寺山修司展@神奈川近代文学館を振り返って

会期最終日の迫る11月最終土曜日、神奈川近代文学館へ。東急渋谷駅でみなとみらいチケットと呼ばれる当日有効の往復チケット860円を購入。片道で買うより100円お得な上、横浜高速鉄道みなとみらい線区間は乗り降り自由になります。都心から赴けばちょっとしたアウティング気分が味わえます。会場の最寄駅はみなとみらい線の終点元町・中華街駅、この日はスッキリした秋空が広がりまたとない散策日和でした。アメリカ山公園の秋咲きバラが見頃を迎え、深秋の横浜ベイエリアの魅力を再発見できました。

1983年に47歳の若さで他界した寺山修司の多彩な生涯を今の二十代三十代は知らないはずです。老人だらけの展覧会と勝手に想像して足を運んでみたら、若い人が多いのに少々驚きました。寺山ファンには黒装束が多いらしい、そんな俗説は必ずしも嘘ではありませんでした。昨年、寺山唯一の長編『あゝ、荒野』が菅田将暉×ヤン・イクチュンのW主演で公開されたことも、寺山人気復活に一役買ったのかも知れません。

展示資料の殆どは寺山の秘書兼マネージャーだった田中未知さんが提供したもの。彼女が、離婚後の寺山をパートナーとして支え、葬儀で喪主も務めた人だったとは初耳でした。青森高校時代は俳句にのめり込み、やがて短歌でも才能を開花、10代20代から早熟だったことが残された夥しいノートからはっきりと伺えます。

会場入口では生前のインタビューや天井桟敷の舞台がモニターで流されていました。ひと通り展覧会を見終わって視聴していたら延々と続くではありませんか。すべて観ると2時間20分かかることが分かり、小一時間で切り上げて屋外へ。

毎回思うのですが、神奈川近代文学館のレイアウトは面白みに欠けます。ハコモノの宿命とはいえ、導線が固定されていると、ただでさえ地味な文芸作品の展覧会は味気なくなりがちです。ところが、今回に限っては、寺山の短歌を建物外のピラーに刻んだり屋外の公園で観客に探させたりと、遊び心に富んだ趣向で楽しませてくれました。写真はバラ園で見つけたレンガに刻まれた短歌、<マッチ擦る つかの間海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや>。寺山の第一歌集『空には本』に所収された代表歌のひとつですね。展示を見ながら、ワークシートを仕上げる試みも、マルチタレント寺山修司の展覧会だけに難問揃い、一筋縄ではいきませんでした。

展覧会で一番興味を惹かれたのは30時間市街劇「ノック」(1975年4月)でした。舞台がご近所阿佐ヶ谷だったとは!チケットの代わりに地図が販売され、観客は街を歩き演劇を探し回ることになります。何と斬新でアバンギャルドな発想でしょう。演劇を劇場という仕切られた空間から解放して、街全体を舞台に置き換えた結果、何も知らされていない住民はイベントに否応なく巻き込まれ、警察沙汰にまで発展したのだそうです。これこそ、寺山が目論んだとおりの劇的結末だったのではないでしょうか。平凡な日常に異物が持ち込まれて、思いよも寄らない化学反応や衝突が生まれる、そんな劇場型都市空間の到来を寺山はすでに40年以上前に予測していたのでしょうか。移民の大量流入で社会が分断されるパリをはじめとするヨーロッパの都市の姿は、「ノック」に拒絶反応を示した阿佐ヶ谷住民の姿に重なります。

そういえば太宰治も寺山と同じ青森出身で本名は津島修治、ふたりの「しゅうじ」を産んだ風土を一度ゆっくり旅して見たい、そんな気持ちにさせられました。

狩猟文化について考えてみた~副読本は『サバイバル登山家』&『山賊ダイアリー』~

『サバイバル登山家』の著書で知られる服部文祥さんが日経(夕刊)に寄稿されているエッセイを毎週楽しみにしています。服部さんは1999年から装備を切り詰め食料を現地調達するサバイバル登山を実践なさっている特異なアルピニストです。厳しい自然のなかで文明の利器に頼らずに生きることは、観念的に理解できたとしても、いざ実践するとなると途方もない苦難が襲い掛かってくるといいます。

