来の役目を横取りされたりします。

映画は悔しい思いをする彼らが新人二人を仲間に加えて自治体初のホットショットに昇格し(2008年)、活躍の場を拡げていく様子を活写します.。名付けてグラニット・マウンテン・ホットショット。43歳の指揮官エリック・マーシュは血気に逸る20代の隊員にさらなる過酷な訓練を課して、一人前のホットショットクルーに育て上げていきます。その過程で家族や隊員相互の人間模様が綾なし、観客はときに泣かされ、最後は温かい気持ちにさせられます。

そして、2013年、ホットショット昇格から6年目、アリゾナ州で落雷をきっかけに発生した山火事がグラニット・マウンテン・ホットショットの運命を左右することに。胸を焦がすラストは涙なくして観られません。

平成30年間の体験的回顧、そして「希望の轍」へ

晦日の昨日は雲ひとつない快晴。一昨日は午前中ジムで汗を流し、その足でTSUTAYAでブルーレイを借りて、さらに本屋で買い物。帰宅して新年に歳神様を気持ちよくお迎えすべく玄関アプローチの落ち葉拾い。いよいよ、年の瀬らしくなってきました。

早起きして新聞に目を通せば、平成30年間の回顧記事ばかり。振り返りたくなる気持ちも分からなくはありません。転職して中部地方から東京へ居を移したのは1987年、2年後に昭和天皇崩御され平成の御世に。振り返れば、我が東京暮らしは平成の時代とぴったり重なります。その平成という元号や時代がどこかしっくりこないうちに、来年4月30日には平成の御世も終わりを迎えます。思えば、あっという間の30年でした。

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長年、家族の暮らしを支えてきたマイジョブは金融でした。都銀から外銀へ、やがて主戦場は投資銀行へと移り変わりました。平成元年1月9日の日本の株式市場における時価総額No1はNTT(29.3兆円)、トップ10に銀行6行と総合証券1社が名を連ねていました。東日本大震災で未曾有の原発事故を防げなかった東電の時価総額も9.6兆円で堂々の4位。それがどうでしょう、平成30年12月28日の時価総額トップ10ランキングを見ると、金融界では5位に三菱UFG(7.4兆円)がランクインするのみ。しかも、その時価総額は、以降の複数行吸収合併を考慮に入れれば、30年前の半分を遥かに下回る水準で低迷しています。今や、銀行は衰退産業、メガバンクでさえいずれさらなる合併を余儀なくされるでしょう。地方銀行に至っては大半が存在意義を問われるほどの窮地に陥っています。理由は明快です。ネット社会に移行して、情報の非対称性が崩れて、銀行や証券会社の利用者が金融大資本に頼らなくても、ネット銀行やネット証券で用が足りるようになったからです。自分は銀行店舗に出向くことが殆どなくなりました。

一方、アップルが送り出したiPhoneGoogle検索に代表されるように、IT業界では革命的なイノベーションが一気に進みました。公共交通機関においてスマホを触っている人ばかりが目立つようになったことが、平成という時代がもたらした最大の恵みであり、同時に、災禍なのかも知れません・・・・。金融に限らず旧態依然の産業はいずれ駆逐されるか大規模な業界再編を余儀なくされるでしょう。オールドエコノミーの窮状は変化に柔軟に対応できなかった恐竜が絶滅した姿と重なります。世がバブルに浮かれていた80年代後半、邦銀の凋落を横目に外資系金融に転身した自分自身の判断は正解でしたが、結局、自己制御出来ず暴走した米国金融危機リーマンショックでグローバル金融も忽ち失速、金融の時代は終焉を迎えてしまいました。この30年間、極く一部の例外を除いて、イノベーションと無縁な業界の代表格は銀行でした。生保や損保も同様です。

IT業界が牽引した劇的変化は、ルネサンス期の三大発明(羅針盤・火薬・活版印刷術)に匹敵する影響をもたらしたことは疑いなく、後世の歴史家が相応の紙幅を割いて記述することになるでしょう。歴史の教科書にも大見出しで取り上げられるに違いありません。

そんな適者生存・淘汰の時代をなんとか生き延びられたこと、そして、生まれてこの方、飢餓に苦しむことも戦禍に巻き込まれることもなく家族と共に過ごせたことは奇跡的な幸運としか言いようがありません。一方、自国第一主義が跋扈するこの時代に、人種や性別を超えて、他者の痛みを共有できる社会の実現はますます困難になってきています。豊かさや便利さと引き換えに、喪ってしまった大切な記憶や経験を取り戻すための回路は細っていくばかりです。革命的なイノベーションに日々翻弄されて、自身の羅針盤にも狂いが生じ始めているように感じています。信念やこうしたいという確固たる意志を再確認して、次の時代、進むべきnarrow pathを模索したいと思っています。平成30年最後を紅白を飾るのはサザンの「希望の轍」、狭く険しい道も夢を乗せて走る車道であって欲しい!

佳作映画評「コレクター 暴かれたナチスの真実」

当ブログで以前とり挙げたとおり、近年、ナチスヒトラーをテーマにした映画が次々と制作されています。第二次世界大戦を経験した人々が年々減少し、大戦中の記憶は総じて風化しつつあります。こうした記録映画の制作は、後世に悲惨な戦争の記憶をキチンと継承していく上で大変有意義な営みだと思っています。

2015年に制作されたデンマークとドイツの合作「ヒトラーの忘れもの("Under Sandet")」は、第二次大戦後にデンマークで地雷除去に携わった若年ドイツ兵を描いて、日本でも話題になりました。翌2016年にドイツで制作された「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男("Der Staat gegen Friz Bauer")」は、ナチスの最重要戦犯のひとりアドルフ・アイヒマンの逮捕に執念を燃やしたドイツ人検事フリッツ・バウアーを描いたものです。

2016年にオランダで制作された本作(原題"De Zaak Menten")も、戦争責任の追及を逃れようと深く潜行するアイヒマンの映画と同じ系譜に属するものです。主人公のオランダ人記者ハンス・クノープは、一本のタレコミ電話をきっかけに、第二次大戦中にナチス戦犯ピーター・メンテンが犯した大量虐殺の責任追及にのめり込んでいきます。彼自身にもユダヤ人の血が流れており、看過することは出来ませんでした。

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メンテンは大富豪で所有する美術品コレクションの一部をオークションにかけようとしますが、電話の相手は、それらはユダヤ人から略奪したものだと主張します。クノープはメンテンのプール付き大邸宅を訪れて事情を取材しますが、戦争犯罪に関わる取材だと知ったメンテンはあの手この手で記者の懐柔を試みます。ところが、クノープが一向に意に沿わないと分かると、温厚で紳士然としたメンテンの表情は俄かに険しくなり、様々な妨害工作や偽証を繰り返すようになります。

オランダの検察当局も大富豪で名士として知られるメンテンの訴追に当初は及び腰で、クノープがソ連や虐殺現場にまで赴き苦労して収集した有力な証拠が明るみに出て、初めて重い腰を上げます。映画はメンテンがソ連の侵略後ナチスに加担し虐殺に手を染めていく映像と70年代の法廷闘争の場面をシンクロさせながら進んでいきます。やがて、メンテンは逮捕が迫ることを嗅ぎつけスイスに逃亡、身柄拘束さえ一筋縄ではいきませんでした。

ようやく身柄拘束されたメンテンは一審で15年の禁固刑に処せられますが、即座に控訴。クノープは控訴審で信頼していた取材パートナーのカメラマンに取材はヤラセだったと反論され、所属する雑誌社の同僚からは遣り過ぎを非難されて次第に居場所を失っていきます。メンテンの買収工作が奏功した格好です。とうとう、クノープは編集長にまで登りつめた雑誌社を退社することを決意、メディアコンサルタントとしてメンテンの有罪固めに奔走しますが、控訴審ではメンテンがあろうことか逆転無罪になってしまいます。