2日前、服部さんの「はじめての獲物」と題する記事を読んで、最近とみに、狩猟という原始的営みに関心を抱いている自分に気づかされました。こうなると不思議なもので、狩猟人口が激減していると伝えるNHKの番組を熱心に観たり、漫画家にして狩猟家になった岡本健太郎さんのコミック『山賊ダイアリー』が気になったりと、無意識のうちに狩猟という未知の世界へ自分の方から擦り寄っているではありませんか。考えてみれば、きっかけはもっと昔に遡って、マタギをテーマにした熊谷達也さんの小説『邂逅の森』(2004年)と出会った時期なのかも知れません。

秋も深まってくると、食いしん坊の血が騒いでジビエ料理を無性に食べたくなります。ジビエ専門のレストランに足を運ぶと、思わぬ発見があります。普段、私たちの食生活を支える食材の殆どは、畜産や農業を営む専業農家から確立された流通ルートを経て食卓に届きます。従って、ハンターが野山で捕獲する野生の鳥獣が食卓に上ることは先ずあり得ません。初めて鹿を仕留めた服部さん曰く、獲物を撃つ瞬間までに膨大な時間とコストが費やされているのだそうです。巻き狩りと呼ばれるチームで獲物を追い込む狩猟では、ハンターは数時間もタツマ(待ち伏せ場所)で人の気配を消して立ち続けることもあると云われています。

日常の食生活からは決して見えてこないのは、こうした狩猟のディテールだけではなく捕獲した獲物の血抜きや解体作業です。これは養鶏や養豚の場合も同じです。きれいにパックされてスーパーに並ぶ食肉の断片から血なまぐさい屠殺現場を想像することはほぼ不可能です。都内には通称「品川屠場」と呼ばれる屠殺場がありますが、同様に、正式名称の「東京都中央卸売市場食肉市場」と聞いて、「屠場(とじょう)」を想起することは先ずありません。「屠場」を「施設」と言い換えてしまえば同じことです。東京オリンピックに向けて大規模な再開発が進む品川エリアに屠場が存在することを都民で知っている人はむしろ少数派ではないでしょうか。

こうして、人は自らの生に深く関わる凄惨な現場を絶えず日常生活から遠ざけているわけです。動物の命を奪って自らの命を繋ぐ生の営みを直視することで初めて見えてくる命の遣り取り。そこには長い時間をかけて人類が獲得してきた生きるための知恵や工夫が存在し、深淵な狩猟文化さえ形成しています。

服部さんは前述の『サバイバル登山家』のなかでこう言います。

<生命体としてなまなましく生きたい。自分がこの世界に存在していることを感じたい。そのために僕は山登りを続けてきた。そして、ある方法に辿りついた。食料も装備もできるだけ持たずに道のない山を歩いてみるのだ。>

スマホGPSに慣れ切った登山ではもはや自然と繋がることはできないと服部さんは確信したのでしょう。野草でも魚でもいい、自ら口に運ぶものを自らの手で掴まえて調理してこそ、狩猟という原初的営みを深く知る手掛かりが得られるはずです。飽食の日常生活に慣れ切った思考回路をたまには切断してみよう、そんなことを考え始めました。

サバイバル登山家

サバイバル登山家

渋柿の王様「蜂屋柿」で作る干し柿

以前、マイブログで取り上げた美濃加茂の堂上蜂屋柿。今年も12/1から予約販売が始まります。木箱入りの最上級品「誉」のお値段は10個入りで16200円(税込)。1個あたり1620円と聞いて仰天される方もいることでしょう。最初は自分も「干し柿ごときにその値段とは」と舐めた言葉を発したものですが、実は、手間暇かけて作られた干し柿の美味しさはその値段に十分釣り合うものなのです。一度、堂上蜂屋柿の極上品を試して脱帽でした。