万事休すと思われた最終審で、兄メンテンからこの世を去ったとされていた弟が、仏カンヌからわざわざ来廷し証人として登壇。1943年、パリで兄メンテンが弟に告白した虐殺の詳細が明らかにされ、10年の禁固刑を宣告されます。兄から将来罪をなすりつけようとされることを恐れた弟が公証人役場で公証記録を残していたことが決定的な証拠になったようです。今さら死者は還らないと表舞台に出ることを渋るメンテンの弟を粘り強く説得したのは、他ならぬクノープでした。メンテンは刑期の2/3を過ぎたところで釈放され、介護施設で妻に看取られこの世を去ります。晩年は認知症を患っていたそうです。

実話に基づく作品でありながら、1000人以上が虐殺の対象となったというメンテンが犯した大量虐殺事件(本作は2つの村の事件だけにフォーカス)は日本ではあまり知られていません。虐殺された人々には、ユダヤ人だけではなくメンテンの友人知己や少女も含まれており、単にナチスの人種隔離政策に加担しただけではなく、虐殺自体は猟奇的な側面も強く私怨や私欲がない混ぜになった所業でした。刑期も信じられないほど軽い10年の禁固刑、戦後30年も経たないうちにオランダ検察も司法当局も戦争犯罪を蒸し返すことに及び腰になり、事なかれ主義に陥っていたのでしょう。在野のジャーナリストになったクノープの執拗なまでの責任追及がなければ、死者を弔うことは叶いませんでした。クノープはキャリアを失ったことを決して後悔せず、生まれ変わってもshall choose exactly the same pathと言い切ります。放置すれば見過ごされてしまう権力者の犯罪や不正の真相を粘り強く探求する在野のジャーナリストの存在は、権力を監視し牽制する意味で欠くべからざるものだと改めて思い知らされた映画でした。安倍政権の保守系メディアの重用やトランプ政権のフェイクニュース発言は、健全なメディアを排斥しかねない暴挙であって、権力の暴走を放任することに繋がります。こうした映画が少しでも世に知られるよう、発信を続けていきたいと思っています。

羽生善治27年ぶり失冠に惟う

将棋界で数々の前人未踏の記録を打ち立ててきた羽生善治竜王(48)が、第31期竜王戦第7局で広瀬章人八段(31)に敗れ、27年ぶりに無冠になったことが大きく報じられています。もし羽生竜王がタイトル防衛に成功していれば、通算タイトル獲得数100期達成という歴史的偉業が実現するはずでした。

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羽生が初タイトルを獲得したのは1989年の竜王戦竜王は棋界7つのタイトル(叡王戦を加えれば8つ)のなかで最も格上のタイトルにあたります。その後はご承知おきのとおり破竹の快進撃、1996年に羽生は7つのタイトルを史上初めて独占してしまいます。将棋界を牽引してきた天才羽生善治だからこそ、失冠とか無冠という耳慣れない言葉が今日の朝刊紙面を飾るわけです。タイトルをひとつでも獲得することがプロ棋士の生涯をかけた目標だったりする厳しい世界にあって、通算99期タイトル保持とは信じられないような偉勲に他ならないのです。

通算獲得タイトル数の歴代記録を調べてみると、羽生に続く大山康晴が80期、中原誠が60期、現役の谷川浩司(56)、渡辺明(34)がそれぞれ27期、20期と続きます。藤井聡太七段に敗れ引退したひふみんこと神童加藤一二三でさえ、通算獲得タイトル数は8期にとどまります。それでもトップ10です。99期がどれほど凄い記録なのか、火を見るより明らかです。

常に戴冠してきた羽生永世七冠だからこそ、無冠がニュースになるのです。無冠というヘッドラインは羽生永世七冠以外の棋士に使われることは未来永劫ないでしょう。単にタイトル陥落で済むからです。記録は破られるためにある、そう思えば、16歳になったばかりの藤井聡太七段が、いずれ羽生永世七冠の記録に挑む可能性もないとは言えません。