今年、家内が近所の地産マルシェで大ぶりの蜂屋柿(6個入り)を見つけて、「干し柿作りにチャレンジしてみる?」と藪から棒に尋ねるので、二つ返事で承諾。家内曰く、そこいらのスーパーでは渋柿が店頭に並ぶことは殆どないそうです。都内の住宅地で干し柿を作る家庭は超少数派だからですね。とまれ、早速、理想の製法について調べてみることに。数年前、封書で中学時代の恩師U氏から教授された干し柿の作り方をベースに、ネット情報も勘案、次のような手順で干し柿作りに挑戦することになりました。

1)渋柿(吊るし用の枝が残してあるもの)のヘタを残して皮を剥ぐ。
2)紐(ビニルの荷造り紐 60-70cm)の両端に一個ずつ柿を縛る。
3)渋柿を沸騰させた熱湯に2〜3秒浸して消毒殺菌する。但し、消毒後は素手で触らないこと。
4)消毒後、すぐに風通しの良い日向に1週間ほど干す(雨が当たらない場所)(気温は15度以下が望ましい)。
5)干して1週間経過したら、アルコール(焼酎)を散布し消毒する。
6)以降、3日に1回程度、吊るし柿をやさしく揉みほぐす。この作業を繰り返すことで、水分を分散させ、固さを均一にする効果があるらしい。

f:id:uribo0606:20181111123647j:plain


吊るして1週間ほど経つと、水分が抜けて渋柿は当初の大きさの2/3くらいにサイズダウンします、この頃から、俗称コバエ、正しくはショウジョウバエがどこからともなく現れ、吊るし柿に集っているではありませんか。カラスやニホンザル(都区内では大丈夫)も狙うのだそうです。これはいかんと、早速、ネットで防虫網を手配して対策を講じました。

食べ頃まで、最低でも2週間以上待たなくてはなりません。10日余り経ったところで我慢しきれず、ひとつ試食してみましたが、まだ全体的にトロトロした食感で甘柿のような果実味が勝りました。表面もまだ粉を吹いたような塩梅ではありません。

f:id:uribo0606:20181123073559j:plain

大ぶりの蜂屋柿(300〜350g)1個の市販価格は200円前後、皮むき、吊るし干し、アルコール消毒、手揉み……と手間暇を惜しんではいけない作業の連続。出来のいい完成品が1個1000円しても決して不思議ではありません。自分でやってみるとよく分かります。

あと1週間から2週間経てば、自家製干し柿が初冬のデザートとして食卓に上ることでしょう。上手く出来れば、来年以降の家庭内行事に組み込まれること、間違いありません。

第38回ジャパンカップ指定席当選!@東京競馬場

天皇賞(秋)に続いて、再び東京競馬場にやって来ました。息子が応募して、初めてハガキ抽選にペア当選したからです。6階A指定席、しかも最前列という奇跡としか思えない座席が充てがわれました。眼下右手にはゴールが臨めます。当選確率は10倍超えではないでしょうか。

f:id:uribo0606:20181125103611j:plain

初当選なので当日の指定席までの入場プロセスを整理しておきます。競馬開催時は、入場料200円が掛かります。入場したら、当日のRacing Programを受け取ることを失念なきように。双眼鏡は持参マストアイテムです。

1)当選ハガキを持参してフジビュースタンド3階指定席発売所へ向かいます。引換場所はハガキに柱番号とともに記載されています。受付締切は11:00、これを過ぎると当選無効になるので要注意です。フジビュースタンド(2007年4月21日開場)は全長約380m、高さは52mもあります。フロアの水平垂直移動には結構時間がかかりますので、1時間前には入場して受付を済ませるといいでしょう。
2)顔写真付き身分証明書(免許証等)を提示して、代金ひとり2000円の支払いと引き換えに小さい紙のタグを受け取ります。以降の指定席入退場は、手の甲に押された蛍光スタンプで本人確認がなされます。
3j指定席のあるフロアまではエスカレーターの利用が便宜です。
4)着席すると、テーブル中央に設置された小型モニターで各レースの様子などをリアルタイムでチエックできます。テーブル下にはAC電源が2つありますので、スマホタブレットPCの充電が可能です。

指定席の利点は何と言っても抜群の眺望。芝の向こうに中央高速、その先には稲城市の丘陵が拡がります、荒井由実の中央フリーウェイの世界そのものです。ジャパンカップの場合、ハガキ抽選による指定席(5階及び6階)総数は1910席、東京競馬場の定員83776人の僅か2.3%に過ぎません。有象無象が入場できないため、各フロアの馬券売り場や休憩スペースには人影が少なくゆったりとした印象です。混雑とは無縁の世界、空間を共有する競馬ファンひとりひとりが上品で優雅にさえ感じられます。その優越感は味わった者にしか分からないでしょう。

陸上自衛隊中央音楽隊の演奏も座ってじっくり聴くことができます。第38回ジャパンカップは15:40発走、勝馬投票券の行方がどうなろうとも、今日は最高の一日になりそうです。

f:id:uribo0606:20181125192348p:plain

(終わってみれば)外国人初となる2017年度のJRA全国リーディングジョッキークリストフ・ルメール騎手騎乗の本命3歳牝馬アーモンドアイが、2:20:06のコースレコードで見事なG1・4連勝!を飾りました。今、歴史的瞬間に指定席で立ち会えた幸せを噛み締めているところです。最高のレースでした。表彰式には河野外務大臣もご列席、西を見遣ると、富士山に夕陽が重なり、表彰台は夕映えでひときわ輝いて見えました。

f:id:uribo0606:20181125192238p:plain

f:id:uribo0606:20181125161809j:plain

新生「龍吟」で頂くディナーの味わい

今年8月、六本木から東京ミッドタウン日比谷に移転してきたばかりの「龍吟」を訪れました。弟弟子奥田透さんの「銀座小十」は名物大鰻食べたさに幾度か訪れていたのですが、特に外国人に人気が高いと噂の六本木「龍吟」はなんとなく敷居が高い感じもあって結局行かず仕舞い、気がつけば新しい日比谷のランドマークにお引越しを済ませていたというわけです。予約を入れた金曜日の夜は生憎の雨。連れが和装で行きたいというので、愛車を出動させる羽目に。ミッドタウン日比谷のB3の駐車場に車を滑り込ませると、スタッフが丁寧に立体駐車場へと誘導してくれました。駐車場から7Fにある「龍吟」まではエレベーターで直行です。私たち以外の乗客はTOHOシネマのあるフロアで降りてしまったので、7Fでエレベーターの扉が開くとまるで孤高の頂きに招かれたような空気が立ち込め、これから始まる和の饗宴に自然と胸が弾みました。シックな黒い内装の左手のれんをくぐるとレセプションです。食後に支配人に案内されて知ったのですが、その先には二羽のシベリアワシミミズクが出迎えてくれる素敵な待合空間が存在します。次回は予約時間の15分前にこちらで待ち合わせてディナーに臨みたいと思いました。

六本木のときから客席数は16増えて40席。それでも、新装「龍吟」の予約は容易ではありません。六本木店との比較が出来ないのが残念ですが、移転の最大のハードルは前述のシベリアワシミミズクが一緒にお引越し出来るかどうかだったそうです。案内されたのはレセプションからまっすぐ西に向かうダイニング(5席)、店主直筆の扁額を背に連れが着席、自分はネイビーブルーのテーブルクロスを挟んでその向かいに座りました。すでに右手には中国人女性客ふたり、しばらくすると背後にアメリカ人カップル一組が座り、次いでアフリカ系カップル一組がやって来ました。私たち以外は外国人という非日常空間に「龍吟」のグローバルな声価を感じ取りました。内装は申し分なく、天井には雲龍図が描かれ、入口を挟む形で設えた障子がとても印象的です。レセプションの方向へ目を遣ると、茶室のエントランスを思わせるアールの意匠が露地を想起させます。