ただ、羽生が打ち立てた数々の記録はまさに難攻不落の城、藤井聡太七段も含めた後進に末永く立ちはだかる絶壁であり続けるでしょう。サラリーマンであれば、殆どの人が第2の人生を考える40代後半、わずか10名しかいないA級(藤井聡太七段はまだC1級になったばかり)に踏みとどまって優勝争いをするだけでもどれほど大変なことか!自分は「力をつけて次のチャンスを掴めたらいい」と述べた羽生永世七冠の50代の更なる進化に期待を寄せるファンのひとりです。


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史上最大IPOソフトバンク上場の冬景色

これほど下馬評の悪かった大型IPOは近年ではジャパンディスプレイ(6740)以来でしょうか。2014年3月19日に上場したジャパンディスプレイの公募価格は900円。店頭で2000株(三菱UFJM)、ネット証券で400株の計2400株を引き受け、初値769円(公募価格比-14.6%)で損切りさせられた苦い記憶があります。この年はリクルートの上場やヘルスケアリートの上場もあって、年間成績はIPOだけで10MのプラスでしたのでJDSの火傷は幸いすぐに穴埋めできました。ちなみにジャパンディスプレイの2018/12/20終値は79円!、唖然とさせられます。もっと遡れば、JT(1994/10)が公募価格143万円に対して初値119万円(-16.8%)という惨憺たる上場もありました。

ソフトバンク(9434)の公募価格は異例の仮条件一本値1500円でした。19日の初値は1463 円、公募価格比マイナス2.5%の残念な発進、引けにかけて安値を更新し1282円で引けました。大方の予想どおり期待外れの結果に終わりました。よっぽど好材料でも発表されないかぎり、公募価格の回復は当面ないと思っています。

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何故、これほど前評判が悪かったのでしょうか。先ず、孫氏率いるSBGの子会社ソフトバンクの上場ですから、第一印象は新味が乏しいということになります。親子上場は総じて市場で敬遠されがちです。次に、官邸主導で携帯料金を40~50%引き下げる動きが加速しており、携帯各社の株価は軒並み下落基調(NTTドコモは年初来高値から約20%も下落しました)に転じていて、将来の経営環境は頗る厳しいと言わざるを得ません。第三に、EPS(一株あたり利益)やPERという指標で競合各社と比較すると、ソフトバンクはかなり見劣りすることが分かります。EPSを基にすればソフトバンクの適正株価は1000円でも高いということになります。

(NTTドコモ) 
株価2452円(12/20)
PER 12倍
EPS 201
予想配当率4.49%
(KDDI)
株価2651円(12/20)
PER 10倍
EPS 261
予想配当率3.77%
(ソフトバンク) 
株価1296円(12/20)
PER 14倍
EPS 87
予想配当率5.78%(年間配当7500円)

最後に地合いの急速な悪化や上場直前の通信障害といった市場環境が災いしたことも否めません。おまけに次世代通信規格5Gに向けて設備投資が必要なはずなのに、5%配当や85%の配当性向を維持するといったセールストークがメディアで喧伝された結果、個人投資家特に年金暮らしの高齢者などは主幹事証券の口車に乗ってソフトバンク株に手を出してしまったのではないでしょうか。今日12/20の日経平均終値は20392.58、昨年末比-10.4%と惨憺たる状況です。個人投資家ポートフォリオは年間を通じて約10%目減りしたなかでの公募価格割れ初値・・・・上場セレモニーでは社長が「五穀豊穣」に肖り、上場の門出と繁栄を願って鐘を5回鳴らすならわしです。いやはや、史上最大のIPOソフトバンクが株式市場から吸収した金額は2.6兆円、誰がために鐘は鳴るのかと嫌みのひとつも言いたいはずの個人投資家の胸中を思うと、クリスマスどころではありませんね。