飾り皿にも龍があしらわれ、店主のこだわりは細部に及んでいます。お食事を前に非日常空間にすっかり魅了されてしまいました。シャンパーニュと柚子のソーダで乾杯したあとは、ゆったりとしたペースで食事が供されていきます。メニューの入った封筒には静嘉堂文庫美術館所蔵国宝稲葉天目がプリントアウトされ、テーブルに用意されたグラスの底には冠雪した富士山が造形されています。プレリュードとしての和の演出は日本人ならずとも唸ってしまうことでしょう。

前菜から始まり、魚はお造り2種、秋味を代表するサンマや松茸を使ったお料理も秀逸でした。ミシュラン最高峰だけにどの一品にも技巧が散りばめられた結果、やや食材の素の味わいが犠牲になっているような贅沢な不満もむくむくと頭を持ち上げ、サンマは焼き魚にスダチだけで食べたいと思った次第。お肉料理は蝦夷鹿のステーキ、備前のお皿によくお似合いでした。デザートは2種、ジュレに黒イチジクそしてミニ鯛焼きでした。料理と食器が奏でるハーモニーはまさに北大路魯山人の世界(説明不要:写真をご覧下さい)、和食の頂きを堪能させて頂きました。今日一には鱈の白子の唐揚げ(断面写真は上記)を挙げておきます。今回はドライバーだったので飲酒はNG、次回は若鮎や大鰻の季節に訪れて、純米吟醸酒を店主自慢の江戸切子で頂きたいものです。

秋晴れの男体山(二荒山)日帰り登山

雨天の燧ケ岳登頂から丁度1ヵ月、かねてから奥日光の紅葉に彩られた男体山に登ろうと10月下旬の週末を待ちわびていました。今度ばかりは雨天は勘弁と念じていたら、当日、ほぼ快晴のなか登山口を出発することができました。数日前、天気予報が曇時々雨に変わってハラハラさせられはしましたが、二連敗は免れました。

f:id:uribo0606:20181020063952j:plain

男体山の登山口は、下野國一之宮日光二荒山神社中宮祠境内にあります。782年(延暦元年)に二荒山登頂に成功した勝道上人が山頂に奥宮を建立、2年後にその麓に中宮祠を建てたそうです。本殿の右手奥鳥居の脇に<二荒山奥宮登拝口>と書かれた立派な石柱が立っています。

第2いろは坂渋滞を回避するため、東京を4時に出発、6時過ぎには登山者専用駐車場に車を滑り込ませることができました。国道120号線の電柱を見上げるとそこには二匹のニホンザルがお出迎え。紅葉のピークを迎えた中禅寺湖畔、神社の駐車場には次々と登山者の車がやってきます。社務所で住所氏名を記帳し500円の入山料を支払うと、案内図とともに<日光二荒山神社登拝交通御守護>と書かれた御守りを授かりました。関東屈指の霊峰と謳われる男体山ならではのしきたりに自然身が引き締まり、居住まいを正しました。

気温6度前後にもかかわらず、3合目までは急登であっという間に汗が噴き出し、パーカーを脱ぐ羽目に。3~4合目舗装されたは工事用道路を進みます。4合目の鳥居を過ぎると随所で、木立越しに朝陽を浴びて湖面に靄がゆらいで見える中禅寺湖を眺めることができます。八丁出島が美しく紅葉する光景は実に絵になります。この間、山道には手すりがあって泥濘そうな箇所には土嚢が積まれており、整備された印象です。

f:id:uribo0606:20181020080322j:plain

f:id:uribo0606:20181020123228j:plain

6合目あたりから全身を使って登ることを強いられるガレ場が出現、俗に「観音薙」と呼ばれる山体崩壊の痕跡です。男体山にはこのように薙刀で抉ったような形状から「薙(なぎ)」と名がついた浸食谷が大小20余りも存在します。火山である男体山は噴火に伴う溶岩や火山灰が堆積して崩れやすい特徴を有しており、中禅寺湖側から男体山を臨めば、幾筋もの「薙」が山頂から四方に拡がっているのが一目瞭然です。胸突き八丁は8合目まで続きます。

f:id:uribo0606:20181020082313j:plain

8合目まで来ると<八合目瀧尾神社>と書かれた石碑があって、近くの大きな岩の窪みに小さなお社も祀ってあります。ここを過ぎれば、地面が露出して、ところどころ土嚢で土留めした山道をひたすら前進することになります。やや単調ではありますが、体力的には楽できる箇所です。9合目を過ぎると日陰に積雪箇所があり、やがて森林限界を越えると赤土の表土が剥き出しになり、斜面は雪で覆われていました。明智平から確認できた山頂付近の白いものはやはり積雪でした。山頂手前で急に晴れ間が拡がり、中禅寺湖や戦場ヶ原が一望できました。それもつかの間、霧が湖畔は深い霧に包まれ、頂上付近は一面雪景色、気温は4度まで急降下。

f:id:uribo0606:20181020094831j:plain

f:id:uribo0606:20181020100419j:plain

山頂の祠の脇には<日光二荒山神社奥宮>の石柱が立っていて、登山者は二礼二拍手一拝。ほぼコースタイムで登頂できました。山の高さを<合>で示した嚆矢は富士山、男体山も同様に山岳信仰の対象だからこそ、合目の石柱が目印として設置されたのでしょう。石柱を目にすると、登頂までの達成度が凡そ分かるので、登山者のモチベーション維持に繋がります。必ずしも均等に高さを区切っているわけではないので、5合目は半分ではないことはご承知のとおりです。

山頂では1時間半あまり、ランチ休憩。神剣と一等三角点が設置された奥宮右手奥では新潟からいらしたA夫妻の写真撮影を手伝い、登山談議で盛り上がりました。翌日は白根山に挑むA夫妻、紅葉のハイシーズンだけに連日登山を試みる登山者が多いように感じました。

f:id:uribo0606:20181020102653j:plain

帰路はひたすら下ることに専念。男体山の上りはアップダウンがないため文字どおり直登、林道を除けばトラバースもなし、振り返れば誠にまっすぐな山でした。下山完了後、社務所中宮祠と奥宮の二種類の御朱印を頂戴しました。お天気はやや不安定で山頂では初冬の趣でしたが、下山してみれば晴れ晴れとした気持ちが込み上げ、心地よい達成感に浸れました。締めは登山の疲れを癒すべく、湯元温泉郷に移動したのでした。

f:id:uribo0606:20181020141231j:plain

小田代ヶ原の覆水と「草原の貴婦人」

台風24号(9月30日~10月1日)による大雨は各地に甚大な被害をもたらしました。奥日光中禅寺湖でも水位が相当上がり、華厳の滝の落水量は平年毎秒1トン前後なのに、台風以降は中禅寺ダムで毎秒4トンに増やしているのだそうです。台風直後の放水に至っては55トンに達したのだとか。もちろん、過去に例がないことです。湿原にも思わぬ異変が!普段は水を湛えていない小田代ヶ原に2011年以来7年ぶりに<小田代湖>が現れたのです。局地的な豪雨のあとに一時的に湖沼が出現することが過去にもあったようですが、10月中旬になっても水が引く気配はありません。幻の湖をひと目見ようと、奥日光に足を運びました。

しゃくなげ橋からフラットな小田代歩道を歩くとミズナラの樹林帯が拡がります。木洩れ陽を浴びて進むこと1.5キロ余り、秋色深まるこの時期の森林浴は最高です。やがてカラマツの森が現れ、小田代ヶ原展望台に到着です。

f:id:uribo0606:20181014114234j:plain

小田代ヶ原といえば、「草原の貴婦人」。展望台の真正面に佇立する1本のシラカバが湖水面に映り込んで、手前のモザイク状にグラデーションされた草原と美しいコントラストを織り成していました。

f:id:uribo0606:20181014114221j:plain

周囲2キロに及ぶ小田代ヶ原は、戦場ヶ原の西側に位置し、湿原から草原に移行する段階にある稀少な自然景観です。この日は、トビが一羽悠々と草原を旋回し、望遠レンズで「草原の貴婦人」とのツーショットを捉えることに成功、台風24号がもたらした思わぬ副産物に心から感謝した奥日光の秋の一日でした。

f:id:uribo0606:20181014115049j:plain

f:id:uribo0606:20181014115112j:plain